京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ロケットマン』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年8月29日放送分
映画『ロケットマン』短評のDJ's カット版です。

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ロンドン郊外の町ピナーで、両親の愛を得られず育った少年レジナルド・ドワイト。誰にも教わっていないのにすらすらピアノが弾けてしまうなど、音楽の才能に恵まれていた彼は、国立音楽院に入学します。寂しさを紛らわせるためにロックにのめり込み、プロのミュージシャンになろうと、エルトン・ジョンと名乗るようになります。レコード会社に掛け合ったエルトンは、そこで同じく音楽の道を志していたバーニー・トーピンと巡り合い、ふたりは作詞バーニー、作曲・歌エルトンというコンビを組み、あれよあれよと成功への階段を駆け上がるのですが… 

キック・アス (字幕版) キングスマン: ゴールデン・サークル (字幕版)

今もなお現役で活躍するエルトン・ジョンの半生をミュージカル・ファンタジーとして描いてみせた監督は、あの『ボヘミアン・ラプソディー』のメガホンをブライアン・シンガーから途中で受け取って傑作へと仕上げたデクスター・フレッチャー。プロデューサーは、『キック・アス』や『キングスマン』を製作監督したマシュー・ヴォーンと、ヴォーンがかねてより大ファンだったというエルトン・ジョン本人。考えたら、エルトンは『キングスマン:ゴールデン・サークル』に出て大暴れしてましたから、信頼関係も構築されていたわけです。

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さらにさらに、主役、つまりエルトンに扮して歌声まで披露したのは、タロン・エジャトン。『キングスマン』シリーズの若きスパイ、エグジーを演じて大ブレイクし、『ゴールデン・サークル』では奇しくも、誘拐されたエルトン・ジョンを救出するという流れになってたわけですから、もうこれはタロン・エジャトンしかいないだろうっていうキャスティングだったんじゃないでしょうか。
 
それでは、制限時間3分の短評、そろそろいってみよう!

どうしたって『ボヘミアン・ラプソディー』と比較してしまうことにはなりますよね。UKロックの伝説的人物の伝記ものだし、フレディー・マーキュリーもエルトン・ジョンも性的マイノリティーのゲイだし、成功してからの奇抜なパフォーマンスや薬物依存、そしてスタッフとのトラブルなど、その人生を彩るトピックも似通っています。世界的に知られるヒットをたくさん持っているので、音楽映画としてその曲が全編で鳴りまくるのを楽しむという点も同じ。監督も同じなわけですから。似たような映画なんだろうなと思うじゃないですか(ポスターも対を成すようだし)。しかも、こと日本においては、エルトンの人気・知名度QUEENに少し劣るからなぁ、なんて余計な心配すらしながら劇場へ向かったところ、やっぱり観てみないことにはわかりませんよ。これが素晴らしかった。『ボヘミアン・ラプソディー』とはむしろかなり違った演出の映画で、なんならこっちの方が好きだって人もたくさん出てくるんじゃないかと僕は感じています。

ボヘミアン・ラプソディ (字幕版) f:id:djmasao:20190828151949j:plain

演出の決定的な違いは、こういうことです。『ロケットマン』は自分語りなんです。冒頭、アルコール依存症のグループセラピーの部屋へと悪魔モチーフの奇抜なステージ衣装に身を包んで入ってくる。というより、乗り込んでくる勢い。他の患者やセラピストと車座になって、落ち着きなく自分の人生を振り返っていく。つまりは、長い回想という構造を採用しているわけです。こうすることで、視点は主観となり、客観的な事実や、時系列からわりと自由になれるという利点があります。『ボヘミアン・ラプソディー』だと、史実と違うとか、順序や年号がおかしいといった声がファンから上がりましたが、『ロケットマン』の場合は最初から主観なんで、そんなことを意識して集中できなくなる人はいないんじゃないかな。これは英語のキャッチコピーですけど、based on true fantasyというフレーズが使われているんです。普通は、based on truthですよ。「史実に基づく物語」。ところが、これは「実在のファンタジーに基づく」ってこと。面白い表現ですよね。そして、これがまさにその通りというミュージカルになっています。

 
ボヘミアン・ラプソディー』の場合、主演のラミ・マレックは撮影現場でこそ歌っていたものの、完成した作品ではフレディーの本物の声をはめ込んでいました。あれは音楽を全編に使った劇映画でしたから。一方で『ロケットマン』の場合は、ミュージカルです。だから、歌声も主演のタロンのものが使われています。考えてみたら、タロン・エジャトンはアニメ映画『SING/シング』であのゴリラを担当していて、その時もエルトンの『I’m Still Standing』を歌っていました。エルトンは彼の歌唱力を非常に高く評価していて、安心して自分の歌を預けました。まとめれば、これはいわゆるリアルを追求した伝記映画ではなく、エルトンの音楽を使ってファンタジックに人生を表現するミュージカルなんです。その分、映像的な仕掛けもたくさん。誰もが忘れられないのは、『Crocodile Rock』のライブシーンでエルトンもお客も宙にふわっと浮いてしまう演出。プールやスタジアムでも映画ならではの表現を駆使していました。考えたら、プロデューサーは『キングスマン』のマシュー・ヴォーンとエルトンのふたりなんだもの。普通にやるわけないんですよ。そこがこの映画の何より楽しいところ。

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ただ、その楽しさは、コントラストとしてエルトンの強烈な孤独もより浮き彫りにします。両親に愛されなかったこと。異性愛者であるソングライティングのパートナー、バーニーへの切ない恋と友情。衣装がきらびやかになればなるほど、彼の心は反対に影が差していたことが、映画的説得力をもって十全に伝わってくる。ミュージカルというジャンルでないと表現できないやり方で、文字通り身体を使って歌でもってエモーショナルに描かれる。そんな波乱万丈の人生を送ってきた彼が、その後Sirとして認められ、社会貢献活動も行い、フレディーとは違って、今も生きているんです。音楽を作り、パートナーと養子の子育てをしている。He’s Still Standingなんです。『キングスマン:ゴールデン・サークル』での大立ち回りで爆笑をかっさらいもする。僕はそのことに深い感動を覚えました。
 
別にエルトンのファンでなくとも、彼の曲を知らなくとも、若い人でも、間違いなく楽しめます。特に難点も見当たらない傑作音楽映画がまた誕生したことをここに宣言します。

 

せっかくなんでと、オリジナルではなく、タロン・エジャトンの歌声をサントラからピックアップして放送しました。作詞家バーニーと一緒に作ってきた数々の名曲は、その多くが実はすごくプライベートな人生そのものを反映していたということにも震えます。もちろん、必ずしもエルトンの人生に寄せて聴かずとも良いことは、それぞれの歌の記録的な大ヒットが証明しているんですが、この映画を観ると、「そういうことだったのか」と心動かさずにはいられません。アカデミー賞でもきっと主要賞を獲得するだろうし、マサデミーの方でもかなり堅いのが現状ですよ。
 
 さ〜て、次回、2019年9月5日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『劇場版おっさんずラブ 〜LOVE or DEAD〜』です。これまた性的マイノリティーのお話ですが、毛色はもちろんまったく違う。僕はドラマを追いかけていなかったんですが、たとえすべて見返さなくとも、お話自体は基本的に独立しているようですね。僕は来週は休暇のため放送そのものは代演してもらうのですが、このコーナーについては事前収録したものをオンエアします。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!