京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ファースト・マン』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年2月14日放送分
映画『ファースト・マン』短評のDJ's カット版です。

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「これはひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」。1969年、初めて月に降り立った人間ニール・アームストロングの言葉ですね。この映画は、1961年、彼が宇宙飛行士になる前、空軍のテスト・パイロットだった頃からの8年間を描いています。ある日、テスト飛行中に高度を上げすぎて大気圏を突破してしまったニール。命からがら機体を下げ、無事に地上へ戻りますが、その際に目にした束の間の宇宙。耳にした静寂は美しくも臨死体験にも似た、忘れられないものとなりました。一方、私生活では妻との間に娘と息子がいたんですが、まだ幼い娘カレンは悪性の腫瘍に苦しみ、看病もむなしく亡くなります。悲しみにくれながらも、感情を表には出さず、現実から逃れるようにして、彼は宇宙飛行士に応募。NASAに所属して、家族とともにヒューストンへ引っ越し、過酷な訓練に身を投じることになります。

ラ・ラ・ランド(字幕版)

主演と監督は、ライアン・ゴズリングデイミアン・チャゼルの『ラ・ラ・ランド』コンビ。チャゼルは音楽ものから離れたばかりか、脚本も自分のペンによるものではなく、純粋に監督としての演出力が問われる作品となりました。脚本はジョシュ・シンガー。『スポットライト 世紀のスクープ』や『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』など、実在の事件の裏を丁寧に描く能力を買われての抜擢でしょう。7年前に亡くなったニール・アームストロングは自伝を書かなかったのですが、唯一の伝記として本人も認めたジェームズ・R・ハンセン『ファーストマン:ニール・アームストロングの人生』(河出文庫)を原作としています。

スポットライト 世紀のスクープ (字幕版) ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 (字幕版)

映画化の構想は、本人が存命中の2003年からあったようで、そのときにはクリント・イーストウッドがワーナーと一緒に権利を押さえていましたが実現せず、ユニバーサルが宙に浮いたその権利を取り付け、製作総指揮にスティーヴン・スピルバーグを迎え、2015年から製作が動き出したという経緯があります。批評家筋の評価は軒並み高いんですが、アカデミー賞では主要部門は逃していて、録音、音響編集、視覚効果、美術という技術的な4部門にノミネートしています。
 
それでは、映画界の風雲児チャゼル好きの僕がどう観たのか。制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

デイミアン・チャゼル作品は、『ラ・ラ・ランド』も、『セッション』も、共通点がありました。それぞれきっかけは別として、何か夢を持って、それを実現しようと奮闘、格闘、葛藤する男の話。月に行くという夢は、50年前にあって、究極にして、まさにルナティック、つまり狂気じみた夢でもありました。その意味で、これはまさにチャゼル的命題です。『セッション』のような鬼教官は出てこないけど、ストイックな訓練と、度重なる技術的な困難。そして、仲間たちが犠牲となる様子は似ている面もある。こじつけるわけじゃないけど、カメラが執拗なまでに主人公を追いかけ、時には追い詰めるようなサディスティックとも言えるアングルや画面配置は『セッション』に近いです。
 
映画を観て、拍子抜けした人もいるでしょう。全然ヒロイックな描き方じゃないから。いくら世間や時の権力者がヒーロー扱いしようと、それをとにかく嫌ったと言われるニールです。この映画が強調するのは、ミッションの冷徹な描写と、彼のごく私的な想い、プライベートな側面です。彼は常に感情をコントロールしていて、何があっても平静を装う。映画も表面上は静かに淡々と進みますね。でも、だからこそ、たとえばプロジェクトが犠牲者を出した時にそっとカメラが捉える動揺を示すアクションが活きてきます。
 
とにもかくにも、月へ行くのは大変です。毎年『スター・ウォーズ』の新作を見せられていた僕らがいかに麻痺していたことか。コントロールのきかない計器類、ハンドル。スマホ以下の技術しかない、アナログな機械。圧がかかってミシミシ音を立てるロケット。恐怖の臨場感をこれでもかと僕らも追体験することになります。

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話題となっている、16ミリ・35ミリフィルムでの撮影ですが、これは当時の飛行士たちが、劇中にもあるように16ミリカメラで記録映像を撮っていたということもありますけど、チャゼルの思惑はこういうことでしょう。これまで未来の出来事やSFとしていつも神秘的にツルッと描かれてきた宇宙飛行を、無謀かつ大それたもの、つまり過去の異様な現実として振り返るために、映画技術的には古いとされる50年前のメディア、フィルムのザラツキでアナログ感を強調しようとした。逆に、月面では最新鋭のIMAX70mmカメラで撮影することで、これ以上ない2010年代最高の画質にした。それは、今なお人間にとって月面は未知の世界であり、この映画のカタルシスであり、古臭くない、ある種あの目線は時代を超越したものとして示したかったからじゃないでしょうか。
 
ソ連との宇宙開発競争で国家の威信をかけたプロジェクト。天文学的な予算を税金から割くが故に飛び交う批判。周囲の喧騒が激しくなればなるほど、彼は黙り込みます。実際、この手の映画にしてはセリフが少ないです。彼は国なんて背負ってないんですね。またひとり息子が生まれても、それはそれで嬉しくとも、決して死んだ娘の代わりになるわけではない。彼女への追憶が、辛い時に何度も蘇る。でも、それはどうしようもないことですよね。忘れようにも忘れられない。頭の中、まるであの狭いコクピットのようところに、その想いは閉じ込められている。それが彼を月へと駆り立てる。もはや妻にも手の届かないところへと彼はひとり向かってしまう。

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アメリカでは保守系の国会議員が、「どうして星条旗を月に立てるシーンがないんだ」と不満を顕にしたそうですが、うるせーよって話ですよ。飛行士も人間であって、彼の抱えてきた想いに向き合う場面こそ重要なわけですよ。映画を観た人ならわかることですが。
 
思えば、上がったり下がったり、宙に浮いたり。忙しい映画でした。この高さ、高度がニールの精神状態と連動している部分もあるし、セリフは少ないけれど、ゴズリングが得意とする、秘めた想いを表情に浮かべて見せる表現が今回も炸裂していて最高でした。
 
さて、これ、どう終わるよと思っていたら、やはりチャゼルはラストカットの余韻がすばらしい。今回もそうでした。あのツーショット! チャゼルはまたひとつ偉業を成し遂げつつ、難しい企画を軟着陸させました。四の五の言わずに、あなたも早く劇場のシートというコクピットへ!


さ〜て、次回、2019年2月21日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『女王陛下のお気に入り』です。今週はチャゼルとゴズリングのコンビ。来週はエマ・ストーン。そう、『ラ・ラ・ランド』つながりですね。こちらはアカデミー作品賞を含む、今回最多の10部門ノミネートですよ。すごい。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!