京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『冬薔薇』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月21日放送分
『冬薔薇』短評のDJ'sカット版です。

埋め立て用の土砂を運ぶガット船で海運業を営む両親のもと、港町で育ってきた淳。服飾系の専門学校に籍こそ置いているものの、まともに通学もせず、半端な不良仲間とつるみながら、友人や女から金をせびってダラダラくらすロクデナシです。時代の波に乗り切れず、ガット船の操業と後継者について悩みを抱える父ですが、親子の会話もほとんどない状況の中、淳の仲間が街で襲われる事件が発生。浮上した犯人像は、意外な人物のものでした。
 
伊藤健太郎を主演に映画を撮ってほしいという依頼を受け、オリジナルで脚本を書いて監督したのが、これが29作目となる阪本順治。集められたキャストは、両親役に小林薫余貴美子、ガット船の乗組員に石橋蓮司伊武雅刀真木蔵人など。そして、永山絢斗河合優実といった面々も出演しています。
 
僕は、監督を番組ゲストに迎えるにあたり、マスコミ試写で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

2年弱前でしたかね、伊藤健太郎さんが交通事故を起こして、不起訴とはなったものの、逮捕されたことにより、約1年、芸能活動がストップしました。人気と才能を考えれば、もう一度チャンスを与えたい。そう考えられても不思議ではないところへ、阪本順治監督に何とか主役で一本お願いできないかということになったわけです。監督にしてみれば、これまで縁もなく、40年ほど年の離れた若い俳優を主演で迎えることになるとは思っていなかった。ついては、一度、マネージャーも抜きの、一対一、サシで話し合わせてほしいと2時間ほど語り合い、伊藤さんにしてみればきっと探られたくないような質問もあえてしたうえで、正直に何でも打ち明けてくれたその内容と態度を踏まえて、オリジナルの脚本を当て書きで練り上げました。
 
もうひとつ前提としてお伝えしたいのは、タイトルで季語でもある冬薔薇について。薔薇にも種類はいろいろあるけれど、冬に咲くものは珍しい。冬枯れの中、枝葉も落としてしまったところに小ぶりの花をつけるのは、わびしい思いを禁じえないと歳時記にはあります。つまり、美しいけれど、どこか物悲しい。生命力を感じるが、気を逸したような孤独も漂う。監督は数年前、飲みに行った帰り道、花屋の軒先でたまたま見かけた薔薇の鉢植えを生まれて初めて勢いで買って、ご自身がおっしゃるには「おじさんが柄にもなく」丁寧に手入れをしていたら、冬のある日にふと咲いてくれた。この出来事は何かのモチーフとして使えるんじゃないかと温めていたわけです。

(C)2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS
若くして自分の失敗で出直しを余儀なくされた伊藤健太郎と、冬に咲く薔薇。さらには、以前から気になっていたガット船を盛り込んで、あえてこんなワードを使えば、令和のろくでなしブルースを編んでいくことになるわけですが、はっきり言って、ああしたヤンキー漫画のようなキャラクター的魅力はありません。伊藤健太郎演じる淳は、つるんでいる半グレ集団の中でも上層部にいるわけではなく、強者には媚びへつらい、弱者には偉そうで、自活能力もなく、野望も展望もなく、ただ漂っているだけの浮き草なんですね。他の連中にもそういうところはあるし、一見真っ当な奴だって、闇を抱えているところも見せます。そして、考えてみれば、淳の親や雇われている労働者たち大人も、多かれ少なかれ不安定に揺れて生きているじゃないかと、監督は若者をクールに見るだけでなく、自分と同世代をある種自虐的に見ているところもありました。そこはフェアだと思うし、あの父親の不甲斐なさを考えれば、淳に対して同情の念が湧かなくもないです。

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でも、それにしたって、久々に、目に見えてどうしようもないなっていう青年の話を見ましたよ。最近評したもので言えば、ギレルモ・デル・トロの『ナイトメア・アリー』なんて、人生の再出発もの、なおかつ因果報応ものがありましたけど、あれなんかだと、主人公は一応は野心を抱いて、それがどう転ぶのかっていう見どころがあるものの、淳にはその野心もないんです。僕はイタリアのパゾリーニ監督、1961年のデビュー作『アッカトーネ』を思い出しました。ローマ郊外のチンピラでヒモとして暮らしている青年の顛末を描いた作品でしたけどね。同じく、どうしようもない話だし、行儀の良い教訓もないんだけれど、なぜか食い入るように見てしまう共通点があります。

(C)2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS
『冬薔薇』について言えば、小林薫余貴美子石橋蓮司といったベテランとのアンサンブルもありますが、斜陽化する肉体労働たるガット船の操業という、監督の言葉を借りれば「お仕事映画」としての興味の持続と、波間を空っぽのままたゆたう不思議な船そのものが、空虚さと、見通しの立たなさの暗喩として機能させるのがとても良かったです。もちろん、母親が途中から事務所脇で不意に育て始めた冬薔薇もそう。サングラスも意味深なモチーフになりました。それら道具立ての巧さがストーリーそのものの深みを越えてしまっている気もして、そこは歯車が多少きしんでいるように思える箇所も僕にはありました。そして、そのままなんだかんだと、最後には伊藤健太郎復帰作で主人公に花を持たせるラストとなれば、その花は造花に違いないと嘘くささが充満するところですが、阪本監督に限ってそんなことはしません。ラストに、淳は咲いてみせます。しかも、彼は落ちこぼれて落ちこぼれて、文字通り地を這う彼を、これでもかと真上から俯瞰ショットで撮影して映像的にも叩き落とした上で、彼は這い上がります。きっかけと場所は僕らが期待したものではなかったけれど。そして、サングラスはかけているのに、ラストショットでそのレンズの向こうに、彼の生きた目が初めて見えるような気がするんです。それは見たことのない伊藤健太郎の顔であり、結果として、阪本順治監督の伊藤健太郎をまた土俵・リングに上げるお仕事は成功していると思います。
主題歌にあたるようなものはないので、僕のイメージ選曲。ならず者にこちらへ戻ってこいと助言を贈るDesperadoをDiana Krallのバージョンでオンエアしました。誰かに愛してもらえるような人になるんだ。手遅れになる前に。そんな言葉で締められるこの曲を、僕は主人公の淳に贈りたいなと。


さ〜て、次回、2022年6月28日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『メタモルフォーゼの縁側』となりました。話題になった漫画の映画化ですよね。芦田愛菜宮本信子が演じる世代のまったく違う女性ふたりが、まさかまさかのBL漫画を通して交流するということですが、なぜ宮本信子演じる婦人がBLにハマったのか、まずそこに興味津々の僕です。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!