京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『KCIA 南山の部長たち』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 2月2日放送分
『KCIA 南山の部長たち』短評のDJ'sカット版です。

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1979年10月26日。大韓民国大統領直属の諜報機関、中央情報部KCIAのトップ、キム・ギュピョン部長は、大統領を射殺しました。国家のみならず、世界を揺るがす暗殺事件。この作品は、その40日前から、キム部長の置かれた状況と心理的な変化を丹念に描きます。KCIAの前の部長だったパク・ヨンガクは亡命先のアメリカ、下院議会の聴聞会で、韓国大統領の腐敗を告発する証言を行ったんです。しかも、回顧録を執筆中だと発言。当然怒った大統領は、キム部長をアメリカへ派遣。回顧録を持ち帰れと命令するのですが…

実録KCIA―「南山と呼ばれた男たち」 インサイダーズ/内部者たち(字幕版)

原作となる実録本があって、それを脚本にして監督したのは、『インサイダーズ/内部者たち』の成功などで知られ、長編デビューから10年でヒットメーカーになっているウ・ミンホ。事件を起こしたキム部長を演じたのは、イ・ビョンホン。パク大統領にはイ・ソンミン、パク・ヨンガク元KCIA部長にはクァク・ドウォンが扮するなど、豪華キャストが集いました。政治サスペンスという、硬派な内容にも関わらず、昨年の韓国年間興行収入ランキング1位。もちろん、向こうでは知らない人はいないというレベルの出来事だし、世代によって評価も異なるだけに、関心が集まって、その期待に応えた格好です。結果、アメリカのアカデミー賞国際長編映画賞の韓国代表になりました。
 
僕は先週火曜日の午後、Tジョイ京都で固唾を呑んで観てまいりました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

韓国の現代史に明るくない人は、僕も含め、文字や音声だけでは、なかなかパッと理解できないと思います。今のごく簡単なあらすじだけでも、固有名を含め、結構ややこしいですよね。実際、ちょっと調べただけでも、パク・チョンヒ大統領が、彼らの言うところの革命、軍事クーデターを起こして権力を掌握して以来、18年にわたって権勢を振るう中で、中央情報部、軍隊も含め、権力構造や外交関係、そして国内の市民たちの政権への想いと、描き出したらキリがないし、登場人物は多いし、これを観やすいエンタメにまとめ上げるのは至難の業です。
 
ところが、観ていて特別複雑に感じないのが、まずこの映画の強みです。言わば、ノイズがたくさんある中、アナログラジオのチューニングがピタッと合ってクリアに聞き取れるように、物語のチューニングがよくできているんです。周辺の部分は捨て置き、歴史的な評価もまだ定まりきっていないこの事件に対して政治的な視点は極力挟まず、出来事を客観的に、わかっているものは細かく追いつつ、描くのも40日間に絞りました。その上で、登場人物の名前をそれぞれ微妙に変えて、フィクションという体にすることで、当事者の心理の流れには踏み込んでいく。だから、話はすっきり整理してあって焦点がはっきり合っていて、観客はそれを材料に、自分の興味に引き寄せて鑑賞できるんです。ある人は会社役所などなんでもいいいんだけど組織論として観るだろうし、またある人はスパイ映画やヤクザ映画的なスリルを味わうだろうし、もちろん韓国現代史の闇と90年代になってようやく達成される民主化への起点の歴史新解釈ドキュメントとして観る人もいるでしょう。すっきりとスタイリッシュな画面構成と色味の映像は、物語同様、ソリッドで無駄がなく、風格と緊張感が徹頭徹尾漂います。僕なりにまとめると、テーマはふたつです。所属する組織の存在意義が失われたように感じた時、そして師と仰いできた人に裏切られたと感じた時、人の心理はどうなるのか。

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© 2020 SHOWBOX, HIVE MEDIA CORP AND GEMSTONE PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

