京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『彼女のいない部屋』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月20日放送分
映画『彼女のいない部屋』短評のDJ'sカット版です。

公式ホームページのシノプシス、あらすじのところには、たった1行、こう書いてあります。「家出した女の物語、のようである」。
 
フランスの地方都市。彼女は朝、どうやら夫とふたりの子どもを残して、家を出ました。彼女は車を走らせます。フランス公開時にも、これ以上の物語の詳細は伏せられていたというのがこの作品。

007 / 慰めの報酬 (字幕版) さすらいの女神たち(字幕版)

 共同製作、監督、脚本は、マチュー・アマルリック。『007 慰めの報酬』などに出演してきた俳優でありながら、『さすらいの女神たち』など監督としても知られる人ですね。現在来日中です。

 
主人公の女性クラリスを演じたのは、このコーナーで短評した作品で言えばシャマランの『オールド』にも出演していたヴィッキー・クリープス。夫のマルクをアリエ・ワルトアルテが演じています。
 
僕は、先週木曜日の夜、京都シネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


今作はとにかく前情報がまったくなく、あらすじもわからないという状況で観る人がほとんど。もちろん僕もそうでした。だから、ネタバレに気をつけてお話をしますが、『彼女のいない部屋』は部屋に彼女がいる状態から始まります。主人公のクラリスは、ベッドの上にポラロイドで撮りためた家族写真を裏にしてランダムに配置して、まるで神経衰弱のようにめくっては裏返し、そのゲームの題名通り神経を衰弱、あるいは尖らせて、何度もやり直しをするんです。事情が定かではない僕たち観客は、これはいったい何が起きているのだろうと、家を出ようとする彼女に、あるいはそこで鍵を落として鳴ってしまったピアノの音に、目と耳をすませます。どこかに彼女の家出の原因が見つかるに違いない、聞こえるに違いない。そういうわけです。

(C)2021 - LES FILMS DU POISSON – GAUMONT – ARTE FRANCE CINEMA – LUPA FILM
クラリスが乗り込んだのが70年代後半のものと思しき古い珍しい車で、オーディオはカセットテープ。彼女はそれで娘の弾くピアノを聴きながらアクセルを踏むものだから、てっきり数十年前の話かと思いきや、当たり前のようにスマホが出てきて、最近のことなんだと気づかされたり、とにかく断片的なシーンが続くので、そこに食らいついていく感じです。家を出たクラリスはどこへ向かうのか。そして、彼女のいない部屋、つまり家に残った家族の反応やいかに。なんて、紋切り型にサスペンスを煽ってしまいそうになりますが、どうやらクラリスの身に起きたこと、あるいは家族に起きたこと、その出来事も大事にはなるし驚くんだけれど、謎が解けて膝を打ってすっきりするというよりも、その出来事が引き金となった感情、記憶、時間に心を持っていかれる映画です。
 
映画には、僕たちがコミュニケーションにこうして使っている言語ほど精緻ではないなりに、こういう風に見せれば、こういう順序で映像を並べれば、音を使えば、だいたいみんなが同じ状況を把握してくれますというような「文法」があります。たとえば、クラリスがどこかを熱心に見つめているイメージの後に、子どもの姿があれば、それは彼女の目線、視界を表しているんですよっていうような約束事があるわけです。そういう経験則に基づいて無意識に映画を観るし、監督はそんな流れを意図して映像をつないでいくものですが、本作においてはそんな経験や合理性が通用しないので、僕たちは面食らうことになります。この美しい木漏れ日は誰が見ているものなんだろう。子どもが木登りをしているのはいつのことだろう。海辺の街は。聞こえてくる歌は。フランス語とスペイン語の入り混じった会話は。悲しみにのあまり同僚に喋りまくる夫マルクを見ているのは、誰…

(C)2021 - LES FILMS DU POISSON – GAUMONT – ARTE FRANCE CINEMA – LUPA FILM
主観と客観、意識と無意識、過去から未来へと続く時の流れ、空間が次々と交錯する中で、僕たちは、そう、あの冒頭のポラロイドをめくってはまた戻していたクラリスのような体験をしながら、悲しみと喜びと喪失と再生のきざしに感じ入るんです。原題はSerre moi fort. 英語のタイトルはHold Me Tight. 彼女は、愛しい人たちを抱きしめたし、抱きしめられた。彼女のいない部屋は、彼女の胸の中にずっとある。

(C)2021 - LES FILMS DU POISSON – GAUMONT – ARTE FRANCE CINEMA – LUPA FILM
最後は禅問答みたいになってきましたけど、マチュー・アマルリック監督の才能や恐るべし。パズルを解くようなミステリーではなく、これは人の孤独をめぐるポエジー、詩です。ベートーヴェンドビュッシー、J・J・ケイル、ショパンなどなど、ピアノ曲とポップスに乗って、あの車に乗って、あの魚の匂いをかぎ、あのカフェオレをボウルで飲みながら、いつしかクラリスの経験と感情は、監督のそれと重なり、僕たちに届く。冒険心に満ちた、それでいて純映画的な作品でした。すごいです! ブラヴォー!!!
この映画では、確かにピアノ曲を中心としたクラシックがとても大事な意味を持って響くんですが、僕は予告編でも流れていたこの無骨なロックが胸を打ちました。サンフランシスコのサイケロックバンドThe Brian Jonestown Massacreマサカーを取り上げたのも渋くてかっこいいです。

さ〜て、次回2022年9月27日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『3つの鍵』です。昨日は台風が迫る中、UPLINK京都でモレッティ監督の魅力に迫るトークショーを行ったところ。独自のユーモアを封印して、都会の同じマンションに暮らす3家族の物語を編み上げたその手腕にご注目ください。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!