京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『パピチャ 未来へのランウェイ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月10放送分
映画『パピチャ 未来へのランウェイ』短評のDJ'sカット版です。

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90年代のアルジェリア、首都のアルジェ。当時はイスラム原理主義の台頭によってテロが頻発。伝統的な価値観に基づいて、女性はヒジャブを着るべきだとする啓発ポスターを街のあちこちで見かけるような状況でした。そんな中、ファッションデザイナーを目指し、夜には学生寮を抜け出してクラブへ踊りに行くような奔放な主人公のネジュマ。ある日起きた悲劇をきっかけに、彼女は大学内でファッションショーを開催することを目指します。
 
カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品されるや話題を呼んだこの作品。監督・脚本は、78年生まれでアルジェリア育ちの女性ムニア・メドゥール。彼女自身があのアルジェリア「暗黒の10年」を過ごし、自分を投影したというネジュマに扮したのは、リナ・クードリ。彼女もやはりアルジェリア出身。2歳でフランスへ家族みんなで移住した方。ウェス・アンダーソンの新作にも出演してティモシー・シャラメの相手役を務めるなど、注目の俳優です。
 
僕は先週木曜日の昼下がりに京都シネマで観てまいりました。かなり入ってまして、関心の高さがうかがえました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
まずタイトルのパピチャという言葉、これはアルジェリアスラングで、「愉快で魅力的、常識にとらわれない自由な女性」という意味なんだそうです。アルジェリアアラビア語圏ですが、アラビア語の方言と、旧宗主国フランス語とアラビア語のミックスされたような言葉、そして大学の授業なんかでは完全にフランス語と、この作品にはそれぞれの立場や考え方によって複数の言語が登場します。そもそもあの国は1830年にフランスの植民地になりますが、その後戦争状態となる独立運動を経て、1962年に独立。社会主義国になります。この独立のプロセスを描いた『アルジェ最後の戦い』という名作もあります。で、80年代後半には石油価格の下落から経済が混乱をきたすようになり、民主化を求める反体制運動が高まって、一党独裁ではなくなるんですが、そこで選挙で力をつけてくるのが、イスラム原理主義政党。急激な都市化と、それに伴う地方格差や生活の困窮が、特に若者たちの支持を集めながら、軍事政権と対立する格好になります。そのイスラム原理主義も分裂して派閥争いを繰り返したりと、内戦状態に入った。ざっくりそれが90年代のアルジェリアで、15万人の一般市民が亡くなったと言われているそうです。

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©2019 HIGH SEA PRODUCTION – THE INK CONNECTION – TAYDA FILM – SCOPE PICTURES – TRIBUS P FILMS –– JOUR2FETE – CREAMINAL - CALESON – CADC

メドゥール監督と僕は同い年なので、90年代後半に大学生になるわけです。だから、場所はまったく違えど、親近感を覚えながら観始めました。僕の通っていた大阪外国語大学は女子も多かったし、将来は海外へ出たいとか、地方から大阪へ来て夢をそれぞれにみんな語ってた。クラブに行ったり、コンパをしたり、付き合ったり、別れたり。もちろん、勉強もして。それが大学生じゃないかと。ところが、こうも違う現実を彼女たちは生きていたのかと、かなり打ちのめされました。女性であるというただそれだけで、あれもだめ、これもだめ。
 
