京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年11月8日放送分
映画『ボヘミアン・ラプソディ』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20181115191433j:plain

73年にデビューし、今もなお多くの人を魅了するイギリスのロックバンド、クイーン。不世出のボーカリストフレディ・マーキュリーがどのようにしてメンバーと出会い、バンドが結成されたのかという逸話。名曲誕生の秘話。バンドの成長と崩壊の危機。血の繋がった家族、友人、恋人たちとの関係といった私生活。伝説的に語り継がれる1985年のチャリティーコンサート「ライヴエイド」でのパフォーマンス。HIVウィルスへの罹患、AIDS発症。フレディ・マーキュリーの波乱に満ちた人生のうち、ロックと関わる20代以降の半生を描いた伝記映画です。

ユージュアル・サスペクツ (字幕版)

映画の製作そのものも、かなりの紆余曲折を経ていまして、企画が発表されたのは2010年ですから、公開までに8年もかかりました。当初フレディを演じる予定だったサシャ・バロン・コーエンが、映画のテーマ設定を巡って製作側と意見が合わずにこのプロジェクトを去るなどし、結局撮影が始まったのは、昨年の9月でした。監督は『ユージュアル・サスペクツ』や「X-メン」シリーズのブライアン・シンガーで撮影の大部分を行いましたが、キャストやスタッフと色々揉めたようで、途中降板。デクスター・フレッチャーがその穴を埋めました。フレディ・マーキュリーを最終的に担当した俳優は、エジプト系アメリカ人で『ナイト ミュージアム』などのラミ・マレック
 
音楽面ではブライアン・メイロジャー・テイラーがプロデュースに関わっていて、クイーンの28曲がバンドの歴史に寄り添っています。
 
それでは、特にクイーンに詳しくはなく、曲は好きなものも多いけれどファンとはとても言い出せない僕野村雅夫がどう観たのか。制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

先に僕のスタンスを表明しておくと、音楽を題材にした伝記ベースのフィクションとして、相当高いレベルの作品だと思っています。
 
まず、音楽映画として、よくできてますよね。20世紀フォックスのファンファーレをブライアン・メイロジャー・テイラーがクイーンそのものとしか言いようがないサウンドで奏でるオープニングから心くすぐられるし、134分の上映時間中に30近いクイーンの曲をバンドの歴史にうまく寄り添う形で、時にストレートに、そして時にシンボリックに配置して、たっぷりと大音響で音楽そのものを楽しめる喜びがあります。
 
そして、伝記映画としても、よくできてます。誰もが知っているようなメインのエピソードと、ライトな客層にとっては新鮮な逸話の配分・バランスをうまく取っています。さっきも言ったように、僕はクイーンのことをさほど知らなかったので、より製作側の思惑通りに感動しました。ここで持ち上がってくるのが、コアなファン達からの批判でして、あの人物が出てこないとか、あの出来事が無視されているとか、時系列を映画に都合良く並べ替えているとかいった指摘がその代表です。

f:id:djmasao:20181115200133j:plain

気持ちはわからなくもないんです。これまでドキュメンタリーも作られているし、パートナーのひとりだったジム・ハットンによる手記や関連本もあるので、詳しくなればなるほど、これでは不完全だと思うことだと思います。ただ、2時間強の映画としてまとめるには一定の取捨選択が必要ですよね。省かれるエピソードが出てくるのはやむを得ない。史実に忠実にするあまり、観客の感動を損なうようでは本末転倒でしょう。
 
これは他のメンバーも関わるプロジェクトなので、フレディーを軸にバンドの歴史をまとめることに主軸があるわけで、彼らのキャリアの到達点とも言えるライブエイドにクライマックスを持ってくるのは必然だし、そこでそれまでのエピソードを回収するという王道の構成にしたのは英断でした。そのうえで、ある種のフラッシュバックとして彼らのヒット曲を機能させました。歌詞がフレディやバンドの道のりとリンクする、というより、観客の頭の中でリンクさせるように演出している脚本の手腕は輝いていました。

f:id:djmasao:20181115200842j:plain

さらに言えば、エピソードをチョイスする段階での恣意性(身も蓋もなく表現すればご都合)も介在してきます。これは当然のことです。フレディはとても多面的な人物だったので、全方位ではなく、そのどこかにスポットを当てなければならない。おそらくはそのスポットの当て方で、たとえばサシャ・バロン・コーエンは納得がいかなかったのでしょう。わりと幅広い層の観客を想定してあるので、HIVに罹患する経緯であったり、ドラッグの描写などは、示唆する程度にとどめてオブラートに包み、誰でも見やすいように配慮してあります。マネージメントやレコード会社の人間で明らかに悪役として一面的に描かれている人物も出てきます。ただ、それもフィクションなら当然のことですよね。
 
フレディの女性のパートナーであるメアリーをヒロインのように描くことに対する批判もあります。異性愛的な、マジョリティーの価値観で物語をくるむことで、フレディの人生や表現への理解を妨げているという指摘。僕はこれも的外れではないと思うけれど、その批判もまた一面的です。この映画を観て、それこそ異性愛者がLGBTへの差別感情を強めるとは思えないんです。むしろ、その理解を深める一助になっているはずです。
 
フレディが型にハマらない男だったと映画的にわからせる演出も、ちゃんとあちこちに張り巡らせてあります。僕が気づいたのは、フレディのピアノ。白鍵と黒鍵が逆で、黒ベースに白がある。サングラスに映り込む逆像も多用されていました。
 
これは関西の映画宣伝ならびにライターをしている田辺ユウキさんがFacebookで書いていたことを拝借しますが、歯が出ていること、愛の対象、彼が股下から観客及び世界を逆さまに観ることなど、色んな「逆」を見せている。

f:id:djmasao:20181115200254j:plain

それから、猫がピアノの上を歩くところは、フレディの愛するものが文字通り不協和音を奏でるのも、その後の展開を映画的にうまくリードしてました。
 
役者たちの物真似を遥かに超えるなりきりぶりには、圧倒されるし、登場人物たちの視線や何気ない仕草だけで、その時の人間関係をそっくり僕らに伝えてしまう演出も確かでした。特にブライアン・メイの視線や顔の傾け方とか、もう笑っちゃうレベルで似てるし、顔が物語ってましたね。僕はだんだん彼に感情移入して、終わる頃にはノムライアン・メイと化して涙していました。

f:id:djmasao:20181115200542j:plain

結局、この映画は、フレディ、そしてクイーンとその周辺の人物がいかに時々の思惑やしがらみや常識を超えて、広い意味でのファミリーとなったかということと、彼らの音楽が、なぜ彼らにしか鳴らしえないものだったのかを余すことなく描き、クイーンの評価を今新たに高める作品として、見事な出来栄えだということを僕は断言します。

放送では、サウンドトラックから『Radio Ga Ga』ライブエイド・バージョンをオンエアしました。名曲「ボヘミアン・ラプソディ」の誕生秘話として、6分という長尺はラジオにそぐわないからダメだとレコード会社にリリースを反対される場面があります。そこでフレディは、親しいラジオDJのところに曲を持って行って、オンエアの直談判をしてかけてもらうところがあるんです。

 

そんでもって、ライブエイドみたいな全世界に映像を中継するようなライブでも、この『Radio Ga Ga』をセットリストに入れていたことに、ラジオに携わる僕としてはかなりグッときたのです。

さ〜て、次回、11月22日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『人魚の眠る家』です。人の命とか、倫理観に触れる物語なんだろうなということくらいの、かなりうすぼんやりした知識ですが、とりあえず行ってきます。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!