京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『トスカーナの幸せレシピ』レビュー第2弾

どうも、僕です。野村雅夫です。現在全国順次上映中のイタリア映画『トスカーナの幸せレシピ』。先日公開したココナツくにこによるレビューに続き、今度は料理業界にいるセサミあゆみのペンによるものをご賞味あれ。

海外の超一流店で料理の腕を磨き、開業したレストランも成功させた人気シェフのアルトゥーロ(ヴィニーチョ・マルキオーニ)。しかし、共同経営者に店の権利を奪われたことで暴力事件を起こし、順風満帆だった人生から転落。地位も名誉も信頼も失った彼は、社会奉仕活動を命じられ、自立支援施設「サン・ドナート園」でアスペルガー症候群の若者たちに料理を教えることになった。 無邪気な生徒たちと、少々荒っぽい気質の料理人の間には、初日からギクシャクした空気が流れる。だがそんな生徒のなかに、ほんの少し味見をしただけで食材やスパイスを完璧に言い当てられる「絶対味覚」を持つ天才青年グイードルイージ・フェデーレ)がいた。祖父母に育てられたグイードが料理人として自立できれば、家族も安心するだろうと考えた施設で働く自立支援者のアンナ(ヴァレリア・ソラリーノ)の後押しもあり、グイードは「若手料理人コンテスト」へ出場することになった。アルトゥーロを運転手にして、グイードは祖父母のオンボロ自動車に乗り込み、コンテストが開催されるトスカーナまでの奇妙な二人旅が始まる。

 

監督:フランチェスコ・ファラスキ

脚本:フィリッポ・ボローニャ、ウーゴ・キーティ、フランチェスコ・ファラスキ

出演:ヴィニーチョ・マルキオーニ、ヴァレリア・ソラリーノ、ルイージ・フェデーレ

原題:Quanto basta

配給:ハーク

2018年、92分

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トスカーナの幸せレシピ』おいしいトスカーナを探して

 

原題“Quanto basta”はレシピの用語では「適量」の意。『トスカーナの幸せレシピ』という邦題はなんだかおいしそう。イタリア映画でミシュランの星はどう描かれるのかしら。料理の世界の端の影に属して十数年、おいしいものにはますます目がなくなっている私にはちょうどいい映画かもしれないと思いつつ、鑑賞。

 

個性豊かな登場人物の料理人たちを通して、料理の面から映画を振り返ってみたい。まず、元・三ツ星シェフのアルトゥーロ。暴力沙汰を起こして、刑務所に収監された後、出所。社会奉仕活動を命じられて、自立支援施設サン・ドナート園で料理を教えることになり、そこでグイドに出会う。

 

そのサン・ドナート園での料理教室の一場面。バルサミコ酢を使うアマトリチャーナのレシピを試してみたいと言うグイドに、アルトゥーロは「アマトリチャーナバルサミコ酢なんてありえない」と反論。さらに「トマトソースのスパゲッティが最高だ。チョコレート風味の料理なんて、クソくらえだ」というような格言めいた言葉を続ける。

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現実のイタリア三ツ星シェフが作るトマトソースのパスタといったら、透明なトマトウォーターを使ったハインツ・ベックのスパゲッティが思い浮かんだ。アルトゥーロはクラシックを愛しているらしいが、トマトソースに見えない透明なトマトソースを受け入れるかどうか。彼がどんな料理で三つ星を取ったのか、気になるところ。

 

そして、アルトゥーロのライバルがマリナーリ。元々、アルトゥーロとマリナーリは同じ師匠に師事していて共同経営で店を開いたけれど、マリナーリはうまいことやって、店を自分だけのものにしてしまったよう。そして、現在四ツ星シェフ。あれ、ミシュランはいつの間に星を四つもあげるようになったんだろう。星付き店舗を複数経営していて、合計で四ツ星なのだとしたら、経営も含めた敏腕シェフだけれども、まあ、ファンタジーということにしておこう。

 

