京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月20日放送分
映画『82年生まれ、キム・ジヨン』短評のDJ'sカット版です。

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© 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.
現代、韓国・ソウルの集合住宅。仕事のできる優しい夫がいて、2歳の娘と暮らしているキム・ジヨン。彼女には広告代理店という華麗な勤め口があったものの、出産を機に主婦となり、家で家事と育児に追われる日々。一見して何不自由ない幸せな暮らしのようには見えるのですが、その実、自分と夫、それぞれの実家との関係や、妻、そして母という役割にがんじがらめになっていて、ジヨンは深く傷ついています。心身とも追い詰められた彼女は、自分の気づかないうちに、彼女に憑依した別人の言葉を語るようになっていきます。

82年生まれ、キム・ジヨン 新感染 ファイナル・エクスプレス(字幕版) 

原作は、韓国の作家チョ・ナムジュが2016年に出版した同名小説。韓国では130万部を超えるベストセラーとなり、あれよあれよという間に世界22ヶ国で翻訳されました。日本でも、その人気は抜群で、翻訳小説としては異例の20万部を売り上げています。
 
監督は、この作品の制作会社、春風映画社の創設者にして、これが長編デビューとなるキム・ドヨン。ふたりの子どもを育てる女性で、長く演劇の世界で女優として活動してきた方です。ややこしいんだけど、主人公のキム・ジヨンを演じたのは、チョン・ユミ。夫にはコン・ユが扮しています。このふたりは、『新感染 ファイナル・エクスプレス』でも共演していますが、これが3度目にして、初の夫婦役です。
 
僕は先週木曜日の夜に、MOVIX京都で観てきました。女性が多めという印象はありましたが、結構入ってましたね。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

まず原作の時点で、特に韓国では賛否両論があったと聞いています。儒教的な価値観の悪しき側面が浮き彫りになり、いかに女性差別が深く根を張っているかがえぐられたりするわけですから、アラフォー女性の人生を軸に、そこであぐらをかいてきた男どもにナイフを突きつけるようなものってのは、自国の伝統や文化を否定されたなんて思う人がいてもおかしくないわけで、アンチもたくさん生まれたってのも、そりゃそうだろうなと察しが付きます。ただ、それもあいまってと言うべきか、この映画は大ヒットしました。キム・ジヨンという名前は、韓国で一番多い名字のキムと、82年に生まれた女性で一番多い名前を組み合わせた、言わばありふれた名前です。興味深いのは、現代韓国女性の平均的生きづらさが、多くの国や地域の女性の共感を得たこと。韓国に固有のローカルな問題もあるけれど、一方で女性の生きづらさ、もっと言うと、生まれた時点で平等ではない社会に生きていると感じる人たちが世界中にいるというグローバルな問題の核心に触れているということだと思います。
 
極めて残念ながら、世界経済フォーラムにて今年発表された世界男女平等ランキングにおいて、対象の153カ国中、121位、G7で最下位、総合的に韓国よりも少し低いという日本です。だから、映画の受け止め方にも、さぞかし賛否が渦巻いているのだろうと、レビューや評を探ると、絶賛の意見も、アンチフェミニズム的な批判、的外れも含め、そういうのは想定内として、これまた興味深いのは、原作よりもその強いメッセージが後退してしまっているという批判がいくつも目についたことです。要は、映画版が日和っていると。

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ここで、原作未読、映画のみ鑑賞した僕の立場を表明しておきます。かなり良くできてるでしょうよ! ヒリヒリきましたよ。そして、これはあるある、普通に見聞きする話だぜって感心しながら観ていました。
 
確かに原作からの脚色は、かなりあるんですよね。そもそもが、小説はキム・ジヨンのかかった男性精神科医によるカルテ、報告書の体裁を取っていて、その構造が最後に活かされる仕掛けもあります。映画では、まず精神科医は女性だし、その医者への受診を夫がサポートします。原作では傍観者にすぎない夫が、映画ではサポートしている。結果として、ラストも違います。映画だと絶望の向こうに光が見える構成にしてあります。それをもって、そんな甘いもんじゃないのに、とか、夫婦愛で乗り越えられるようなもんじゃないだろ、とか、批判が出てくると。

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確かにそうかも知れません。実際、日本の宣伝用ポスターを見ると、優しい夫が寄り添ってくれるイメージなんですよ。本の表紙とまったく違う。むしろですね、比較的理解のあるように表面的には見える夫ですら対処不能に陥るような事態が進行しているわけです。要するに、社会構造的な問題であって、個人レベルで一気に解決なんてできないんですよ。それぞれの両親との関係。会社での圧倒的不公正。都会の核家族における育児・家事のワンオペ。産後うつ。子連れの母親への街なかでの無理解どころか嫌がらせ。痴漢、盗撮などの性暴力… でもね、韓国にしろ、日本にしろ、少しはより良くしたいと考える男性ももちろんいるわけです。そういう男性の存在を描いたことは間違いじゃないし、そんな程度では焼け石に水だってことも描けていたと思います。そして、原作にはないキム・ジヨン怒りの発言、痴漢のくだりのスカーフの女性、実の母親の気丈な振る舞いなど、映画には映画のアプローチがあったと考えるべきです。男性上位の社会に順応した結果、むしろ男性優位に加担してしまう女性の存在を入れたことも、僕は評価したいです。
 
キム・ドヨン監督は、画面の陰影の付け方もうまいし、役者出身だけあって演技もうまく引き出していました。主演のチョン・ユミさんの、場面ごとの表情の変化のつけ方は圧倒的。すべて、劇映画として極めて高いレベルにあります。楽しいだけの娯楽作ではないけれど、僕ら誰しもが関わることですよ。女性もそうだけど、特に男性こそ絶対に観るべき。語弊を恐れずに言いますが、すごく面白い作品でした。 
韓国のシンガーソングライターHen、ゆらゆらという邦題が付いています。この曲の歌詞の訳を読みながらのエンディング。実に余韻がありました。


さ〜て、次回、2020年10月27日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『スパイの妻 劇場版』です。「『TENET』当ててねっと」というリスナーの願いも虚しく、今回も当たりませんでしたね。候補作に入れるのも、来週が最後かな。とはいえ、何とか開催された今年のヴェネツィア国際映画祭で監督賞を受賞した黒沢清監督の最新作。いいじゃないですか! 神戸が舞台でもあるし、僕は俄然興味が湧いていますよ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!