京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『アリー/スター誕生』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年12月27日放送分
映画『アリー/スター誕生』短評のDJ's カット版です。

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歌の才能に恵まれ、歌手として生きていきたいと願いながらも、業界では容姿が水準に達していないなどと言われてきたアリー。ウエイトレスとして働きながら、小さなバーでステージに立ち続けていました。ある日、彼女は世界的なカントリー・ロックスターであるジャクソンに見初められます。ふたりは共に曲を作って一緒にステージに立ち、アリーはそのままショービジネスの世界で一気にその才能を開花させて人気を博していくのです。一方、ジャクソンは持病である聴覚障害、アルコール依存、ドラッグの使用、そして自分の出自にまつわる精神的な不安から、アリーとは逆にだんだんと身を持ち崩していきます。ミュージシャンとして、そして恋人ととして、ふたりはどうなるのか。
ハリウッドの映画業界を舞台にした1937年のオリジナル版から、1954年、そして舞台を音楽業界に移した1976年と、これまで3度製作されてきた物語が、40年以上の時を経て4度目のリメイクです。原題はいずれも『A Star Is Born』。主演はご存知レディー・ガガブラッドリー・クーパー。そして、メガホンもクーパーが取っている他、彼は製作と脚本にも名前を連ねています。もともとは7年前にクリント・イーストウッドが監督をしてビヨンセを主演にするという企画としてスタートしたものの、紆余曲折の後、現在の座組に落ち着き、昨年春に撮影がスタート。これが、ブラッドリー・クーパーの初監督作となります。
 
クーパー、ガガ、そしてカントリーの大御所ウィリー・ネルソンの息子ルーカス・ネルソンが中核となって作り上げたサウンド・トラックは、全米・全英のチャートを含む各国で軒並み1位を獲得。映画ではアカデミー賞、音楽ではグラミー賞をうかがう、この冬一番の話題作と言っていいでしょう。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

前回のリメイクから40年以上経っているので、これが初めての「スター誕生」というリスナーが多いと思います。映画を観れば、これがいかに普遍的な話かということは理解できるし、その分、王道というか、ある程度は物語の行方も想像できるものです。それだけに今改めて映画にする難しさがあったことでしょう。企画が具体的に動き出すまでかなり難航したという事実がそれを裏付けています。上っ面をなぞるのではなく、いかに現代的に説得力を担保できるかが大事になってくるわけですが、その点でブラッドリー・クーパーレディー・ガガというコンビはとんでもない偉業を成し遂げたと僕はひっくり返りました。
 
先ほどまとめたあらすじからもわかるように、これはアリーだけの物語ではなく、あくまでジャクソンとのバランスですべてが成り立っています。アリーは右肩上がりに知名度を上げ、ジャクソンは右肩下がりに落ちぶれていく。スターにはスポットライトが当たるもの。本人の輝きが増せば増すほど、その人の輝きに負けじとばかり、スポットライトはより強く当たるもの。その光が強くなればなるほど、それによって生じる影もより濃く暗くなります。この物語は、アリーとジャクソンの光と影、その明暗のコントラストがどう逆転していくのかを克明にスクリーンに映し出します。その意味で、邦題はジャクソンを無視していて、僕にはどうもいただけないんですよねぇ。ま、措いときましょう。

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クーパーとガガのタッグがなぜこうも成功したのかと言えば、それはふたりの実人生がどうしたってオーバーラップするからです。ガガもアリー同様、クラブダンサーからフックアップされたわけだし、クーパーはアルコール依存を経験しています。そんなふたりが文字通り心身ともに役にのめりこんでいきます。一緒に作曲し、一緒に歌う。サウンド・トラックはすべて脚本と見事にシンクロしています。クーパーは音楽経験がなかったにも関わらず、ギターと歌唱のトレーニングを連日受けたと伝えられていて、ライブシーンは観客をCGにせずに大量のエキストラを動員。場末のスーパーの駐車場で深夜ふたりで共有した歌が初めてライブで披露されるシーンでは、僕は鳥肌を通り越して、思わず身震いしながら涙を流してしまいました。
 
たとえばテイラー・スウィフトが好例だと思いますが、カントリーからブレイクすると、ダンサーを従えてポップス路線に転向する。今作でもそんな流れがありました。ジャンルとしてのポップスを軽く見ているんじゃないかっていう批判がアメリカでは一部上がっているようです。僕も実は映画を観ながら、ちょっと首を傾げてしまった部分もあります。でも、アリーは自分を売り出す若いプロデューサーに対して毅然と振る舞って、決してマリオネットにはならないという姿勢を示しますよね。映画が進むにつれ、彼女は明らかに表現者として成長していくわけです。その意味で、僕はむしろ現代的な女性アーティストとしてのあり方を提示できていると思います。
 
序盤にジャクソンが歌う『Maybe It’s Time』という曲があります(上の予告動画で最初に流れるもの)。「古いやり方を葬る時が来たようだ」という歌詞。彼は古いミュージシャン像を体現していたとも言えますね。今回のリメイクでは、ジャクソンのバックグラウンドがしっかり示唆されたことでやるせないし悲しみが増すんだけど、理由はどうあれ、子どもっぽくて酒浸りでダメダメ。なんだけど、どう見たってかっこいい。かっこいいんだけど、落ちるところまで落ちる。その落ちっぷりは目を覆わんばかりです。何もそこまでってくらい。でも、だからこそ、ふたりの愛が哀しくも燃え上がって、ある種必然的なラストを迎えます。これも、古い表現者像を葬る『Maybe It’s Time』ってことかなと僕は解釈しつつ、そこまで含めて現代的なテーマにちゃんと落とし込めています。

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アメリカン・スナイパー』でイーストウッドの薫陶を受けたクーパー監督。手持ちカメラのぶれ。極端なクロースアップ。ガガの脱ぎっぷり。場面ごとの色使いの巧みさ。説明過剰にならない抑制のきいた演出。どれを取っても、立派でした。映画全体を俯瞰してみれば、クーパーという映画人のスター誕生です。あっぱれでございました。
 
って、我ながら褒めすぎたかなという思いもあるんですけど、それほどにクーパーに惚れ、彼の今後の活躍を願ってファンファーレを鳴らしたかったんでしょうね、僕は。

さ〜て、次回、2019年1月3日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『シュガー・ラッシュ:オンライン』です。「ディズニーがここまでやる!?」という噂は耳にしているし、予告でその片鱗は確認済み。期待が高まってきました。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!