京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月31日放送分
映画『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』短評のDJ'sカット版です。

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(C)THE DEATH AND LIFE OF JOHN F. DONOVAN INC., UK DONOVAN LTD.
大ヒットTVシリーズに出演して、一躍スターとなった俳優のジョン・F・ドノヴァン。彼が若くして死ぬところから物語は始まります。自殺か、事故か、はたまた事件なのか。世間を騒がせるこの死の前に発覚していたのは、ジョンがイギリスに住む11歳の少年ルパート・ターナーと文通を続けていたということ。10年後、100通を越えるふたりの往復書簡が本になります。新進気鋭の俳優になったルパートは、すべてを明かすと著名なジャーナリストの取材で宣言。ジョンとルパート、それぞれの人生が語られていきます。

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(C)THE DEATH AND LIFE OF JOHN F. DONOVAN INC., UK DONOVAN LTD.
原案、脚本、監督、編集、そしてプロデュースのすべてを手掛けるのは、現在31歳、カナダのグザヴィエ・ドラン。2009年の『マイ・マザー』でデビューを飾り、『Mommy/マミー』『たかが世界の終わり』と、毎度話題を呼び、評価を獲得してきた彼が、ハリウッドで活躍する豪華キャストを率い、母語のフランス語ではなく、初めて英語で撮った映画となります。
 
ジョン・F・ドノヴァンを演じるのは、ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』で名を上げたキット・ハリントン。ルパート少年に扮したのは、『ルーム』で天才子役だと注目されたジェイコブ・トレンブレイ。他にも、ルパートの母をナタリー・ポートマン、ジョンのマネージャーをキャシー・ベイツが担当しています。
 
僕は先週木曜日の昼下がり、大阪ステーションシティシネマで鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評いってみよう!

グザヴィエ・ドランには、一貫した作家性があります。たとえば性的マイノリティだったり障害を抱えていたりして社会の中で自己をうまく規定できない主人公が、最も身近な母親と正面切ってぶつかりながら、自分なりの生き方を模索するという物語を撮り続けています。今回もそうですよね。ジョンにしろ、ルパートにしろ、常に母との関係が軸になっています。愛してはいるけれど、いや、愛するがゆえに、時に辛辣な言葉を投げつけてしまう。それでも、愛するがゆえに、和解を求めもする。赤い糸ではなく、へその緒が切っても切れないという感じもあります。何らかの理由によって父親・父性が不在である点も、そこに拍車をかけます。だから、ドランの映画を観るのは、往々にしてとても苦しいのだけれど、ありものの音楽を巧みに使い、画面の縦横比を途中で切り替えるなど、映画表現の可能性を追求する独自の方法で観客のエモーションを解放したりするので、あの鑑賞体験はドランの作品でしかありえないと、この若きヒーロー監督から目が離せなくなる。そうやって、彼はこの10年の間に、カンヌやヴェネツィアで称賛されてきました。彼がカルトたる所以です。

マイ・マザー(字幕版) トム・アット・ザ・ファーム(字幕版)

毎度毎度ハードルは高くなっているのが気の毒ではありますが、今回もテーマに大きな変更がないとすれば、彼はどこに創作の動機、モチベーションを感じていたのか。それは、語り口なんだろうと思います。少なくとも映像面で、僕にははっきりと新しいなと感じる要素はなくて、一定のスタイルを確立したからこそ、今度はごくごくパーソナルな話を、もっと視野を拡大して描くというところに注力したんだと思います。
 
女優を目指していた母親とルパート少年が異郷の地ロンドンで送る生活。ドラマの成功で一気に知名度が上がったけれど、その状況に適応できず、ゲイである自分を偽ることにも疲弊していくジョン。地理的にも社会的にも年齢的にも離れてはいるけれど、それぞれにもがくふたりが手紙を通して密かにつながっているという構図はユニークです。しかも、このふたつの話をさらに大きく括弧でくくるように、10年経ってからルパートが黒人のやり手ジャーナリストからインタビューを受けて全体を回想するという、考えてみると結構ややこしい構造の映画にしてあるんです。おそらくは、わざと、つまり意欲的に。

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(C)THE DEATH AND LIFE OF JOHN F. DONOVAN INC., UK DONOVAN LTD.

映画って現実という牢獄からのエスケープという側面もありますよね。自分の暮らしとは違う、別の現実を、たった2時間の虚構であるかもしれないけれど、生きることができるし、その経験はかけがえのないものとなって、観る者の脳裏に刻み込まれる。ルパートがジョンにファンレターを送ったように、ドランが『タイタニック』を観てディカプリオにファンレターを送ったように、その現実と虚構の関係があります。ジョンは自分のアイデンティティに悩む現実を世間に対しては隠す、虚構にしなければいけないという現実もある。最後にリバー・フェニックスのオマージュが出てきますが、ドランが理想としてのスター像をルパートに、あの晴れ晴れとしていたいけな表情に反映させたからでしょう。キャスティングも、役柄と俳優のキャリアをダブらせたりしていて、よく考えられている。こうした入り組んだ、込み入った構図をひとつの物語にまとめようとしたんだと思いますが、その意欲は買うけれど、正直なところ、うまくまとめきらなかったというのも現実だと思います。これ、今のバージョンになる前は尺が4時間に膨れ上がっていたらしいですが、それを編集で何とか強引に2時間にした傷跡があちこちに見受けられる。それぞれのシーン・シークエンス単位では拍手できるところも多いものの、そもそもが語りで成立しているという事情もあってセリフが多く、それぞれのシーンのつながりに継ぎ接ぎ感もある。

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(C)THE DEATH AND LIFE OF JOHN F. DONOVAN INC., UK DONOVAN LTD.

とはいえ、あちこちに眼を見張る、耳をダンボにするシーンがあることも事実。最後に流れるThe VerbeのBittersweet Symphonyよろしく、映画的な出来栄えも甘くも苦くもあるなというのが現時点での僕の想いです。って、ちとくさしてるように思うでしょうが、はっきり言って、かなり高度なレベルに達した上でのことだっていう前提がありますので、まだドランを観たことがないという方は、これを機に過去作も含めてぜひ見逃さないようにしてください。
ベン・E・キングでもジョン・レノンでもなく、Florence + The Machineのバージョンでこの曲が流れるところだけでも、好き嫌いは別として、ドランの映画的才能がいかんなく発揮されるところで、僕としてはもう一度二度三度、この映画を観たいなと思います。


さ〜て、次回、2020年4月6日(火)に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、とすんなりいきたいところですが… 新型コロナウィルスCOVID-19をめぐる現況を踏まえ、来週からしばらくは、このコーナーで扱いそこねた、つまりは僕が外した「準新作」と言えるものをおみくじに入れて、言わば敗者復活的に作品を選んでいこうと決めました。基本的に配信やソフト化されているものなので、なんならいつもよりもずっと気軽に観られるかもしれません。普段は映画館へ出かけられていないという方も、これを機に映画をふたつの意味で見直していただければ。

 

で、僕が引き当てたのは、西島秀俊西田敏行が共演した変わり種のヤクザもので、コメディーの『任侠学園』でした。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!