京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

内田洋子『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』レビュー

 小学生のころ、年に何度か家族で曾祖母の家を訪ねていた。そのときの楽しみのひとつが、古本屋へ行くことだった(私のお目当ては漫画)。商店街に面した古くて暗いビルの1階に、こぢんまりとした店があった。壁も本でできているのかと思うくらいに書物がひしめき、通れるスペースは中央の本棚を囲む人ひとり分。そこでは眼鏡をかけたおじさんが、値段をまだ付けていない商品に囲まれて、読書をしていた。店主のおじさんは寡黙だったが、お客さんに「〇〇はありますか?」と聞かれると「この辺りに」とか「ないんです」とかすぐに答えていて「さすがだなぁ」と感心した覚えがある。大通りにチェーンの大型古本店ができてほどなく、おじさんは「閉店のお知らせ」の貼り紙を出した。

モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語

 そんなことを思い出したのは『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』を読んでいるとき。広告から強く興味をそそられた本だ。広げた本を手に持ち、力強く歩く男性の絵。腕にかけた籠にも本がぎっしり。紹介文によると「旅する本屋」は「行商人」だという。地名らしきものにモンテ(山)とあるから山が舞台なのだろうと想像するが、本と行商が結びつかない。そしてなぜ山の幸ではなく本だったのか?イタリア在住の内田洋子さんが「何かに憑かれたように、一生懸命に書いた」のか……

 

 「面白そう!」

 内田さんが本の村へ導かれたように、私も彼女の本に呼ばれた。

 

 本書は、方丈社のウェブサイトに『本が生まれた村』と題して掲載された10章と、6章の書下ろしで構成されている。日本の書店員が選ぶ「2018年本屋大賞」の大賞候補にもなった。出版の2ヶ月後に『本に書かれていないモンテレッジォ』の連載を始めているところを見ると、内田さんの情熱と使命感はとても1冊に納まりきらなかったようだ。

 

 筆者は、ヴェネツィアのとある古書店の店主の先祖が、代々、本の行商人をしていたことを知って、興味を持ち、さっそく、原点であるというモンテレッジォ村の紹介ホームページを見つけ出した。担当者に電話をかけ、村を訪問することに。

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 実は本題である「本の行商」について詳しく分かってくるのは、中盤あたりからだ。モンテレッジォに行けばすっきりできるだろうと思っていた筆者だが、村人たちから話を聞くうち、調べたいことが次々と出てきて、あちこちで取材を重ねることになったのだった。仕事部屋は、古本屋のごとく、集めた資料でいっぱいに。おかげで、とても読み応えのある内容になっている。

 

 私は初めて読み終えた後すぐに2回目を読み始めた。1回目は、話の展開と筆者の調査の厚みに圧倒されて、面白さを味わいきれなかった気がしたからだ。もう一度、不思議な縁が生んだ流れをたどりたかった。2回目は、謎解きに筆者と一緒に挑んでいるような気持ちになって、物語に入り込むことができた。出てくる人たちの経歴を確かめ、村のシンボルである本の行商人の彫刻の写真を何度も見返した。掲載写真がカラーなのは大正解。特に古地図と通行許可証は、活版印刷の字体も含めて美しく、じっくりと眺めた。本の行商人の誇りは「露店商賞」や「本祭り」となって、受け継がれている。モンテレッジォの流れをくむ本屋も、かつて行商人を頼りにしていた出版社も、数が減ったとはいえ今もイタリアに存在している。筆者を含めた今と昔のつながりを振り返ると、感慨深い。やはり読み直してよかった。あぁ、満足。ただ、今度は満足したものの、「こんな本屋に行きたい!!!」という想いがいっそう強くなってしまった。

 

 <文:あかりきなこ>