京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『死刑にいたる病』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月31日放送分
『死刑にいたる病』短評のDJ'sカット版です。

しがない大学生の雅也のもとに届いた一通の手紙。差出人は、地元の町で子どもの頃によく通ったパン屋の経営者であり、現在は24件もの殺人容疑で逮捕され、死刑囚として収監されている榛村大和(はいむらやまと)でした。大和によれば、罪を否認するつもりはないが、実は1件、冤罪が混じっているから、その真犯人がいることを証明してくれないかという内容。雅也はまず大和に面会をするのですが…

死刑にいたる病 (ハヤカワ文庫JA)

原作は櫛木理宇の同名小説で、脚本は『さよなら渓谷』『そこのみにて光輝く』の高田亮。監督は白石和彌。死刑囚の榛村大和を阿部サダヲ、大学生の雅也を岡田健史が演じたほか、岩田剛典、雅也の母親役で中山美穂、父親役で鈴木卓爾などが出演しています。
 
僕は、先週金曜日の朝、MOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

ジャンルで言えば、まずはサイコ・スリラーであり、そこにミステリー、謎解きの要素が加わるという手触りです。謎が謎を呼ぶストーリーの流れになっていて、しかもどれひとつとしてスッキリ解けるわけではなく、ひとつの謎が次の謎を呼び込んだり、その次の謎は猜疑心と恐怖を引き連れていたりと、雅也が動いて調べれば調べるほど、謎は深まり肥大化していきます。しかも、その間、榛村は獄中から一歩も出ていないわけですね。調査の進捗を報告しにいけば、面会室で「よくがんばったね。自力でそこまでできるなんて、雅也くんはすごいよ」などと褒めてくれるんです。ミス・マープルのような安楽椅子探偵というミステリーのジャンルがありますけど、榛村死刑囚は、獄中から一歩も動かずに、雅也を手足のように意のままに操って真相に辿り着こうとしているように見えてくるのが怖いんです。ただ、雅也にとっての大きな疑問であり謎は、いくら昔パン屋の常連だったからとはいえ、なぜ自分に白羽の矢が立ったのか。そして、そんな一文の得にもならないそんな気味の悪い調査なんて、途中で放り投げたって構わないはずなのに、なぜそうはできないのか。抗えないのか。調べていくうちに、パン屋の客だったこと以外にも、自分はこの死刑囚と関わりがあったのではないかと思えるような事象も持ち上がってきて、展開にはますます目が離せなくなるわ、殺害の猟奇性がダイレクトにグロテスクに描写されるシーンでは目をそらしたくなるわ、例によって例のごとく、白石監督はなかなかに残酷な策士です。

(c)PictureLux/The Hollywood Archive/Alamy Stock Photo
実際のところ、お話を語る順序がうまい作品だと思うんですね。そこは脚本の高田亮クオリティーっていうことなんでしょうが、これは出来事や事実のみを書き出して、それを元に誰かに伝えてくださいって言ったら、語り手によって全然違う印象の話になるだろうと思います。適切なトーンと効果的な順序で、雅也と観客が知っている情報を制御しているからゾクゾクするんです。
 
どうしても殺人やその前後のおぞましさについて触れたくなるんだけど、僕にとっては物語的な謎や猜疑心をさらに増幅させる白石演出に注目したいです。冒頭から印象的な、用水路の水に流れる花びらと思いきやのあれ。一見花びらだと思いきや、美しいと思いきや、身の毛もよだつあれ。見かけに騙されてはいけないということですよね。榛村が用水路に水を流す時に開ける重たい金属のハンドルのやな感じ。雅也の実家のやな感じの空気も見事。優柔不断な母親のおどおどした表情。高圧的な父が暖簾越しに不意に現れる時の気持ち悪さ。あんな嫌な感じのビールの飲み方ありますか。そして何より、面会室で向き合う雅也と榛村大和の一連のシーンです。決して触れ合うことはないんですが、ガラスに映る表情をふたり重ねて見せるところなんて、途中から湧いてくる疑念の影響で余計に不気味だし、殺風景の極みの壁に映像を映してみたり、実際にはあり得ないんだけど、ふたりが同じサイドにいるように見せてみたり、白石さんが思いつく限りの映像のアイデア・技術を盛り込んでいて、そこは大いなる見どころです。

(c)PictureLux/The Hollywood Archive/Alamy Stock Photo
一方で、謎は雪だるま式に膨らんで、映画版に用意された異なる結末もゾッとはしますが、映画館の席を立ってから落ち着いて考えた時に、こうも思うんです。結局これはなんの話だったのかと。人の心に入り込んで掌握して操ることに長けた榛村。彼はなぜあそこまで他人を傷つけることに固執したのか。裁判では「それが必要だったから」としていました。親から愛されることの少なかった、あるいはまったくなかった人間の不幸は断片的にこそ出てきましたが、死刑にいたる病とはなんなのか、先天的なものなのか、環境要因もある後天的なものなのか、それが謎として残るのはいいにしても、そこを解き明かす素振りがあまりにも少ないことが、僕には不満に感じられました。ことがことだけに、エンタテイメントにしても、殺人鬼を殺人鬼としてただ描くことにはもう少し躊躇があるべきではないかと、最後に僕の意見を表明して評を終えます。それでも、白石演出、さすがという評価は変わりませんけどね。
 
大間々昂さんが見事なサントラを提供していましたが、ここは僕のイメージ選曲で、人を巧みに操ってしまう恐怖がモチーフにもなっているMuseのPsychoをオンエアしました。

さ〜て、次回、2022年6月7日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『トップガン マーヴェリック』となりました。キタキタキター!!! やりました。サンクス・ウィークス2週目のFM COCOLO CIAO 765としては、ぜひとも当てたかったところ。リスナーからも、語り合いたいとの声を多数いただいていたということもあり、なんなら枠をひとつ増やすという禁じ手まで使って、引き当ててやりました。大丈夫かな。映画神社のタタリとかないかしら。いや、大丈夫でしょう。みんなも大興奮しているのだから。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!