具体的な構成に触れましょう。まず事件当日、意を決して殺害へと向かうキム部長が、部下に指示を出し、舞台となる部屋へ入り、扉が閉まる。銃声が聞こえる。そこから一気に40日前にさかのぼって、当日までを概ね時系列で追っていきます。これもすごくわかりやすいですよね。クライマックスでは殺人があります。国家のナンバー2が大統領を殺します。でも、普通はそんなことありえないですよね? でも、ありえる状況に彼は追い込まれていったんです。その直接的なきっかけは、40日前にありましたと。でも、それだけでは2時間も観客の興味を持続させるのは難しいですから、もうひとり、アメリカへ亡命して大統領の腐敗ぶりを国際世論にぶちまけた前のKCIA部長の運命という見せ場を中盤に用意することで、起伏を持たせているのもうまい。これによって、舞台も韓国だけでなく、アメリカ、そして前部長がその後向かうパリと、実際にロケもしていますから、往年のスパイ映画の華やかさも画面に生まれます。パリでのカーチェイスから、郊外、林の中での一連の命からがらの場面は、僕はベルトルッチ監督の『暗殺の森』を思い出しました。あの映画も、ファシズムに染まっていく国家権力の流れの中で、組織人がそこに乗るのか反るのかという話だし、主人公の「父親殺し」の話でもありました。肉親という意味ではなく、自分という人間を導いた精神的な父との決別。

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イ・ビョンホンが表面上は抑えた演技、でも内側には複雑な感情が渦巻いていってやがては沸点に達する様子が滲み出る驚異の演技で見せていたのは、大統領閣下という精神的な父への想いだったんだろうと僕は考えます。というのも、権力が長期的に集中した閣下にはすり寄る人間も多く、まず前の部長が近づきすぎたことで煙たがられます。しかも、彼の回顧録にもあるように、だんだんと大統領=父への疑念も湧いてくるようになる。先輩、革命の初心を忘れてますよねと。そんな中、自分もまた前の部長のように蹴落とされるのではないかという予感が出てくる。なぜなら、他にもすり寄るものが何人も出てきて、どうやら閣下の関心はそちらに移っている。じわりじわりとやるせない想いがキム部長の心を蝕みます。その中で面白いのは、大統領自身も権力に疲れた佇まいをフッと見せることです。そのあたり、大統領役のイ・ソンミンのこれまた抑えた演技がすばらしかった。

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そして、ラスト近く、いよいよ暗殺を決意するキム部長の盗聴シーンの緊張感たるや。何度か出てきた盗み聞き、盗聴という行為のクライマックス。降りしきる雨の中、忍び込んだ大統領のプライベート空間。国家のナンバー2が、まるで忍者のように耳を澄まして聞き取ってしまう、これまた何度か出てくるキーフレーズ。大統領が発する「君のそばには私がいる。好きにやればいい」という言葉。以前は自分に向けられたが、今回は違う。この言葉を聴いた瞬間のイ・ビョンホンの表情。僕はここで映画が終わってもいいってくらいに味わい深かったです。にもかかわらず、最後の最後に、当然殺害の場面がこれまたきっちりとてつもない長回し込みで写実的にぶち込まれるし、たまらない余韻を与える殺害後の場面も用意されているんです。結末がわかっている映画でこれほどまで観客を退屈させないどころか、緊張感を強いて興奮させ考えさせるって、なんなんですか! 

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色々理屈っぽいことも言いましたが、戦車と向かい合うイ・ビョンホン、コートを着てリンカーン像の前に立つイ・ビョンホン、酒を苦々しく飲み干すイ・ビョンホン、すってんころりんするイ・ビョンホンと、イ・ビョンホン最高峰の演技を堪能できるというだけで、なめるように観る価値あり。この1年を代表するような一本が、また韓国から生まれました。僕はまだまだ身震いが止まりません!
この曲はもちろんサントラからではなく、僕のイメージ選曲です。ローマ時代の皇帝の名前を冒頭で出しつつ、どれほどの声が聞かれずにきたのか。どれだけの教訓が学ばれずにきたのか。そんなフレーズも盛り込まれてきます。キム部長が銃の引き金に指をかけた時の心境と、その後彼が取った行動にも思いを馳せつつ、お送りしました。

さ〜て、次回、2021年2月9日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『喜劇 愛妻物語』です。緊急事態宣言延長といううこともあり、今週は配信作品をおみくじ候補作の半分にしたところ、番組で扱いそびれていたこの作品が当たりました。KCIAの緊張を緩めるにはいいかなと思いつつ、水川あさみの夫婦げんかにおける口撃で、僕もやられてしまうのか!? あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!