京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『罪の声』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月25日放送分
『罪の声』短評のDJ'sカット版です。

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1984年から85年にかけて、日本中を揺るがせた劇場型犯罪、グリコ森永事件。2000年には迷宮入りしてしまうわけですが、この事件を徹底的に取材した作家塩田武士が、そこでえた情報をあくまでモチーフに、ノンフィクションではなく、小説として作品にまとめて発表したのが2016年。高く評価されましたし、僕も読みました。
 
京都市内でテーラーを営む曽根俊也。36歳。2015年のある日、父の遺品を整理したところ、カセットテープが出てきます。再生すると、31年前、あの事件で犯人グループが身代金の受け渡しに使ったとされる脅迫テープと同じ声だったんですね。これは自分の子供の頃の声だ。なぜ。同じ頃、大阪の新聞記者である阿久津英士は、未解決事件のその後を追いかける企画の担当者に選ばれ、取材を重ねていました。ふたりは、そうして出会うべくして出会い、俊也以外にもふたりの子供の声が当時使われたことを丹念に調査していきます。

騙し絵の牙 (角川文庫) 罪の声 (講談社文庫)

最近では『騙し絵の牙』も公開されていますが、人気作家塩田武士の原作を、テーラーの俊也・星野源、新聞記者の阿久津・小栗旬という最高のキャストで映画化という流れになりました。脚本はドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』や映画『図書館戦争』シリーズ、『俺物語!!』で知られる、野木亜紀子。監督はTBSのドラマ演出でならした土井裕泰(のぶひろ)。超最近だと映画『花束みたいな恋をした』も土井監督でした。なんなら、「逃げ恥」にも『カルテット』にも『重版出来!』にも関わってきたヒットメーカーです。
 
ということで、キャストも豪華でした。宇野祥平松重豊古舘寛治橋本じゅん、高田聖子(しょうこ)、市川実日子(みかこ)、火野正平梶芽衣子、宇崎竜童などなど。
 
日本では昨年10月30日に公開されたこの作品、僕はU-NEXTのレンタルで先週金曜日に鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

原作を愛読した僕としては、映画化する上で、いくばくかの期待と大いなる不安がありました。期待が何かと言えば、それはずばり声でした。あの一連の事件については、当時の大々的な報道に加え、テレビの特集番組やノンフィクションの本で繰り返し検証が行われてきたわけですが、塩田武士が新たに小説として描き直すにあたり、これまでにない切り口だったのは、声に着目したことです。塩田氏がまず僕と同世代で、事件当時はまだ小さかったんですよね。僕と同じように関西で育ってらっしゃるので、調べる前に記憶として残っているのは、少年の目と耳で感じた恐怖です。何って、街中に貼られ、ブラウン管やテレビでも日々目にしていた「キツネ目の男」の似顔絵と、僕らと似たような年頃の子供の声が犯行に利用されたこと。そりゃ、駄菓子屋やスーパーでお菓子を買うこともやたら怖がらされたけれど、犯行グループが子どもの声をどういう経緯で使ったのか。怖かったです。ましてや、僕も大津の出身なんで、連日報道される舞台に非常に近く、僕も友達の家のマンションで、エレベーターをひとりホールで待っていたら、似顔絵に似た男性を見かけて、走って逃げ出したこと、今でも鮮明に覚えています。その声を軸にして、当時子どもだった世代の当事者と、新聞記者が、同時進行で事件を追いかける。この設定がもう映画的だし、小説ではかなわない肉声の再生が作品に与えるインパクトは期待できる。

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(C)2020「罪の声」製作委員会
一方、大いなる不安というのは、端的に尺の問題です。塩田氏は元神戸新聞の記者で、その意味では阿久津の側の描写がまず真に迫っているし、ジャーナリストらしく、調べられる限り調べまくって、資料にあたり、現場へ向かった。その上で書かれた小説は、名前こそ架空の会社にしてあるものの、ディテールが丹念に描かれているし、ノンフィクション的な魅力にあふれていて、これはもう、概ねこの通りの流れだったんじゃないかと、読んでいて鼓動が早くなることが何度もありました。でも、2時間強の映画では、そこまで細かく描くことは不可能だし、大幅なカットと再構成が必要になるのだが、そんなことできるのか。不安だったわけです。
 
鑑賞してからの結論として、僕はそこまで評価していません。キャストの奮闘は見ごたえがありましたよ。星野源の動揺を覚えながらも冷静たろうと努める抑制された演技。小栗旬の徐々に使命感を帯びていく様子。日本アカデミー賞助演男優賞を獲得した宇野祥平の文字通り血管を浮き上がらせるほどの声にならぬ声を振り絞るような葛藤。橋本じゅん、高田聖子、劇団☆新感線のおふたりも印象に残りました。

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(C)2020「罪の声」製作委員会
ただ、実は脚本の組み立て、その構成に僕は納得のいかないものを覚えたんです。映画というわりには、あまりに動きが少ない。会話劇というには、回想シーンが多いし、それなりにロケもあるものの、役者の動きはかなり限定されている。たとえば、小説でも大きな山場として詳しく描かれる警察と犯行グループの大阪と滋賀での手に汗握る逮捕計画とその失敗。追いつ追われつ、逮捕できるか否かのやり取りなんて、サスペンス映画の見せ場ですよね。どちらも映画ではカットしています。予算の都合もあるでしょう。小栗旬星野源の車内の会話シーンは合成だったことを見るに、このクラスの役者ではスケジュールも交通規制も難しかったでしょう。その結果、話はでかいはずなのに、テレビドラマにしか見えない画作りとスケールになっていました。では、会話をメインにしたシーン展開で映像演出の工夫があるかと言えば、誰かが喋っている時は、誰かが黙って表情を変えず聞き入っているのをカットバックで見せる。聞き入るのは良いけれど、それじゃ映画的なダイナミズムは生まれません。関西ロケも、なんとなく有名な場所を入れるにとどまっていて、むしろ関西人には「はいはい」という感じ以上のものはなかったと思います。

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(C)2020「罪の声」製作委員会
筋立ては面白いし、役者も奮闘しているものの、映画の製作、プロデュースというところのバランス感覚が、この物語の躍動感を削いだのではないかということです。もちろん、一定以上の面白さはクリアした上での話ですから、未見の方はぜひご覧いただいて、原作にも触れてもらえれば。

主題歌は、映画を何度も観たシンガー・ソングライターのUruが書いたこの歌でした。


さ〜て、次回、2021年6月1日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『佐々木、イン、マイマイン』となりました。今乗りに乗っている藤原季節の主演だし、『くれなずめ』にも通じるところのある青春映画なのかなと勝手に妄想しながら、期待が膨らんでおります。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!