京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ビバリウム』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月23日放送分
『ビバリウム』短評のDJ'sカット版です。

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今週はコーナーに入る前に、映画を観た後に思い出したHotel California / Eaglesをかけました。カリフォルニアをひとつのホテルに見立てて、チェックインしたが最後、チェックアウトできなくなるって歌なんで、どことなく似通ったところもあるなと。で、以下、本題に入ります。まずはあらすじから。
 
庭師のトムと、小学校教師のジェマ。ふたりは新居を探そうと、ぶらり不動産屋を訪れたところ、紹介されたのは、機能的で快適だけれど、見渡す限り同じ建物が並び、うっかりすると迷いそうな新興住宅地ヨンダー。家の中を見せてもらう内に、ふと気づくと、不動産屋の姿は見当たりません。気味が悪いなと、ふたりはそのまま帰路につくのですが、どこまで走らせても、どこを曲がっても、必ず案内された家に戻ってしまうのです。そう、トムとジェマは、その住宅地から抜け出せなくなってしまっていたのでした。そこへ知らぬ間に届けられた段ボール箱。中には見知らぬ赤ん坊の姿が…

ソーシャル・ネットワーク (字幕版) 

監督は、アイルランド出身の41歳、ロルカン・フィネガン。ロンドンで人気SFドラマシリーズ『ブラック・ミラー』の制作関連会社で実践を積みながら、長編の監督に成長して、これが2本目。カンヌ国際映画祭では、批評家週間で有望な新人を奨励するギャン・ファンデーション賞を獲得しました。トムには『ソーシャル・ネットワーク』や『グランド・イリュージョン』のジェシー・アイゼンバーグ、ジェマには『グリーンルーム』のイモージェン・プーツが扮しています。

 

僕は先週水曜日、大阪ステーションシティシネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


僕としては、久々にこの手の不条理もの、SFスリラーを観たなと、鑑賞後にもぞくぞくきました。哲学的でいて、風刺が効いていて、不気味で、謎めいている。わかりやすいのに、解釈は多様。まったくスカッとしない。でも、この感じ、キライじゃないぜ。

 
まずもって誰の目にも明らかなのは、郊外の画一的な住宅群が象徴する、絵に描いたような幸せな家族、家庭のイメージが内包する欺瞞、そのメッキを剥がすという目論見です。これはもう1960年代ぐらいから、世界あちこちで共有されてきたテーマなので、映像としてドラマとして、あるいはさっきお送りしたイーグルスの『Hotel California』みたいにポップソングまで含め、アプローチは出尽くした…ってことでもないんですね。

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(C)Fantastic Films Ltd/Frakas Productions SPRL/Pingpong Film
ビバリウム』では、消費主義社会の欺瞞を暴くというテーマから逃げず、むしろ濃密に煮詰めて苦々しくまとめましたって感じで、構図から色使いから美術から、何から何まで、徹底して焦点化。太陽光を集めた虫眼鏡が火を起こすようにじりじりと描いているのが新しく思えます。キャストは、カップルと、不動産屋と、謎の子ども、基本は以上です。ここも余計な要素は要らんとばかりの潔さ。絵に描いたような幸せって言葉をさっき使いましたが、ヨンダーという住宅地の空には、実際のところ、絵に描いたような雲が浮かんでいます。地平線まで続く、でも、それが故に、嘘っぽい、セットの書割りのような、要するにペラペラの安っぽい薄っぺらい住宅街。そこには人の気配も動物の気配もなく、漂白されたような、言わば生き物の気配がない世界なんですね。だから、生き物はトムとジェマだけ。プラス、自分たちの子ではない、配達された赤ん坊だけ。その子どもを育てれば解放されるということで、選択の余地のないふたりは、やむなく、これまた定期的に届けられる味気ない食材を使って育てていくことになるんだけど、こいつがまた不気味なことに見る間に成長していって、ほどなく会話ができるようになるんです。まるでマグリットが絵に描いたような空の、絵に描いたような雲を見上げる、ジェマと子ども。よく親子で、あの雲は何かの動物の形をしている、なんて微笑ましいやり取りがありますが、ここでは子どもは「雲の形をした雲だ」みたいなことを言うわけですよ。もう絶句するしかないですよね。

