京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『スティルウォーター』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月25放送分
『スティルウォーター』短評のDJ'sカット版です。

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アメリカ、オクラホマ州にある街、スティルウォーターで石油掘削の作業員だった中年男性ビル・ベイカー。油田の閉鎖にともない、現在は日雇いで働いている彼が飛行機に乗って向かうのは、娘アリソンがいるフランス、マルセイユ。彼女は留学中にガールフレンドを殺害した罪に問われ、9年の実刑判決を受けて服役すること5年。面会をすると、無実だというアリソンは、弁護士への手紙をビルに託すのですが、その弁護士には取り合ってもらえず、彼は5年前の事件の真相を探ることに…

スポットライト 世紀のスクープ (字幕版)

製作と監督、共同脚本は、『スポットライト 世紀のスクープ』でアカデミー賞作品賞脚本賞を獲得したトム・マッカーシー。フランスの脚本家コンビと一緒に書き下ろした脚本をもとに、オールロケで撮影を行いました。ビルを演じたのは、マット・デイモン。娘のアリソンに扮するのは、『リトル・ミス・サンシャイン』のアビゲイル・ブレスリンです。
 
僕は先週木曜の午後、TOHOシネマズ二条で鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

マルセイユというのは、何度となく映画の舞台になってきた街で、特にスリラー、サスペンス、犯罪ものとの相性がいいんですよね。紺碧の海、今回も出てきた自然の造形美が楽しめる切り立った岩に囲まれた入り江のかランク国立公園がそばにありながら、大都市で港町だけあってたくさんの人種が入り混じって暮らす独特の喧騒と活気がある。マッカーシー監督は、たくさんの画家や映画監督を魅了してきたマルセイユの光を捉えたいと、今回も日本人撮影監督の高柳雅暢(まさのぶ)とタッグを組んで、オールロケにこだわり、手持ちカメラを多用する躍動感のある映像をものにしました。実際のところ、映画の大半はマルセイユが舞台なんですが、それを大きくサンドするのが、オクラホマのスティルウォーターです。ギュッと人口密度が高くて、海辺から高台まで、起伏に富んだ地形のマルセイユと正反対で、だだっ広い荒涼とした景色が広がります。人もまばらで、動きがない。最初なんて、ハリケーンで被害を受けた住宅の片付けをしてますから、ビルは。そんな彼の淡々とした孤独で、のちのちわかってくる落伍者としての贖罪の日々を、カメラはじっと固定で見つめます。町の名前、動かない水、Stillwaterのようにカメラも動かない。

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© 2021 Focus Features, LLC.
今作はマルセイユという街そのものがもうひとりの主役であるように映されますが、それはあくまで、スティルウォーターが最終的にどう見えるか、見え方がどう変わるのか否かというフリにもなっています。つまり、マルセイユを舞台にしつつも、これはそこで異邦人として過ごすアメリカ人の話であり、アメリカ社会のひずみがテーマになっているという作品なんです。外国に出ることで、日本のことがそれまでとは違って見えるようになったってのはよく聞く話だし、僕にも経験があります。要は井の中の蛙大海を知らずってことです。アメリカには、外国に興味がない人たち、パスポートを持たない人たちも多いと言いますが、ビルだって、娘のアリソンが留学することがなければ、きっとそうだったでしょう。そして、アリソンは、仕事に失敗して人生から滑り落ちていったかつての父親から、そして自分の性的少数者としての保守社会での居心地の悪さから、つまりスティルウォーターにおける自分の境遇と将来の見通しの悪さから、ここではないどこかを目指して飛び出したアマガエルだったんです。

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© 2021 Focus Features, LLC.
ところが、アリソンは今獄中にいる。ガールフレンドとの痴話喧嘩のもつれとされているけれど、アリソンはやっていないという。では、誰が。ビルが独自に動き出すわけですが、まぁ、大変です。フランス語もできなければ、土地勘もない。そもそも能力もない。とにかく娘を牢屋から自由にできればそれでいいのだという執念だけがある。リュックを片側だけ下げて、ジーパンにシャツをイン。髭をたくわえて、サングラスにくたびれたキャップ。クマが徘徊するような絵面でビルは港町を歩きます。触れ込みとしては、サスペンス・スリラーですから、細い糸を彼が手繰り寄せて事件の真相に迫るってことなんですが、実は事件の犯人やその動機が解明されれば一件落着ってことではないというか、まずビルひとりの手には負えない話なんですよね。この作品では、マット・デイモンはスパイのジェイソン・ボーンではないんです。社会でも家庭でも失敗し、そこから立ち直ろうとしている途中にある、アメリカン・ドリームを見ることもないアメリカ人中年男性です。

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© 2021 Focus Features, LLC.
そんなビルが、マルセイユで、地元の小さな女の子や、その母親と出会い、ふたりの協力を得ながら、あるいはふたりを時に助けながら、「こんなのはじめて〜!」をたくさん経験することになります。アメフトじゃなくて、サッカーもおもしろい。世界にはいろんな人がいる。フランス語も少し覚えてみる。演劇というものを初めて観る、などなど。殺人事件の真相と関係なさそうだけれど、実はなんならこうしたシーンの数々が、ビルのこれまでとその変化を巧みに描写していて、それがラストの感慨につながります。
 
無駄な描写も会話も回想シーンもないソリッドな語り口なのにわかりづらいところなど何ひとつなく、意見や世界観の押しつけもないのに、僕たちの視野と見識を広げて感動させてくれるうえ、謎解きもキッチリする。役者陣の演技もスタッフの技術的な水準も極めて高く、ジャンルを更新するような新しさがある。文句のつけようがない傑作でした。
マルセイユを舞台に何度かカントリーが流れるんですが、特にこの曲がかかるタイミングは、
本当に束の間の安らぎ、幸せなシーンでした。いい選曲。

さ〜て、次回、2022年2月1日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『コーダ あいのうた』となりました。フランス映画『エール!』のリメイクですが、これがまた評判高いですね。聴覚障害者のファミリーにあって、唯一耳の聞こえる女の子が歌手を目指す物語。アカデミー賞でも有望ということで、良さげなんを当てました! あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!