FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年1月17日放送分
映画『クリード 炎の宿敵』短評のDJ's カット版です。
あの「ロッキー」シリーズを継承してみせた2015年の傑作『クリード チャンプを継ぐ男』の続編です。
かつてロッキーのライバルにして盟友だった男アポロ・クリードが愛人との間に設けていた息子アドニス。クリード1では、彼がボクシングへの情熱をたぎらせ、ロッキーに師事して身体を鍛えながら、フィラデルフィアで歌手のビアンカと恋に落ち、迷いながらも自分のアイデンティティを確立し、チャンピオンのコンランに挑むまでを描きました。
今回、ボクサーとして順調にキャリアを重ねるアドニスのもとに、かつて『ロッキー4/炎の友情』で父アポロをリングの上で殴り殺したソ連の殺人マシーンことイワン・ドラゴの息子ヴィクターからの挑戦を受けることに。父のかたきを討つことになるアドニスですが、ロッキーへの憎悪の念に駆られて訓練を積んできたドラゴ親子の気迫と執念を前に、ロッキーは試合そのものに反対し、セコンドを下りてしまいます。ガールフレンドの歌手ビアンカとの結婚と出産、ドラゴ親子が抱えてきた葛藤、そして前作から病を抱えるロッキーの人生と家族への想いを巻き込み、アドニスとヴィクターはリングへと上がります。
まだ20代の時に前作の監督を務めたライアン・クーグラーは、マーベル『ブラックパンサー』の監督に大抜擢されたこともあり、手が回らなかったということでしょう。今回は製作総指揮という役回りでした。代わってメガホンを取ったのは、こちらも若き才能、現在30歳のスティーヴン・ケープル・ジュニア。シルヴェスター・スタローンは、今回脚本にも参加しています。クリードは、もちろんマイケル・B・ジョーダン。『ブラックパンサー』では、キルモンガー役でも絶賛されていましたね。ビアンカ役のテッサ・トンプソンは、今回歌唱シーンも増えて大活躍。イワン・ドラゴは、もちろん『ロッキー4』のドルフ・ラングレンが演じています。ちなみに、ドラゴの息子ヴィクターを演じたのは、ルーマニアのボクサーで映画初出演となるフロリアン・ムンテアヌです。
どなたもご承知のように、続編は難しいものです。「クリード」なんて、ロッキーシリーズという下手をすれば呪縛になりそうな存在を背負っているわけなので、なおさら。しかも、今回はスタローンが監督もするというところで企画が動き始めたものの、結局は若きスティーヴン・ケープル・ジュニアにそのメガホンが託されました。ロッキーシリーズの良さと、前作の良さ、双方を引き継いで、なおかつフレッシュに見せ、願わくば物語全体に奥行きを与えるという、これは試練ですよ。プレッシャーを想像するだけで、僕はKOされてしまいます。
それでは、制限時間3分、1ラウンド勝負の炎の短評、そろそろいってみよう!
前作は、シリーズ全体を踏まえてはいるものの、やはり「ロッキー1」に呼応する作品でした。何者でもなかった社会の日陰者が、無骨な恋愛をしてパートナーを得ながら、拳でのし上がっていきました。今回は、アドニスが二世ボクサーであることから、まさに宿敵であったイワン・ドラゴの息子ヴィクターを登場させて、商業的には一番の成功作でありながら内容的には散々に言われがちな「ロッキー4」と呼応させます。かつて拳を交えたロッキーとイワンがそれぞれセコンドに立つ、二世同士の宿命の対決です。はっきり言って、設定ができすぎてるだろってくらいの王道ですね。大丈夫なのか。大丈夫どころの騒ぎじゃありません。スティーヴン・ケープル・ジュニアは、ロッキーからクリードへの世代交代と継承をきっちり描くのみならず、「ロッキー4」にも落とし前をつける、グッドじゃない、グレイトな仕事をしています。
今回フォーカスされるのは、守ることの難しさです。ボクシングなら、頂点を防衛する困難。人生においても、愛情、友情、そしてプライド、互いへのリスペクトといった守るべきものが、ドラマの各段階で浮かび上がるんですね。攻めではなく、守りについての映画なんですよ。アドニスとビアンカは、今回関係が一歩二歩進んで、出産を経て親になっていきます。あのプロポーズシーンは、コミカルな味つけによる幸せ描写と、ビアンカの聴覚障害が進行している暗雲垂れ込め描写が表裏一体になっていて素晴らしかったなあ。そう、人生において、幸せはずっとは続かないですよね。幸せがひとつ生まれれば、それを失う不安も生まれるというもの。それは子どもを授かっても同じことが言えました。
一方のドラゴ親子は、当初こそただのモンスターにしか見えなかったものの、クライマックスに向けて、加速度的に観客に肩入れさせますね。イワンにとっては、自分の復讐の道具として息子の技と肉体を研磨してきたわけですが、その心情がある人物の登場によって、次第に変化していって、最後には親子関係がまったく違ったものへと様変わりする熱い展開でした。ちなみに、あの結末は当初の脚本と違うようですが、変更して大大大正解でしたね。今振り返れば古臭くなっている旧シリーズの価値観を、ちゃんとリスペクトを持ちながら刷新しているのは、クリードという新シリーズの長所です。
たとえば女性の扱いについても、エイドリアンがとにかく男性を見守る存在だったのに対し、ビアンカは歌手として難聴と戦いながら、レーベルと契約し、ライブの動員も増やしていました。アドニスも子育てに奮闘するし、ビアンカは出産後も曲作りをやめない。クライマックスの試合が始まる前、僕はそんなビアンカにもっとスポットを当てろよって不満があったんです。ロッカールームでアドニスが彼女の曲を聴くとかあるじゃんかよ!ってね。そこからの決戦に向けた入場シーンの演出はもう、僕の凡百の演出を遥かに超える感動を呼びました。
それぞれのキャラクターの成長と成熟を見せる必要から、尺が長くなっているも事実です。成長痛としてのそれぞれの苦悩を描くあたりに多少のダレがあるという指摘にも頷けます。ロッキーなんて、3日間列車に乗って旅情を楽しんだりするくらいだから。でも、そこから試合に向けて火が付いてからの、恒例のトレーニング・ダイジェスト・シーンがあって、一気にアクセルが踏み込まれるじゃないですか。そこは緩急だし、彼らの苦悩ひとつひとつに意義ある回答を用意してくれているので、僕にはあまり気になりませんでした。
まとめよう。確かに、ロッキーにまだまだ依存したクリードではありましたが、恐らくは3もあるでしょうし、彼もまだこれから人間的に大きくなるはず。ロッキーが言いますね。「お前の時代が来たな」。クリードと書かれたジャージを着てアドニスを見つめるロッキーの後ろ姿のしびれること。
それぞれのその後を見せるエピローグにグッと来た方も多いでしょう。ロッキーも自分の人生を総括し始めていました。言わば、終活ですよ。そこで出てくるあの子! あのかわいさは完全に反則でした。
さ〜て、次回、2019年1月24日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『マスカレード・ホテル』です。キムタクが刑事で、長澤まさみがホテル勤務。そして、東野圭吾原作。ヒットが約束されたような豪華なメンツが揃っていますが、こういう時こそ冷静に評したいもの。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!