興味深いのは、それが男性ばかりでなく、若い女性たちからも、そうした声が出てくることです。「ヒジャブを身につけて肌の露出を控えろ」「タバコを吸うとは何ごとだ」「不浄とされる左手でコップを持つなんて」「このやかましい音楽はなんだ」「女が外出をして何かするには家の男の許可が必要」。イスラム教徒は世界に18億人ほどいると言われています。どんな宗教でもそうですけど、今挙げたような教義というか倫理・慣習ってのは極端なものであって、相当ゆるい地域や人から、かなり厳格なケースまで、さまざまなグラデーションがあります。物語の始まった頃のアルジェは、まだ緩かったんですよ。夜間の車の検閲とかあってきな臭いムードはあったけれど、寮の敷地のフェンスが象徴するように、社会に隙間があった。ところが、徐々にムードが彼女たちにとって居心地の悪いものになっていきます。それをまた象徴するのが、寮のフェンスが壁になること。しかも、すごく嫌なのは、これは政府によるファシズム的な支配ではなく、ある種の相互監視が起きるわけです。あそこの家の娘は奔放すぎるんじゃないか。あいつの彼女は女らしからぬ価値観の持ち主だ。今年の日本では流行語ノミネートに自粛警察が入りましたが、あれのもっと過酷なやつです。銃まで出回ってるわけだから。

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©2019 HIGH SEA PRODUCTION – THE INK CONNECTION – TAYDA FILM – SCOPE PICTURES – TRIBUS P FILMS –– JOUR2FETE – CREAMINAL - CALESON – CADC

そのあたりの社会の空気の変化をメドゥール監督は巧みに物語ります。ネジュマがよく出入りする生地屋さんや、寮母、寮の警備員、つるむ学生たち、母親… 街の景色もそうだけど、顔のわかる登場人物の言動の変化をじわじわ見せてくれます。手持ちカメラを使ったり、寄りの絵が多かったり、いわゆるドキュメンタリーっぽい撮り方をしているから気づきにくいんですが、設定も脚本もカメラワークも、実は相当細かく念入りに準備されています。主人公のネジュマは、そんな状況にあって、イスラームの文化をないがしろにする、ただの西洋かぶれかっていうと、決してそうではないんですね。彼女は確かに自由を尊ぶ、あの環境ではぶっ飛んで見える人だけれど、アルジェリアの風土と人を愛してもいて、標的にされがちだった多くの知識人のようにヨーロッパへ移住するつもりはないんですよ。何があっても、私はここで生きていく。ファッション・デザイナーを目指すからといって、フランス語もできるから、とりあえずパリへっていう発想はないんですよ。
 
ある強烈な出来事があった後、彼女が取り組むのは、アルジェリアの女性がまとう、シルクの布、ハイクというもの。その伝統的なハイクをどうかっこよくアレンジするか。そうやって、いつ弾圧されるかわからずとも、彼女は命がけのファッションショーに邁進します。僕が注目してほしいなと思ったのは、ネジュマの手です。映画を通して、繰り返し出てくるモチーフです。その手が血に染まることもあれば、大地を掘り起こし、結婚前に妊娠した友達のお腹を撫で、タバコに火を付け、何より布を裁ち、縫っていく。正直、観終わってからも、重い衝撃が僕の胸にズンと残っていますが、希望も彼女の手に宿っていると僕は解釈しています。

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©2019 HIGH SEA PRODUCTION – THE INK CONNECTION – TAYDA FILM – SCOPE PICTURES – TRIBUS P FILMS –– JOUR2FETE – CREAMINAL - CALESON – CADC

この前は、韓国の『82年生まれ、キム・ジヨン』を高く評価しました。地域は違いますが、自覚的であれ無自覚であれ、女性たちが男性優位の社会で卑屈にならざるをえない状況を克明に描き、そこからの脱却を目指す勇気ある女性の姿を映像にする女性監督が活躍することに、僕は大いなるエールを贈りたい。すばらしい作品でした。
 彼女たちが寮を抜け出して白タクに乗って、クラブへ。そこで流れていたのがこの曲でした。


さ〜て、次回、2020年11月17日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ストックホルム・ケース』です。人質にとられたり、誘拐された被害者が、どういうわけか加害者に惹かれてしまうという心理状態を表す言葉「ストックホルム症候群」の由来となった事件が映画化されました。主演イーサン・ホークの役柄が僕に似ている、いや、僕がイーサン・ホークの役柄に似ている(どっちでもいい)という話も聞いていますから、これは他人事ではありませんぞ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!