FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年3月14日放送分
映画『スパイダーマン:スパイダーバース』短評のDJ's カット版です。
ニューヨーク、ブルックリン。黒人警察官の父とヒスパニック系看護師の母の息子であるマイルス・モラレスは、名門私立中学に転校したばかり。エリートが集うその空間にまだ馴染めず、スパイダーマンに憧れ、独身貴族としての生活を謳歌するちょい悪オヤジの叔父を信奉しています。ヘッドホンでヒップホップやR&Bを聴き、ストリート系グラフィティ・アートに夢中になっているような思春期まっしぐらの少年です。ある日、叔父とスプレーアートを描くために忍び込んだ地下で謎のクモに噛まれたマイルスは、スパイダーマンとしての能力を知らず知らず備えることになるのですが、その頃、何者かによって時空が歪められる事態が発生。スパイダーマンであるピーター・パーカーが亡くなります。そこは、もはや様々な次元が交錯する世界。別の次元からやって来たスパイダーマンたちがマイルスのいるブルックリンに集います。時空が歪められた原因とは何か。そして、世界は元通りになるのか。
これまで何度か実写としてシリーズ化されてきたご存知スパイダーマンが、初めて劇場アニメ化されました。監督だけでも3人いて、大勢のスタッフ、莫大な予算が注ぎ込まれました。企画の最初期から関わり、脚本と製作にクレジットされているのが、フィル・ロード。クリストファー・ミラーとのコンビで、『くもりときどきミートボール』『LEGO ムービー』など、革新的なアニメ表現で知られる気鋭の映画人41歳です。監督陣の中で僕が今回「なるほど、この人が!」と思ったのは、あれがまた傑作だった『リトルプリンス 星の王子さまと私』で脚本を担当していたボブ・ペルシケッティ。
日本公開前から前評判は非常に高くて、各映画賞も総なめ状態です。受賞したものだけでも、アニー賞、英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、ニューヨーク映画批評家協会賞、そして、アカデミー賞。and more!!!!
もうこれだけ絶賛されてるんだから、僕がどうのこうの言ったところで新たに付け加えることもないって感じもするんだけど、匙を投げてはいけません。僕なりにまとめるとしますかね。それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!
今や世界の映画シーンを席捲し、支配すらしているアメコミの実写映画化。『ブラックパンサー』がアカデミー賞作品賞にノミネートしたことがシンボリックですが、大量生産される中で、CG技術の進歩もあいまって、娯楽としても芸術としても質がぐんぐん上がっています。当然、ヒーローたちは数が多くなり、話が込み入り、マーベル・シネマティック・ユニバースがこれもシンボリックですが、多様化、複雑化の一途をたどっています。マニアックに楽しめる一方、敷居が高くなっていることも事実だし、もとはコミックだった文字通り漫画的なキャラクターを人間が演じて、そのアクションのほとんどがCGっていう表現の連続に疲れを感じる声もあるのが現状でしょう。
そんな中、スパイダーマンはマーベル・コミックのヒーローでありながら権利上の問題があって、まずはソニーが実写化し、それがやがてマーベル・シネマティック・ユニバースに合流するという独自の映画化路線を歩んできたわけです。それが、ここでのあえてのアニメ映画化。アメリカでのアニメと言えば、ディズニー、ピクサー、イルミネーションなど、3DCGアニメの技術をそれぞれに極めたスタジオが圧倒的な存在として君臨しているわけです。そのどれかを模倣しても、追いつけるわけはない。では、どこに勝算を見出したのか。なぜアニメなのか。その狙いとは?
