京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ノイズ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 2月8日放送分
『ノイズ』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20220207172718j:plain

伊勢湾に浮かぶ小さな猪狩島。住民の高齢化と過疎化、そして町の財政悪化が進む中で、黒イチジクの生産という新しい産業を創出して注目を浴びる若者、35歳の泉圭太。彼は、同じく島育ちの幼馴染、加奈と結婚。娘の絵里奈と3人家族。いずみ農園には、猟師として害獣駆除などを手がける親友の田辺純もよく手伝いに来てくれていました。そんなある日、彼らの農園に不審者が侵入。着任したばかり、やはり島出身の警察官を呼び、島の3人で不審者ともみ合ううちに、誤ってその不審者を殺してしまいます。自分たちの未来、島の未来が、この一件ですべてパーになるというのか。3人は共謀し、その死体をなかったことにしようとするのですが…

ノイズ【noise】 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

原作はグランドジャンプで連載されていた筒井哲也の同名マンガ。脚本は片岡翔、監督は『ナミヤ雑貨店の奇蹟』など、ベテランの廣木隆一。キャストが豪華です。いちじく農家の泉圭太を藤原竜也、妻の加奈を黒木華、幼馴染の純を松山ケンイチ、警察官を神木隆之介が演じる他、永瀬正敏柄本明余貴美子渡辺大知らが出演しています。
 
僕は先週金曜の朝、MOVIX京都で鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

こういう死体の処理で困る話ってのは、いろいろありますが、クラシックで代表的なのは、やはりヒッチコックの『ハリーの災難』でしょう。タイトル通り、死んでいるハリーがだんだん気の毒になり、死体が移動するたびに、もうブラックな笑いがこみ上げてくるというタイプの作品でした。そして、古畑任三郎刑事コロンボのように、観客は殺人の現場に居合わせる恰好なので、犯人と同じように何がどう起きたかを知っているがために、それがいつかバレてしまうのではないかという不安がサスペンスにつながるんですが、そこへ猪の死体が登場したり、人間の死体が増えたりして、話がどんどんこじれていくというのが、物語の面白みにつながっています。僕はマンガ原作も今回読みましたが、たとえば死んだ猪は映画版独自のアイデアでして、なるほどアレンジとして、猪肉いい味出してんなと思いました。

ハリーの災難 (字幕版)

なんて言い回しをしたくなるくらい、『ノイズ』にもブラックで思わず笑ってしまうような展開というのはあります。ただ、まったく笑い飛ばせないのは、のどかな島に紛れ込んだ異物、ノイズとして死んでいった男の過去の性犯罪と出所してからの行動がおぞましいものであることに加え、これが金田一耕助的な日本のコミュニティの閉鎖性を浮き彫りにするものだからです。

f:id:djmasao:20220207172853j:plain

(C)筒井哲也集英社 (C)2022映画「ノイズ」製作委員会
理由はなんであれ、取り返しのつかない犯罪の当事者として、自分のこれまで培ってきたことや描いていた未来を失いたくないがために、その犯罪を隠蔽しようとする。それは古今東西、たくさんの物語で描かれてきたことです。今作で発端となる事件も、主人公の泉圭太にしてみれば不条理そのものだし、素直に自首していれば、罪は極めて軽かったはずなんです。ところが、そうしなかったのは、彼が軌道に乗せてきたいちじく栽培という事業と家族と同じように、あるいは下手すりゃそれ以上に大事なことである島の振興と繁栄が頭にあったから。居合わせた幼馴染の純も、親友の家族を守ることと島の未来をどうするんだということが動機になり、若い巡査は警察の先輩の教えに従い、法律をかたくなに運用するよりも、時には社会のかさぶたとして犯罪を黙認し、コミュニティを維持することを目指し、3人は死体をなかったことにしようとするわけです。
 
この行き過ぎた連帯意識と閉鎖性は、平和な島を波立たせます。ストレンジャーの訪問によるノイズで生じた波紋は、島の各所に及び、そこでまた誰かにぶつかって波立ち、それまで表面化していなかった心のノイズがそこかしこで顕になって、警察官が言うところの「かさぶた」は脆くも剥がれ落ちてしまうわけです。その点で、永瀬正敏演じる刑事が、島全体を敵に回しているようだという一言も効いてきます。

f:id:djmasao:20220207172942j:plain

(C)筒井哲也集英社 (C)2022映画「ノイズ」製作委員会
この閉鎖性というテーマっていうのは、舞台を島にしたことでよりシンボリックに浮かび上がるし、人物の配置や各家庭環境の設定も微妙にアレンジしていて、その意図にうなずけるところも多くあったんですが…
 
問題は自体が複雑化していくにつれ、住民の誰が何をいつからどこまで承知しているのかが観客にわかりづらくなり、原作をスケールアップさせてサスペンス重視にしたことが、むしろ災いしていること。そして、原作では、事件をきっかけに家族やコミュニティがむしろ崩壊から立ち直る再生の兆しを見せていたのに対し、実は映画版では最後の最後に大どんでん返しが用意されていまして、僕ははっきり言って、そこに納得できないものを感じています。ひっくり返るくらいまんまと驚いたし、「映画ではここが違うんです、どうよ?」っていうドヤ顔が透けて見えそうなカメラワークでもあったんですが、見せ場は確かに作れても、それでじゃあ結局この映画は何が見せたかったのか、原作とはまるで違う後味に変貌する必然性がいまいち理解できないし、あのラストシーンに何を込めたのか、それもピントがぼやけるなと感じます。
 
その意味で、この映画化は、劇場を後にしてからの宙ぶらりん感が、物語以上にサスペンス、宙吊りだなと僕には思えてしまいました。

さ〜て、次回、2022年2月15日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『Hand of God ー神の手が触れた日ー』となりました。『グレート・ビューティー』でアカデミー賞外国語映画賞を獲得したイタリアの名匠パオロ・ソレンティーノによる自伝的作品。ヴェネツィアでは審査員賞に相当する銀獅子を受賞しています。今回もアカデミー賞国際長編映画賞のイタリア代表となっていまして、日本でも劇場公開されましたが、今はNetflixでいつでもどこでもご覧いただけます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!