京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『461個のおべんとう』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月8日放送分
『461個のおべんとう』短評のDJ'sカット版です。

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ミュージシャンの鈴本一樹は、妻とひとり息子の虹輝と、3人で海の見える小高い丘の住宅街に一軒家を買って暮らしてきました。ただ、夫婦は少しずつすれ違ってしまい、虹輝が高校受験というタイミングで、ふたりは離婚。虹輝は受験に失敗し、1年浪人した後に志望校へ入学することに。男ふたり暮らしとなっていた父と虹輝は、高校3年間、毎日父の手作り弁当を持って、休まず通学するという、約束をしたのですが…

461個の弁当は、親父と息子の男の約束。 (マガジンハウス文庫 わ 3-1)

原作は、TOKYO No. 1 SOUL SETの渡辺俊美による同名エッセイ。監督と共同脚本は、『キセキ -あの日のソビト-』や『水上のフライト』の兼重淳。父一樹と息子虹輝に扮したのは、V6井ノ原快彦(よしひこ)と、なにわ男子の道枝駿佑(みちえだしゅんすけ)。虹輝のクラスメート役として、森七菜、若林時英(じえい)、妻として映美くらら、他にも坂井真紀や倍賞千恵子などが出演する他、一樹のバンドメンバーとして、KREVAやついいちろうも演技と演奏を披露しています。
 
昨年11月6日に公開されたこの作品、僕はアマゾンプライムのレンタルで先週金曜日に鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


このお話、ち〜とばかし特殊な家庭事情ってのをまず観客に植え付けておかないと、肝心のお弁当ルーティーンに入れないわけです。一樹がミュージシャンとして生計を立てていること。結婚して、息子が生まれて、一軒家を買い、家族がだんだん家族然としていくのに従い、妻も仕事をして社会に出ながら、生活時間帯の違いやら何やらから生まれるすれ違いが増え、夫婦の会話と笑顔がだんだん減って、ついに離婚。そして、息子の虹輝は出ていく母ではなく、父と自分の家を選ぶ。ただ、高校入試に意義を見出だせず、精神的に不安定にもなったのでしょう。高校浪人をするも、やがては決意を新たにして、同級生より1年遅れで入学する。下手すりゃ、ここまでのセットアップで数十分かかりそうなんだけど、ワンカット内で時間をジャンプさせるなど、今作では巧みな編集を駆使して、短い時間でササッとまとめていて感心しました。それこそ、コース料理ではなく、一樹の作るお弁当のように、短時間、低コスト、彩ありの手際の良さでしたよ。

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(C)2020「461個のおべんとう」製作委員会

一方、物語そのものの組み立てには、思うところありです。もとがエッセイ集ということで、2時間の流れの中で一筋の流れが組み立てられていたかというと、その芯が弱いんですね。3年間、父が息子にお弁当を作り続けた記録であり、それ以上でもそれ以下でもない。というようなナレーションが、虹輝の高校入学のタイミングで入るんですが、話しているのは虹輝なんです。だから、僕はその時点で、「なるほど、映画では息子の視点で語り直してみるのか」なんて思ったもんですが、その実、決してそんなことはなくて、父側の視点がメインで進むところもたくさんあるし、もうひとつ、どちらの何を描きたいのかがはっきりしません。
 
いや、おかずが乏しくとも想像力で白ごはんを食べられる自信のある僕があえて汲み取るなら、父と息子の互いの成長です。まぁ、でも、高校の3年間って、身も蓋もないことを言えば、子どもは成長しますよね。内面もそうです。恋もするだろうし、好きなことを見つけたり、親との折り合いをつけたりする。親だって、そんな子どもを見ながら、人生の機微を感じ取っていく。その成長は、どちらもあるっちゃあるんだけど、それは視点が1人称に限定されたエッセイのほうが表現しやすいので、その視点が定まらないこの形式の映画だと、もうひとつ煮え切らないなという印象です。その意味で、僕はもっとお弁当そのものにフォーカスして、一樹の試行錯誤と、虹輝やクラスメートのリアクションをもっと定点観測的にしたほうがカタルシスにつながる劇的なものになったんじゃないかと思います。特に、一樹の葛藤、心理的な変化が出づらい構造がこの物語にはあるので、余計にそう感じます。

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ただ、観ていて面白くないかと言えば、そんなことはありません。一樹のバンドのライブシーンはKREVAのパフォーマンスとやついいちろうの存在感もあって、雰囲気がよく出ていたし、レコーディング風景も楽しいです。お弁当そのものや調理風景はよく撮れていて、どれもおいしそうだし、特に卵焼きは誰もがすぐ食べたくなるでしょう。
 
何より、井ノ原快彦の何をどうしたって隠せない、いい人ぶり、好人物っぷりが全体をふわふわくるんでいるので、彼の人間力がこの作品の大きな魅力になっています。それでも、惜しむらくは、エンディング・パートの回想です。日本映画全体の悪い癖ですが、そんな丁寧に振り返らなくても覚えているから大丈夫って言いたくなるくらいで、少々くどい。一樹と虹輝、それぞれの淡いロマンスの描写は踏み込みすぎず、僕たちの想像力をくすぐる展開が良かっただけに、しっかり見せるところ描写するところとのバランスを脚本レベルで構築すれば、冒頭で虹輝が言うところの、それ以上でもそれ以下でもない、それ以上の映画になっていたはずです。

主題歌は、渡辺俊美さんがやはり手掛けたもの。そうそう、ご本人もカメオ出演されていましたね。音楽関係者という設定でのご登場からの、主人公一樹とのさり気なくも軽妙なやり取りには、にんまりするものがありました。映画では、一樹と虹輝ふたりがジャジーなアレンジでこの曲を一緒に歌っています。

さ〜て、次回、2021年6月15日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『HOKUSAI』となりました。田中泯の演技も、柳楽優弥のんも気になっていたし、いい評判、耳に入っております。何より、僕にとっては知ってるつもりの葛飾北斎、この機会にその生き様をとくと観てきます。久々の映画館だ!
あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!