イタリアでの映画批評では、マリナーリのモデルとして、カルロ・クラッコという実在のシェフが想像されるという話がちらほら見えた。クラッコはマリナーリと同じようにテレビでも活躍する高級レストランのシェフ。たしかに、言われてみれば、二人の見た目もなんだか少し似ている?かもしれない。過去には、アマトリチャーナ協会とアマトリチャーナの作り方で一悶着あったようなので、先のアルトゥーロのアマトリチャーナ発言も、クラッコを匂わせたものなのか。

 

イタリア人の料理に対する保守的ぶりといったら、少なくとも、私の知っている十数年前には、なかなかのものだった。外国の料理に寛容な日本でさえ、「おふくろの味」という表現がまだ見られるけれど、イタリアの「マンマの手料理」や「自分のとこの料理」の呪縛はすさまじい。監督のファレスキもひょっとしたら、見慣れない食材の組み合わせや、小さなポーションできれいに盛られた皿が次々に出てくる高級料理を好まないのかもしれない。なぜって、クラッコはそんな人たちから標的にされているような節があるから。ミラノのガッレリーア(日本なら、銀座の一等地を思い浮かべるのがいい)に出しているカフェが高すぎると批判されたり、料理番組で鳩を使えば、動物愛護団体咎められたりと、気の毒に思うところもある。

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作中では、そんなクラッコをモデルにしたらしいマリナーリの解釈した「メディチ家風ティンバッロ」という料理が出てくる。パイ生地で詰め物を包んだ料理で、その詰め物は牛肉などの具材をベシャメルソースで和えたマカロニ。マリナーリのレシピでは、この重たそうな宮廷料理の焼き上がりに、ココアパウダーを振り掛けるという。

 

そこでアルトゥーロの「チョコレート風味クソくらえ」発言が関連してくるのだけれど、アルトゥーロはマリナーリの過去の料理を思い出して、その発言をしたのかな。すると、マリナーリは料理にチョコレート風味を使いがち、ということになる。いやいや、そんな星付きシェフはいないだろう。それではいくらなんでも脚本が浅すぎる、なんていろいろと考えてしまう。

 

最後に、未来の料理人、グイド。料理を食べると何が使われているのか当てられるという、絶対音感ならぬ、いわば絶対味覚の持ち主。でも、バルサミコ酢を使うアマトリチャーナを試しに作ってみたいと言うんだから、頭の中で味の足し算もある程度できるというのではない様子。

 

そしてアスペルガー症候群を患う彼にとって、レシピの「適量」はあいまいで難しい。「おいしい料理に仕上げるのに、必要だと思うだけ入れればいい。自分で決めるんだ」とアルトゥーロに諭されて、その後には、グイドが味見をするシーンが何度か挿入されている。

 

厨房では、食材の状態も環境も、日々変わっていく。自分の感覚で決断することが求められる厨房で、彼は活躍していけるのか。料理人になる若者を育てる機関に勤める者としては、彼が歩む未来を見てみたい。

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こんな料理人たちが登場しているとはいえ、今さらだけれども、実はこの映画には、料理はあまり出てこない。「塩だらのフィレンツェ風」の盛りつけと、例のティンバッロは作業工程や出来上がりが少々。他にも、調理作業や厨房の様子のシーンが少しずつ。監督が「料理の世界を舞台としただけ」と発言していたようで、まさにその通りといった印象。飲食業界を取材した感じでもなく、所作指導もたいしてありそうにもなし。食べることや業界への愛はそんなに感じられない。というわけで、私のように邦題につられて、おいしそうな料理や料理の世界を期待して臨むのはおすすめしない。

 

トスカーナの幸せレシピ」の醍醐味はやっぱり、多様性の理解について描いた物語の方。それぞれに困ったところのあるでこぼこコンビが旅を通して友情を育み、成長していく。大きな波風は立たないし、極悪人も登場しないけれど、ゆったりと安心できる穏やかな流れを楽しんだらいいんだろう。

 

<文:セサミあゆみ>