京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『透明人間』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月11日放送分
映画『透明人間』短評のDJ'sカット版です。

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(C)2020 Universal Pictures
天才科学者にして大富豪のエイドリアン。彼のパートナーであるセシリアは、DVを受けたり、生活のあらゆる局面で過度に干渉されたりしていたところを、ある夜、事前に練っていた家からの脱出計画を命からがら実行します。彼女は知人の男性警官とその娘の住む家にかくまわれるのですが、トラウマはまだまだ癒えない状況。そんな中、ものが勝手に動いたりする不可解な出来事が身の回りで起こるようになります。まるで見えない何かがそこにいるかのように。
 
1933年、ジェイムズ・ホエールという監督が初めて映画にした透明人間。映画ならではのトリックで観客の興味を引っ張るキャラクターとして、すっかり定着してきました。繰り返しの銀幕登場で、飽きられていた感もありますが、久々にリブートしてみせたのは、監督・脚本を務めたリー・ワネル。現在43歳。オーストラリアの方で、『ソウ』シリーズの脚本、製作、出演をしている人です。

ソウ (字幕版) 

透明人間は基本透明なので脇へおきまして、主人公セシリアを演じたのは、エリザベス・モス。彼女をかくまう警察官には、オルディス・ホッジが扮しています。
 
僕は先週木曜日の昼過ぎ、Tジョイ京都で鑑賞してまいりましたよ。お客さんは、ホラー映画らしく、カップルや若い人を中心にかなり入ってました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

マッド・サイエンティストが、透明になる薬品を使って姿を消して、騒動を起こす。これは映画には格好の題材なわけです。透明になっていくプロセスをどう見せるか。透明化してからは「見えない」ということをどう見せるか。時代によって、その折々の技術をどう駆使するかが、映画人の腕の見せどころというキャラクター、透明人間です。でも、なんか久々に見たって感じがしますよね。マーヴェルみたいなSFXオンパレードの映像に慣れた現代の観客を素朴に驚かせるのは結構難しいですよ。ただ、僕、個人的には今年「透明人間もの」を観るのは2本目でして、イタリアの『インビジブル・スクワッド』っていうのを、サブスクリプション・サービスで春に鑑賞していたんです。これは少年がある日突然透明人間になってしまうというもの。これはこれで、なかなか面白くて、前半は学園もの、後半はマーヴェル的な展開を見せるという、イタリア映画のイメージを覆すヒーローものでした。一方、今作は本格サスペンス・ホラーです。

インビ​ジブル・スクワッド(字幕版) 

まず、舞台がすばらしくて、冒頭から、海辺の切り立った崖の上にある、コンクリート打ちっぱなしの無機質な豪邸がポツンとある。まだ様子はよくわからないけれど、主人公のセシリアは夜中に目を覚まして、親しげに自分を抱きながら眠るパートナーの手をそっと払い除けて、脱走を図るんですが、個人宅ではありえない、寝室の監視カメラを筆頭に、セコムもアルソックもびっくり仰天ってレベルのセキュリティ・システムが敷いてあって、すべては見せずとも、彼女の一挙手一投足がいかに管理されていたのかが伝わってきます。この家はやばい、と。つまり、主はやばい、と。この冒頭の逃走劇で、波が岩に打ち付ける音や飼い犬の食事用の皿の金属音と共に高らかに表明されるのは、この映画、音でもしっかり怖がらせていきますんでっていうことです。

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(C)2020 Universal Pictures

そして、特徴としては、透明人間の見せ方ですね。実は、そんなに変わったことはしてません。勝手にコンロの火が強火になるとか、包丁が動き出すとか、画面上の動きは、比較的小さな出来事から始まって、それがだんだんエスカレートしていくというもの。なんですが、巧みなのは、透明人間の性質、つまり観客の目にも見えないという特性を活かした怖がらせ方です。特に序盤、フリとして、誰もいない場所にカメラをよく向けるんです。結果として、そこでは何も起こらないことも多いんです。でも、劇映画で登場人物が映っていない画面を繰り返し見せるというのは普通はやらないことなので、僕ら観客も、セシリア同様、だんだん疑心暗鬼になるんですよ。ベンジャミン・ウォルフィッシュの手掛ける、重低音ビリビリでチェロとかそういう弦楽器で巧みに怖がらせる音楽もあいまって、もう何もなくても怖くなる。

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(C)2020 Universal Pictures

ただ、この映画の本当に怖いのは、ここから。というのも、誰が透明人間って、最初からわかってます。セシリアのパートナーです。でも、あのマッド・サイエンティストがどうやって透明になるのか。というより、彼は彼女が逃亡後、自殺したという知らせが届くので、これはどうなっているんだと、話の展開もいくつかどんでん返しが待っている。のですが、そこは恐怖よりも謎じゃないですか。怖いのは、中盤以降、実はもっと心理的な要素が僕らをすくみ上がらせるサイコ・スリラーであることが明るみに出ます。人間が人間を完全に所有したり、操ろうとしたりする、底抜けに利己的な欲望。自分の言っていることが誰にも伝わらない、信じてもらえなくて孤立無援となる恐怖。大事な人に危険が及ぶ不安。そして、失うものが無くなったと感じた時の人間の復讐心… こうした要素が重層的に波状攻撃で襲いかかるので、大変です。でも、根底には、女性の自立というテーマがありまして、それに透明人間という手垢のついたとも言えるモチーフを重ねてみせたところが、リー・ワネル監督の功績でしょう。
 
後で冷静に振り返ると、あの透明人間の移動手段とか気になるところもあるにはあるんですが、兎にも角にも、観ている間は手に汗握りっぱなし。自主映画からスタートして、低予算のアイデア勝負で場数を踏んできた監督の手腕が光る一本。エリザベス・モスの怪演も含めて、腹の底から寒くなる体験を映画館でどうぞ。
劇中、珍しく楽しげな場面で流れるのが、シアトルのソウルバンド、The Dip。こういう新しい音を見つけてくるセンスもいいなと感じます。

 さ〜て、次回、2020年8月18日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ジョーンの秘密』です。予告でもジュディ・デンチの表情に鬼気迫るものがありますね。原爆についての機密をめぐるスパイの話とあって、興味は今からかなり湧いています。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!