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(C)Fantastic Films Ltd/Frakas Productions SPRL/Pingpong Film
メディアや広告が喧伝する「幸せ」の形に囚われ、多かれ少なかれ似たような家に住んで、似たようなものを食べ、似たような人生を送り、死んでいく。このヨンダーという住宅地でふたりのもとに届けられる食材は、誰がどこで生産して、誰がどうやって届けているのかもわからない。これは複雑怪奇な流通システムに依存して、地球の裏側からも物を買って食べている、何が入っているやらわからないものを食べている僕ら現代人への痛烈な風刺です。観ていると、一見、突拍子もないシュールなSF不条理劇に思えるんだけれど、実は痛いところを突かれるというかえぐられるようなメッセージを受け取る作品です。僕らは何かを選択して自由に生きているようで、誰が運用しているとも知れない巨大なシステムに知らない間に組み込まれ、選択させられているのではないか。それも、揺りかごから墓場まで。自分で生きているように見えて、生かされているだけなのではないか。僕らの身体なんて、ホモ・サピエンスという生き物として生態系の中で、そして長い地球の歴史の中で、ただただ乗り物として遺伝子が乗り継いでいるだけなのではないか。そんな哲学的な宗教的な考えを巡らせることも強いられる物語です。僕たちは遺伝子の螺旋をくるくる回る無限の生物学的なループの中のたった一コマ。なんて言うと、虚無感に駆られてしまうんですが、そういう映画なんですよ。考えてみりゃ、あのヨンダーは車でいくら道路を進んでも同じところへ戻ってくる。また絵画のたとえをすれば、エッシャーのだまし絵みたいな世界ですからね。

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(C)Fantastic Films Ltd/Frakas Productions SPRL/Pingpong Film
そして、もうひとつのテーマは、子育てのままならなさでしょう。何か気に入らなければ、すぐに奇声を発する、あの不気味な子ども。親をまるで監視するかのように付いて回っては、親の喋っていることをモノマネする。トムとジェマで途中から子どもへの対応が変わっていくのも興味深かったですね。トムは穴を掘るという労働をし、ジェマは子育てに翻弄されるという性別による役割分担も現実を戯画化して反映させていました。あの子はどこかから荷物のように送られてきた子どもなんだけれど、思い出されるのは、冒頭のナショナル・ジオグラフィック・チャンネル的な、鳥カッコウの習性を教えてくれる映像。カッコウは別の鳥の巣に卵を産みつける托卵をするんですよね。で、もともといた雛は巣から追いやられて殺されてしまう。学校の裏庭で死んだ雛を見つけて悲しむ自分の女子生徒に対し、ジェマは「それが自然の摂理なの」と言っていました。ここで鍵となるのがタイトルのビバリウムという言葉。手元のジーニアス英和辞典の定義では「観察・研究用に自然の生息状態に模した、動物の飼育ケース」とあります。誰が観察しているんでしょうか、自然の摂理を。それはエイリアンなのか、はたまた神なのか。謎が謎を呼びますが、ひとつ言えるのは、僕たち観客も観察者であるということです。不気味で後味は悪いし、粗もある映画ですが、とてもユニークで実験的、なおかつ示唆に富んだ作品です。あなたも劇場で鑑賞、いや、観察してみてください。
主人公のふたりは、家の内覧へ向かう車の中で、この曲を口ずさんでいます。
その頃は、まだ後の展開はもちろん知る由もありません。
4月4日に大阪城ホールで40周年のメモリアルなライブを控える佐野元春さんも、考えてみればマグリットの絵画に影響を受けただろうジャケットのアルバムを出していますね。この『Blood Moon』とか『No Damage』とか。さらに、この曲はテーマがこの作品と通じる向きもあるように思います。

 

さ〜て、次回、2021年3月30日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『まともじゃないのは君も一緒』です。折しも今週発表しているマサデミー賞では、成田凌がマサデミー賞2021で助演男優賞を獲得したところ。タイムリーだし、今回も驚異の演技となるか、見届けてまいります。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!