京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ドッグマン』レビュー

どうも、僕です。野村雅夫です。現在公開中というイタリア映画をまた紹介できることがとても嬉しい。しかも、強烈なインパクトを残す作品。僕も公式サイトに以下のようなコメントを載せている『ドッグマン』です。今年4月、イタリア映画祭2019の告知を兼ねてTBSラジオ アフター6ジャンクションに出演した際にも軽く話題にしていましたが、今回はオールドファッション幹太がレビューを書いてくれました。以下、映画とあわせてお楽しみあれ。

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カンヌ国際映画祭の最高賞であるパルム・ドールに次ぐ審査員特別グランプリを『ゴモラ』(Gomorra/2008年)と『リアリティ』(Reality/2012年)で二度受賞しているマッテオ・ガッローネMatteo Garrone監督。『剥製師』(L’imbalsamatore/2002年)が2003年のイタリア映画祭で上映されたのを見たときから、チクチクといつまでも後に残るトゲのような不思議な後味のサスペンス映画を撮らせたらすごい才能を発揮する若手監督(当時30代なかばだったと思います)が出てきたなあと思っていたら、その後のカンヌでの揺るがぬ評価を経て、気がつけば2015年のグロくて美しい『五日物語−3つの王国と3人の女−』(Il racconto dei racconti)で世界的に活躍する大監督になっていた。

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史劇 パーフェクトコレクション ポンペイ最後の日 DVD10枚組 ACC-085 蝶々夫人 1955年・有楽座の館名入り初版映画パンフレット カルミネ・ガローネ監督 八千草薫 二コラ・フィラクリディ 田中路子

マッテオ以前、イタリア映画のガッローネといえば、(スペルはlとrが違うけど)サイレント歴史劇代表作のひとつ『ポンペイ最後の日』(Gli ultimi giorni di Pompei/1926年)や、50年代に八千草薫はじめ宝塚歌劇団チネチッタに呼んで撮った『蝶々夫人』(1954年)の監督カルミネ・ガッローネと決まっていた(繰り返すが、こちらはGallone)。ところがいまや日本で一番知られているのは、現代イタリア映画の旗振り役とも言えるマッテオ・ガッローネであることは誰も否定しない。そんな押しも押される大監督の一人となったマッテオ・ガッローネ監督がまたまたとんでもない作品を届けてくれました。それが今日紹介する『ドッグマン』(Dogman/2018年)です。

 

主人公のマルチェッロは海岸の町で犬専用トリミングサロン「ドッグマン」を営んでいる。サロンとは名ばかりで、ずっと昔の精神病院か冴えない研究をしている実験室を思わせる、薄汚れたこの町にお似合いの仕事場だ。しかし彼は、そこでの仕事を愛している。客である犬たちや飼い犬ジャックを愛している。別れた妻との間のひとり娘をこよなく愛している。そして仕事終わりにバールで仲間たちとたむろする時間、友人とサッカーボールを追いかける時間を愛している。

 

ところがそんなマルチェッロのささやかながら愛情に満ちた日常に暗い陰を落とす存在が冒頭から登場する。ドラッグ(コカイン)と悪友シモーネ。

 

マルチェッロ自身がドラッグをやめたがっている素振りはなく、むしろ積極的に楽しんでいるようだ。シモーネについては、マルチェッロの友達という言葉は誤りかもしれない。あるいはマルチェッロは、シモーネにとって単なるドラッグの共有元で、暴力でねじ伏せて言うことを聞かせる下僕としか思っていないようにも見える。それでもマルチェッロは、ドラッグと手を切らないようにシモーネとの関係もズルズルと続けてしまう。友情のカスのようなものが、二人の腐れ縁にハサミを入れることを拒ませる。

 

それでもひとつのできごとをきっかけに噛み合った破滅の歯車は加速度的に回り始め、マルチェッロは自ら突き進むように、あるいはどうしようもなく引き摺り込まれるようにある計画を実行に移す。

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マルチェッロを演じるマルチェッロ・フォンテがとにかくすごいです。そして言うまでもなくそんなマルチェッロ・フォンテを(どす黒く)輝かせたマッテオ・ガッローネ監督の演出手腕はキレてます。事実、脚本を固めすぎずにフォンテはじめとする演者たちと話し合いながら、共同作業として撮影を進めていったのだとか。 

 

フォンテの演技は「演技」というにはあまりにも生々しく、娘に微笑み返す父親の歪んだ笑顔、暗闇の中でニヤニヤ笑っている顔、呆然と立ち尽くす無表情、無意識の顔面の痙攣、誰にも届くことのない虚しい叫び、そうしたひとつひとつの表現が、まさに冒頭「いつまでも後に残るトゲ」と書いたように、何度も夢の中でよみがえりそうで、本当に怖いです。

 

そしてそんな鬼気迫るマルチェッロ・フォンテの演技は、カンヌで主演男優賞という誰の目にも明らかな評価を獲得しました。今も昔もイタリア人俳優の代名詞であり、カンヌ男優賞の先輩であるマルチェッロ・マストロヤンニやヴィットリオ・ガスマンとは違う、(そして直近で受賞した少し年下のエリオ・ジェルマーノとも違う)イタリア映画史にいつまでも残る(トゲと呼ぶにはあまりに素晴らしい)存在感を示したと思います。

 

さらに演技賞のノミネートがあるすれば、シモーネを演じたエドアルド・ペッシェも良かったのですが、あえてジャックほか無名の犬たちを忘れることができません。むき出しの牙やCGかなと思ってしまうほどの巨体、檻の中から聞こえる鳴き声、マルチェッロの「アモーレ」という呼びかけに対する無関心など、この映画にはじめから終わりまで漂う不吉な臭いはまちがいなく彼らが作り出したものです。ヴィットリオ・デ・シーカの『ウンベルト・D』(Umberto D./1952年)以来ひさしぶりに、犬に演技賞をあげたくなる気持ちは、見た人にはわかってもらえるはず。

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マッテオ・ガッローネの映画の「画作り」は『リアリティ』と『五日物語〜』でキャリアの頂点といっても良いほどに実験し尽くしひとつの完成形を見ますが、『ドッグマン』ではそれ以前の『剥製師』や『ゴモラ』に近い形を採用している印象です。つまり被写体にいやらしいほどにつきまとう手持ちカメラと、冷酷な固定カメラのロングショットの合わせ技。ただ、役者の演技と「ドッグマン」周辺の不毛な風景との化学変化で、その切れ味は成熟からさらなる洗練の領域に到達しているんじゃないかな(このロケ地は『ゴモラ』の時に見つけたのだとか)。違う撮影監督を起用しても現れる「ガッローネらしい映像」というのは、やはり彼の持ち味・彼の才能によるところが大きいのではないでしょうか。

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マッテオ・ガッローネは最新作でなんと「ピノッキオ」を取り上げるのだとか。しかも、マルチェッロ・フォンテも起用されているようです。どうしてもロベルト・ベニーニ監督作品を思い浮かべてしまうのだけど、まさか、フォンテがピノッキオ役ってことはないよね? それ、最高なんですけど。

 

文:オールドファッション幹太