ここで、フィル・ロードの面目躍如です。彼は、アメコミの中にそのまま入り込んだような映像を作りたいと考えるわけです。逆に言えば、アメコミがそのまま動き出すような映像。これ、言葉だけだと単純に聞こえるし、「それってすべての漫画アニメ化に同じことが言えるんじゃないの?」って思うかも知れません。でも、漫画とアニメって、地続きに見えて、実はかなり違うんですよね。当たり前だけど、漫画そのものは動くわけじゃないし、コマ割りだって、コマそのものの形やサイズも映画と違う。
今作では、アメコミそのものも映画内に何度も登場させながら、場面転換でページをめくる、セリフを吹き出しで出してみたり、擬音語も画面に表示したり。なんなら、ドットの具合、印刷のかすれまでをもアニメに盛り込んで、それをアニメ映画的なアクションに染み込ませるような実験に成功しています。なおかつ、漫画的なキメの構図、漫画っぽいケレンもたっぷり。フィル・ロードは『LEGO ムービー』で動かないLEGOブロックを動かしたように、今回はそれだけだと動かないアメコミを動かしたわけです。
これはとても複雑なプロセスで成立していて、簡単に言えばCGと手描きの融合なんですけど、最初の10秒を作るのになにせ1年かかってます。その甲斐あって、誰も見たことがないものが生まれ、このアニメ技術そのものが今特許申請されているというほどにユニーク。今回アカデミー賞を獲得できたのは、はっきり言って、僕はその映像的発明の成果に尽きると思います。
加えて、今回はそもそもスパイダーマンが白人男性ピーター・パーカーでないうえ、他にも5人のスパイダーマンが出てくる。ヒーロー業でプライベートが破れかぶれとなり、すっかりお腹がたるんだフリーター。女子中学生。ハードボイルドなノワール。日本アニメ的萌え萌えな女の子。まさかの豚。こいつらが、キャラクターごとに動き、絵の滑らかさ、色味、質感、ギャグ、考え方がみんな違って、まさに異次元の同居。これを同じ画面でやるのがどれだけ難しくて、観ている方は楽しいか。
さらに、この異次元のミックスこそが、多様性の賛美というグローバルレベルでようやく尊ばれ始めた価値観、そして文化的には過去のアーカイブから新しいものを生み出すというヒップホップDJ文化・サンプリング文化ともマッチして、すべてが今っぽい見事な着地なんです。
もちろん、スパイダーマンならではの成長物語としても水準は高いです。自分の潜在能力を活かす術を身につけるまでの苦労。正義と悪とそれだけでは割り切れない世界のあり様。そして、仲間や家族と結ぶ実りある人間関係。このあたりに抜かりはないし、よくできてるけど、テーマや物語運びというよりは、それを語る装置が斬新かつ中身と見事にシンクロしていたのが素晴らしいんです。映画館でぽっかり口を空けながら、スクリーンという異次元にどっぷり没入してください。
多くの人がグッと来ている(ように僕が感じている)「誰もがスパイダーマンになれる」うんぬんというテーマについては、劇中でマイルスが茶化されるように、メタファー、「もののたとえ」だと僕は受け止めています。確かにクモに噛まれるのは運命でも何でもなくて偶然のなせるわざなんだろうけど、あくまでもそれぞれの次元にいるスパイダーマンはひとりですから。
むしろ、僕は、この世界には様々な次元のものの見方と価値観が同居しているんだということそのものがメッセージであり、テーマだと感じました。それゆえ、互いのリスペクトが必要であり、長所を活かし合うとすごいことを成しうるし、何より面白いのだと。もちろん、隣人に手を差し伸べろ、やさしくあれというヒーロー的あり方込みでね。
なにより、ファンも楽しめるし、一見さんにも門戸がパーンと気持ちよく開かれているという風通しの良さがいい!
僕が「なんだかな」って思ったのは、時空を歪める装置をめぐるクライマックスのごちゃごちゃぐらいかな。
ついついやってみたくなるのは、今週の放送で僕がラジオで再現してしまった、意中の人の肩をポンと叩いてからの、キメ顔プラス精一杯の渋い声で「へ〜い」! あれも繰り返しのギャグになってたけど、まさかあんな大事なところでまたひょっこり出てくるとは!
遅刻の言い訳としての相対性理論も真似したくなりますが、信頼どころか仕事を失いそうなので、やめておきます。「時間というのはあくまで相対的なものであって、その意味ではむしろみんなが早く来ているだけという言い方も…」
↑ うるせーんだよ、オメーは!
さ〜て、次回、2019年3月21日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『運び屋』です。クリント・イーストウッド監督主演作! って、『グラン・トリノ』の時に「これが最後かも」なんて喧伝されていたような気もするけど… いや、そんなこたぁ、いいんだ。こうやってその御姿を大スクリーンで拝めることを心底僕は喜んでいますよ。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!