FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月23日放送分
映画『プアン/友だちと呼ばせて』短評のDJ'sカット版です。
ニューヨークでバーを経営する青年ボスに、タイで暮らす友人のウードから数年ぶりに電話があります。実はウードは白血病で余命宣告を受け、最期の頼みを聞いてほしいというんです。店を1ヶ月休んでタイに帰国したボスの役回りは、なんと運転手。元カノに返したいものがあるから、連れて行ってほしいのだと。しぶしぶ受け入れたボスは、ラジオDJだったウードの父の形見である古い車のハンドルを握り、ふたりの期限付きの旅が始まります。
『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』が国際的な大ヒットを記録したタイの新たなる才能バズ・プーンピリヤ監督が、巨匠ウォン・カーウァイから一緒に映画を撮ろうという誘いを受けて実現したこの企画。カーウァイは製作総指揮として原案から脚本の監修も行いました。共同脚本も務めたプーンピリヤ監督のもとには、タイが誇る若手のトー・タナポップとアイス・ナッタラットが集って、それぞれボスとウードを演じたほか、『バッド・ジーニアス』で主演したオークベープ・チュティモンも、ウードの元カノ役でスクリーンを彩っています。
僕は、先週土曜の朝、アップリンク京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
珍しく、先にどうもいただけないって部分を話しておきます。それは、この主人公ふたり。病気のウードとボスのしょうもないエゴです。元カノ、しかも、早々に判明することなんで言ってしまいますが、複数の元カノにそれぞれ何かを返却するって、ウードくん、そりゃ、あんた、相手にしたら面食らいますぞ。ボスはボスで、自分の出自をこじらせすぎ。自分の置かれた環境を疎ましく思いつつも、結局はその環境を利用もしているわけで、あんた、またイケメンでモテモテなのをいいことに、生き方の問い直しをするのが遅すぎ! もう30やで! あと、もっぺん、ウードくん、あんたもな、人にものを打ち明けるのがいつも遅すぎるよ。もっと早く、そこはナヨナヨ・ウジウジせんと、もっと大人になって、発言も行動もスパッとしなはれ! 僕、映画館からの帰り道に、バスに揺られながら考えてみたんやけど、君がもしもっと早く打ち明けるべきタイミングでもろもろ動いてたら、こんな映画できてないから! こんな、すばらしい映画! その意味で、ありがとう。
だんだんヒートアップしてしまいましたが、作品の出来栄えはもう最高です。ちょっと文句のつけようがない。あとは、このふたりの青年の未熟さについていけるかでしょう。その点でウマが合う合わないってのはありますが、僕に言わせれば、そこもある程度は脚本でフォローしてあるんですよ。ウードの強引さに「なんだよ、俺、結局運転手かよ!」っていうボスの呆れる様子。観客も同様ですから、ボス寄りの視点でツッコミを入れながら旅に同行する。ところが、旅のもうひとつの大きな目的が明らかになるところ、カセットテープで言えばB面にさしかかるところから、今度はボスの未熟さもつまびらかになってくるんだけれども、そこからはもう怒涛の種明かしが続く語りのうまさで引っ張られます。これ、実は監督も脚本を書くにあたって、体当たりのシナリオハンティングと言うべきか、実際に自分の元カノたちに会いに行ってみたそうです。再会を喜ぶ人、戸惑う人、拒絶する人などなど、そりゃ色んな反応があったようで、おそらくはそんな体験をさらにグツグツ煮詰めて濃くしてシナリオに盛り込んでいるもんだから、ふたりはそれぞれに自分たちの過去の言動のしっぺ返しを食らっています。自業自得な部分もあって、ふたりはそんな苦い経験をしながら、ようやく大人になっていく。そこが描けていること、言わば、青かった自分たちに、落とし前をつけているところが憎めないポイントです。
複数の元カノを訪ねて回るという映画だと、ジム・ジャームッシュの『ブロークン・フラワーズ』を思い出します。若いふたりの青年が、生き死にの問題をはらみながら、幼さからの脱皮をする話だと、僕は村上春樹の初期の主人公たち、僕と鼠を思い出しました。そして、画作りにおいても、映画というメディアの特性を踏まえた語りのうまさにおいても、製作総指揮ウォン・カーウァイのテイストはあちこちに内包されていまして、もともと優れたプーンピリヤ監督の才能と合わさって、見事にドライブしています。
元カノたちそれぞれのキャラクターとも連動させたという、タイの街の違いも味わえる観光映画にもなっています。NYの街そのものも大事な役割を果たします。カクテルなどのお酒もそう。それぞれグッドセレクトな音楽もお見事だし、何より音楽を扱っているだけあって、映画全体のリズムも抜群。脚本だけでなくて、ひとつひとつのショットの間合い、カメラの時に突飛なアングルと動き、チャプターごとにライティングや色調や画質を微細に変化させるテクニック、効果音や文字を出すタイミングなどによって丁寧に丹念な演出が施されているからこそ、最高のリズムが生まれていて、お見事という他ありません。そして鑑賞後には、自分のこれまで出会ってきた人たちを思い出して、また前を向いて生き続けようと晴れやかになるんです。不特定多数の人生がひととき同居する映画館という装置での鑑賞を強くオススメしたい1本でした。
ウードの父親であるラジオDJが深夜放送で語ります。もしも今ひとりぼっちだとしても、忘れないでほしい。俺がそばにいることを。よき友人と最高の音楽。それがあれば、どこへ向かおうと寂しくないはずだと。ラジオを聞いてパーソナリティーを友だちのように思ったことが一度でもある人なら、この映画、観てほしいです。Three Dog NightのOneも素敵な曲紹介だったんで、僕も放送でオンエアしましたよ。
さらに、エンディングに用意された、監督の友人であり、タイのシンガーソングライターにして大スター、Stampによるこの主題歌も無論最高です。