京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『アイ・アムまきもと』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月25日放送分
映画『アイ・アムまきもと』短評のDJ'sカット版です。

田舎町の市役所市民福祉課で勤務する40代の独身公務員、牧本。彼が担当するのは「おみおくり係」。身寄りがないまま孤独死した人を無縁墓地に埋葬するのが仕事なのですが、まったく空気を読まず、人の話をまったく聞かないコミュニケーション下手の彼はそこに勝手に独自のルールを持ち込んでいます。それは、自腹で葬儀を行い、できる限り遺族を探して無縁仏にならないように努めること。ある日、自宅のすぐ向かいで孤独死した男性の「おみおくり」をするところから、まきもとの暮らしと価値観に、小さくはあっても決定的な変化が訪れるようになります。

おみおくりの作法(字幕版)

原作となる映画は、ヴェネツィア映画祭で4つの賞を獲得した、2013年、イタリアとイギリス合作、ウベルト・パゾリーニ監督の『おみおくりの作法』(Still Life)です。ロンドンを舞台にしたこの原作映画を日本を舞台に脚色した監督は水田伸生。脚本は、岸田國士戯曲賞受賞の劇作家、倉持裕(ゆたか)。牧本を演じたのは、『舞妓 Haaaan!!!』『謝罪の王様』など、これで水田監督と4度目のタッグとなる阿部サダヲ。他に、満島ひかり國村隼宮沢りえ、宇崎竜童、松下洸平、でんでん、松尾スズキなど、豪華キャストが揃いました。
 
僕は先週金曜日の朝に、MOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

人は誰もが必ずいつか死ぬ。人生いろいろなら、死に方もいろいろです。誰かに看取られる人もいれば、ひっそりと死んでいく人もいて、特に自宅でという場合にはそれは孤独死と呼ばれるわけですね。どんな暮らしをしていようと、「死ねばひとりなのだ」という意味で死は究極の孤独であると言えなくもないでしょうが、これが社会問題化してきたのは、発見が遅れがちであるという意味で、広い意味で死の後始末がなかなかに大変であるということや、高度経済成長、都市化、核家族化の行き着く先としての現代人の孤独を象徴する現象だと見られているからではないでしょうか。
 
身寄りのない人、あるいは家族や親戚はいても縁の途絶えている人が亡くなると、対応するのは役所です。公務員が遺体を引き取り、死亡届、火葬など、たくさんの作業を代行することになるわけです。『川っぺりムコリッタ』にも、役所に遺骨が安置されていることを示す場面がありましたね。この映画の主人公牧本は、自分の仕事にやりがいと誇りを感じている節がありまして、これは業務の範囲を越えることなのだけれど、火葬に立ち会うだけでなく、葬式まで執り行う。しかも、なんとまあ、自費で。なぜにそこまでご執心なのか。そのきっかけはどこにあったのか。映画の中ではっきりとは示されません。興味深いことに、亡くなった人の生前の様子を丹念に調べる牧本は描かれるのに、牧本の過去というのはまったく出てこない。つまりは、ある意味ドーナッツの穴のように、この映画の真ん中には牧本という空白があるんです。わかっているのは、彼が市営団地にひとりで暮らしていて、趣味といえる趣味もなく、質素というレベルを越えて極度に合理化されたミニマリストの極みという生活様式を採用していること。家の中でも仕事着だし、服は同じものをいくつも揃えているし、料理はフライパンで温めるだけのできあいのおかずと白米を、なんと台所で立ったまま、皿に盛り付けることもせず口にしている。自分のルールを確立しきっていて、家の中でも外でもすべてにルーティーンが事細かにある。余計なことを考えたくないがための、こだわらないためのこだわりみたいなもので塗り固めてあって、「人間らしい」とは言いがたい感じ。そんな彼が、唯一と言っていいほど、ある種、人間らしく情熱を注ぐのが、見知らぬ誰かの弔いです。

(C)2022 映画『アイ・アム まきもと』製作委員会
彼は亡くなった人の生前の行いを探る探偵ですよ。遺留品に目を通し、身寄りがないか調べては警察でも見落とすような人間関係を洗い出し、可能なら会って話をし、葬儀に参列してほしいと頼み、その願い叶わずとも、自分ひとりでも手を合わせる。本作では、何人かのケースをテキパキと見せてこの仕事と牧本の特徴、あるいは異常性を見せた後に、ある理由からこれが最後の事案となるかもしれない蕪木という60代男性のケースを、その行程の最初から最後までをみっちり描くという構成。まきもとが蕪木の過去を辿っていく中で、その人物像を立体的に浮かび上がらせながら、まきもとの人生観や価値観が少しずつ、でも確実に変化していく、人間らしくなっていくところに僕たちは立ち会います。見るからに生き生きしてくるんですよね。
 
牧本は蕪木の家族や仕事仲間などにひとりひとり会って話を聞く。すると、回想シーンなんてないのに、蕪木の人柄や浮かび上がっていく。と同時に、牧本の生き様も浮かび上がる構成は、脚本を手がけた倉持裕のあっぱれな仕事です。水田監督の演出はカットひとつひとつに説明がつくような滑らかで手堅いもので、俳優の演技も基本的に抑制させることで観客が登場人物の感情を想像する余地を与えています。それだけに、たとえば漁村の食堂での場面など、セリフの多いシーンで何度か見られた俳優の動かし方の不自然さが際立つこともありましたが、全体的にロンドンが舞台の原作映画をうまく日本にローカライズした佳作です。太古の昔から、弔うという行為にはその民族その文化の特徴が強く反映されてきたわけで、原作と比較しても面白いと思うのでオススメします。

(C)2022 映画『アイ・アム まきもと』製作委員会
原題はStill Life。これは死後の世界みたいなスピリチャルなことではなくて、人は死んでも誰かに思い出される限りは、その誰かの心の中でそれぞれに生き続けるのだということ。だからこそ、それがどんな人であったとしても、簡単に忘れられてはならないのだという普遍的な思いを新たにしてくれます。そして、僕たちも、映画館を出た後も、He was MAKIMOTOと彼のことを思い出すような余韻がとても良いなと感じました。
映画では、劇中で一言もセリフを発しなかった宇崎竜童さんの歌でこの曲Over The Rainbowが流れます。こちらはPentatonixのバージョンですが、とてもユニークなアプローチの宇崎さんバージョンはどうぞ映画館で聞いてみてください。

さ〜て、次回2022年11月1日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』です。タイトルが長い。実際、ここに書き出す時に2回、書き損じました。早速、僕もループにハマってしまった格好ですが、タイムループものは過去に多彩な作品が数あるだけに、こちらはどんな手法で魅せてくれるのか。期待しています。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!