京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『エイブのキッチンストーリー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月8日放送分
映画『エイブのキッチンストーリー』短評のDJ'sカット版です。

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なんだか知らないけれど、「エイプのキッチン・ストーリー」って予定表に入力してしまっていたんですが、エイプ、類人猿の料理の話ではありません。12歳の少年エイブくんの物語。舞台はニューヨークのブルックリン。デジタルネイティブ世代、エイブくんの家庭は少々複雑。母親はイスラエル人、父親はパレスティナ人。ふたりとも無宗教ではあるものの、双方の両親や親戚の信仰まではコントロールできないし、習慣やもろもろの儀式も違うとあって、なかなか大変。そんな環境でエイブが夢中になっているのは、料理。ある日、フュージョン料理を作るブラジル人シェフ、チコとの出会いが彼に大いなる刺激を与えます。
 
物語の原案と監督を務めたのは、81年生まれ、ブラジル出身でユダヤ系の若手映像作家、フェルナンド・グロスタイン・アンドラーデ。脚本はパレスティナアメリカ人のラミース・イサックとジェイコブ・カデルに頼み、撮影はイタリア人といった具合に、スタッフもかなり国際色豊かです。主演はNetflixのSFホラーシリーズ「ストレンジャー・シングス」で一躍スターとなったノア・シュナップで、彼の映画初主演作となります。ちなみに、現在公開中の『アーニャは、きっと来る』も彼の主演作。引っ張りだこなのがうかがえますね。
 
僕は先週水曜日の昼過ぎに京都シネマで観てまいりました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
 

昨今、日本だけでなく、世界のあちこちで分断の時代と言われていますね。グローバル化が進んだ一方で、民族・宗教・政治的スタンスなど、それぞれの特性によって似た者同士が近づく一方、それぞれの集団同士は交わらず、理解し合うことがなくなってきている。こうした、たとえばカルチャーギャップが引き起こす軋轢ですけれども、考えてみれば別に最近始まったものではありませんね。それこそ、エイプの時代からあったものだと思います。古くからの問題がここにきて複雑化し、ネットで急加速した高度情報化社会によって、ますますのっぴきならないものになっている状況なんでしょう。争いはないほうが良いけれど、接触・交錯・衝突がやがては融和し、その先に生まれる新しいものってのも必ずあるわけですよ。そんな融和を促してくれるものに、恋と料理があるわけです。

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© 2019 Spray Films S.A.

恋の賜物としてのエイブのような子どもがいて、料理の場合だと、新しいレシピが僕たちの舌と胃袋を満たしてくれる。その最先端の場所のひとつとして、ブルックリンが今回は舞台になっているんだと思います。それにしても、ですよ。ユダヤ教イスラム教ってだけでなく、イスラエルパレスティナの領土問題まであの小さなエイブの家庭の外堀にあるってんですから、まぁ大変です。ここでひとつツイストしてあるのが、両親が結婚を機に無宗教を選択しているということですね。積極的には宗教的なことはしないんだと。ただ、宗教から完全に離れているかというと、そうでもないんですね。結局、親や親戚も近くに住んでいるから、それなりの頻度で会うわけで、彼らが日常的に行っている祈りや儀式、習慣の影響から免れることはできないわけです。このあたりの描写と感覚は非常によくわかります。僕のイタリア人の母も無宗教ですが、向こうのクリスマスの街の雰囲気を懐かしんで話すこともあるわけです。結局、信仰のあるなしとか深浅は別にして、宗教はその社会に根づいていますからね。そのシンボルが食習慣というわけです。

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© 2019 Spray Films S.A.
エイブの気持ち、アイデンティティの揺れというのは、日本とイタリアの血を引く僕にはよくわかります。ひとりっ子という共通点もある。子はかすがいなんて表現もありますけど、かすがいという部品になる子にかかる圧力は、特にまだ未熟な思春期には相当なもので、きっと大人には想像もつかないものです。だからこそ、避難所になるような場所が必要なんですが、それがエイブにとってはSNSでありキッチン=料理というわけです。ひとりっ子なので、家庭内に同世代がいませんから、そこはSNSでカバーして独自のコミュニティーを形成しつつ、家族や親戚以外に自分を導いてくれるような年長者=メンターが必要になれば、親に無断ででも外出して、彼の場合はブラジル人のチコという料理人に大いに影響を受けていきます。

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© 2019 Spray Films S.A.

ここで大事になるのが、チコがフュージョン料理を得意としていること。故郷ブラジルの食習慣をベースに持ちながらも、発想・着想は常に大胆で自由です。そのアイデアがエイブにとって翼となるわけですね。フュージョンという言葉は日本ではともすると料理よりも音楽の方が馴染みがあるかもしれません。ただ、現代の日本の料理はフュージョンそのものだと思います。僕がよく例に出すたらこスパゲティや海鮮のカルパッチョ、いわゆる洋食がその好例ですよ。もともと日本のものでないものを、日本の味付けになじませているわけですから。ただ、考えたら、保守的に見えるイタリア料理だって、素材の代表格トマトが日常的に使われるようになったのは、ここ150年ほどです。原産地のアンデスからやって来た当初は「魔の果物」と言われて日陰者の野菜だったんですね。

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© 2019 Spray Films S.A.

頭の柔らかいエイブは、愛する自分の家族・親戚をフュージョンさせたいと、皿の上で奮闘するわけですが、生み出すのはコンフュージョン、混乱でした。それは料理を習う過程で、誰もが経験するプロセスでもあります。味がまとまらない。それがどう曲がりなりにもまとまっていくのかってのが、物語のテーマと見事に一致しているので、とても観やすい作品になっています。ジャーナリストであり、YouTuberでもあるアンドラーデ監督の柔軟で軽快なカメラワーク、編集技術も、作品の口当たりの良さに貢献しています。尺も89分と観やすいんですが、ドスンとした素材、いくらでも深堀りできる内容なだけに、食い足りなさもありました。それこそ、それぞれの伝統料理の描写、料理のバックグラウンドがもう少し見えても良かったんじゃないか。もうちょい食べたいぞという感じも否めませんが、監督としては安心して楽しめる腹八分目を目指したのかもしれません。それこそ屋台料理のような感覚でこのテーマを味わえる良作でした。
曲はラテンよりのジャズ・カルテットquasimodeを選びました。サントラも、南米の要素を巧みに取り入れたもので、料理のリズムともあっていて楽しかったですよ。
 
さ〜て、次回、2020年12月15日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『100日間のシンプルライフ』です。この超のつく消費主義社会にあって、ゲームとして、あえて所持品すべてを倉庫に預け、本当に必要なものだけを1日ひとつ持ち出していく。そんな設定を読みましたが、まさかすっぽんぽんからスタートするとは… 面白そうじゃないですか。そして、自分の生活の見直しを余儀なくされそうだ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!