FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月26日放送分
『ハッチングー孵化ー』短評のDJ'sカット版です。
フィンランドの郊外、針葉樹の森の中に広がる、ゆったりとした住宅地。12歳の少女ティンヤは、美しい母親と内向的な父親、そしてわんぱくな弟と一緒に素敵な一軒家に暮らしています。母親は一家の幸せっぷりをアピールする動画配信に血道を上げていて、ティンヤは母の求める完璧な娘の期待に答えようと、習っている体操の大会優勝を目指してトレーニングに励んでいます。ある夜、彼女は森の中で奇妙な卵を見つけて、家に持ち帰って温めることにしたのですが、その卵はなぜか次第に大きくなり、やがて孵化します。生まれてきた「それ」は、幸せな家庭の仮面をじわりじわりと剥ぎ取っていきます。
監督は、これが長編デビューとなる、女性のハンナ・べルイホルム。脚本は、これまでもホラーを得意としてきた若手のイリヤ・ラウチ。ティンヤを演じたのは、1200人もの応募があったオーディションで選ばれた、フィギュアスケートの選手でもあるシーリ・ソラリンナ。母親は、ソフィア・ヘイッキラが演じています。
僕は先週水曜日に、UPLINK京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
はじめに僕の評価を話しておくとするなら、粗やツッコミどころはあるものの、監督も脚本家もごく若手の有望な女性たちを僕は讃えたいです。描きたい内容も問題意識も、だいたいは申し分なく盛り込んだうえで、自分のビジョンを90分にまとめる手腕は、長くなるばかりの昨今の劇映画において、光るものがありました。
一見幸せそうに見える家庭が、一皮むけば実は… この手の話は古今東西枚挙にいとまがないです。誰だって、まず、家の中、家族を相手にした時の自分と、職場や学校での自分、そしてたとえば趣味の仲間のような友人とのつきあいにおける自分ってのが、多かれ少なかれ違うものですよ。自分でもままならないってのに、他人なんてますますままなりませんから、その他者との関係性、距離感や温度感の中で、アイデンティティが形成されていくんだと思いますが、その中で勘違いされがちなのが、家族です。家族の中でなら、本当の自分が出せる。あるいは、家族はある程度、ままなるはずだ。ましてや、自分の子どもなら、こちらの思い通りになるはずだ。そんな思い込みや、思い違いが、思わぬ悲劇を生むケースが多いように思います。そこに家父長制が絡んでさらにしんどくなっていた物語もありますが、本作の場合は女性が力を持っていて、なおかつ家庭内のすべてをコントロールするパターン。
ここで鍵となるのが、母親のやっている動画配信、その名も「素敵な毎日」です。思い出すのは、やはりホラーテイストだった中島哲也監督の『来る』ですよ。あそこでは、妻夫木聡が自らのイクメンっぷりを盛りに盛って綴るブログが引き金になって悲劇のひとつが起きていました。こちらでは、母親が動画を撮影して、出演して、箱庭のような完璧な小宇宙を形成しているわけです。冒頭からその撮影シーンが出てきます。予告で流れるのがその場面になりますが、チリ一つないようなモデルハウスのような家で、彼女が文字通り監督・編集しているんだけど、それは実生活をそのままトレースもしているわけですね。彼女こそがあの家の監督であり編集者で、他の家族は意のままに操られる役者にすぎません。外面のためなら、都合の悪い部分は編集でカットするし、思い通りにならない部分があれば、何度だってやり直させる。それは、体操教室での娘へのコーチ以上に厳しい接し方にも表れていました。
興味深いのは、そんな環境にあって、父親はなんの役にも立っていません。一定の収入があり、美人の妻と一緒になり、子供に恵まれたことで、彼はもう満足している様子で、妻とは反対に、おそらくは子どもにどうあってほしいということもなく、自分の趣味がある程度充実すれば、あとはもう面倒は避けたい事なかれ主義。極端に言えば、自分中心の無関心です。妻も同じように自分中心ですが、ベクトルは反対で、過干渉。すべて自分通りにしたい。
そこで、ティンヤが持ってきた卵が何を意味するかということですが、タイトルの孵化というのは、とてもシンボリックですね。これはそのまま、その卵から何かが出てくるということでもありますが、思春期に入っていく直前で、まだ母親に依存せざるを得ず、抑圧された自分をだんだんと認識して、彼女が内側に溜め込んでしまったやり場のない憎悪や不安がその殻を破ることでもあるわけです。
この手の話だと、ある程度、本当に幸せそうな家族像を見せてから、それが崩れるっていう描写の段階が多いと思うんですが、この作品は卵にたどり着くまで、ものの数分です。それで興味の持続ができるのか。大丈夫なんです。なぜなら、孵化した「それ」が変容するからです。そこでさらなるサスペンスやスリルや恐怖が育まれていく。ホラーなのに、暗い場面は少なく、表面上は明るく、美しいのもいいです。ゴア描写も程よく的確に配置されていて、「母殺し」の構造はわかりやすく、おとぎ話としてUPDATEされたモチーフになっていて、なおかつ怖くて、幕切れは鮮やかでいて解釈も楽しめる。僕たちも自由でいるつもりでも、籠の中の鳥という側面があるはずです。目を覆いたくなるけれど、見て良かった、そんなフィンランド製ホラーの秀作の登場です。
曲は、サントラからではなく、僕のイメージ選曲でLinkin ParkのNumbにしました。これは親をモチーフにしていて、「自分の人生、こうあってほしかったというような人生」を子供に生きさせようとすることで感じる、子供の側のプレッシャーが描かれています。親の靴を履いて歩かされているようだって歌詞が痛々しいですよ。そこから自立していく歌でもありますが。
さ〜て、次回、2022年5月3日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』となりました。考えたら、これもでっかい鳥が出てくるやつですね。って、それはいいんですが、これだけの壮大なシリーズ3作目ともなると、復習が必要だよなぁ。迷子にならない程度に振り返ってから劇場に出向きます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!