京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『アンテベラム』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月23放送分
『アンテベラム』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20211123091347p:plain

アメリ南北戦争当時、ルイジアナ州の南軍の駐屯地には綿花プランテーションがあり、黒人女性イーデン(エデン)はそこで捕らえられて働かされています。会話することさえも制限された奴隷たちと、未来を見通せない暮らしを送っていました。一方、現代のアメリカで黒人や女性の権利向上を訴えて注目を浴びている社会学者にして作家のヴェロニカ。講演会のために訪れた街のホテルで、奇妙なことが起こり始めます。

ゲット・アウト(字幕版) アス (字幕版)

過去と現在が交錯する、この一風変わったスリラーを製作したのは、『ゲット・アウト』や『アス』といった話題作を提供してきたプロデューサーのショーン・マッキトリック。監督・脚本は、ジェラルド・ブッシュ、クリストファー・レンツの若手コンビ。主人公の女性イーデンとヴェロニカを一人二役で演じるのはジャネル・モネイ。他にも、歌手のリゾがかなり好演していますよ。
 
僕は今回はマスコミ試写で鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

全体的には大きく三幕に分かれる物語で、南北戦争の時代と、現代のアメリカと、それが交錯するようなハイライト。そして、過去のイーデンと、現在のヴェロニカ、主人公となる黒人女性を、いずれもジャネル・モネイが演じてはいるものの、すぐには同じ彼女だとわからないくらい様子が違います。過去では綿花の強制労働と将校からの性的な関係の強要、そして脱走への企みを胸に秘めていることで、彼女は汚れ荒み、ギラついた目には不屈の魂も宿らせている。翻って、現代のヴェロニカは、愛し合う家族や気の置けない友人に恵まれ、社会的にも認められた、聡明な姿で、美しく輝いています。しかし、なぜこの2人の女性が、映画では同時に描かれることになるのか。

f:id:djmasao:20211124091705j:plain

[R], TM & [c] 2021 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved
ジャンルとしては、ホラーと書かれることもありまして、確かに予告なんかは、かなりおどろおどろしいんですよね。ふたつの時代が短い尺の中で行き来するし、過去において虐待される姿は痛ましく、現代においてドアを開けると廊下に佇む金髪白人少女の姿は『シャイニング』の双子みたいで怖い怖い。でも、実はいわゆるホラー演出ってのはほとんどありません。むしろ、スリラーであり、ミステリー的な要素が強いんです。
 
要するに、さっきの問いですよ。この2人にはなんの関係があるのか。特に第一幕なんてずっと歴史ものですから。そりゃイーデンの置かれた状況には憤るし、腰に文字通り烙印を押される場面とか、遠くからプランテーションへ連行されてきた妊婦に同情しながらもなだめる場面とか、見ていると怒りが湧いてきますし、肉体的にも痛そうで精神的には絶望感に苛まれているだろうなと思います。で、ある夜、将校の相手をして、ふと目が覚めると、現代なんですよ。ヴェロニカになっているんです。隣で寝ているのはやさしい夫。悪い夢か… 
 
そこで、2幕に入る。すると、現代のパートに、過去の断片が、まるで時代を飛び越えた呪いのように、歴史としてはやがて敗れることになった南軍の白人たちの怨念のように、画面の隅に現れるもんだから、僕たち観客はこの1幕と2幕に、どんな関連があるのかと、固唾を飲んで目が釘付けになるんです。その意味で、サスペンスでもあり、現代のヴェロニカが過去の怨念に捕らわれるのではないかというスリラーでもあり、最後まで謎は明かされないミステリーでもあるという映画です。

f:id:djmasao:20211124091820j:plain

[R], TM & [c] 2021 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved
思い返せば、冒頭には、ウィリアム・フォークナーの言葉が引用されます。「The past is never dead. It's not even past. 過去は死なない。過ぎ去りさえしない」。もうこれが、なるほどその通りだと言わざるを得ないほど納得です。そもそもの問題意識として、プロデューサーと監督たちには、Black Lives Matter運動がここ数年大きなうねりとなった背景として、本当に黒人たちは、あるいは黒人女性たちは解放されているのだろうか。下手をすると、形を変えて、あるいは見えない形で差別と搾取は今もマグマのように地下でドロドロと蠢いているのではあるまいか。
 
サスペンスが解消される時、映画が終わるところで、おおよそのことがわかるわけですけど、そこでスッキリというものでは実はなく、今話した問題意識はむしろ突きつけられる恰好なので、身の毛がよだつし、人を蔑んで利用することで自らの権利とやらを成立させるような選民意識に虫唾が走ります。人間の歴史は過去から現在へと時間とともに進歩しているはずなんだという、僕たちがそうあってほしい歴史観をあざわらうかのような、映画的なしかけには、すっかり騙されたし、鮮やかなアイデアでしたよ。って、ちょっと待てよ。考えてみたら、冒頭のかなり尺のある長回しから、そう言えば… また見直したくなります。さすがにこんなことは実際には、ねぇ、と思いたいくらいの物語だし、そこを弱点だとする批判もあるでしょうが、それがありえないでもないんじゃないかと思わされる、後味の悪さが良かった!
それにしても、こんな仕掛けの映画を作りたくもなるほどに、まだまだ黒人女性は、つま先立ちで、ピンと張った綱渡りをしている人生という見方もできるんじゃないかと、放送ではモネイのこの曲をかけました。

さ〜て、次回、2021年11月30日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ドーナツキング』となりました。これ、アメリカでドーナツ屋さんを創業して大きなチェーンにまでその事業を拡大していったカンボジア人のドキュメンタリーなんですが、製作がなんとリドリー・スコットなんですよね。ドーナツは作っていないけれど、食べるのは大好き、京都ドーナッツクラブという会社を運営する僕としては、好奇心でいっぱいですよ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!