京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『窓辺にて』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月22日放送分
映画『窓辺にて』短評のDJ'sカット版です。

元小説家で40代のフリーライターの市川茂巳は、出版社で売れっ子作家の編集者をしている妻の紗衣が浮気していることに怒りを覚えられずにいる。サッパリしている自分にショックを受けている。そんな市川が、取材対象の女子高生作家、彼女のおじ、彼氏、市川の友人であるスポーツ選手とその妻などと会うなかで、だんだんと彼自身の人生観や創作に対する姿勢が変化していく、恋愛群像劇です。

愛がなんだ 街の上で

 監督は、現在41歳にして、これが17本目のオリジナル脚本作となる今泉力哉フリーライター市川を稲垣吾郎が演じたほか、その妻紗衣を中村ゆり、女子高生作家を玉城ティナ、スポーツ選手を若葉竜也がそれぞれ担当しています。

 
僕は先週金曜日の朝に、UPLINK京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

冒頭のシーンを思い出します。主人公の市川がよく行っているであろう純喫茶の窓辺の席。小説を読んでいる。ふと本を置いて、コーヒーを飲む。見ると、日差しがお冷のコップを経由して乱反射している。興味を持った市川は、それを持ち上げて、もう片方の手にかざして、手に映る光と影で遊ぶ。なんでもないしぐさです。彼が何者であるかも、まだわかりません。彼がライターをしているというのがはっきりわかるのは、その後、女子高生作家が文学賞を受賞した記者会見場で市川が手を挙げた時にようやく。インタビュイーではなく、インタビュアーとしての稲垣吾郎という物珍しさも手伝って、「オッ」と軽く驚きながら、そうなんだと観客は受け入れることになる。同じように、若葉竜也演じるスポーツ選手も、たぶんサッカーなんだろうけど、結局は最後までわかりません。でも、市川は時間に追われておらず、自分のペースで仕事をして、喫茶店ではふとした手遊びをするような人だということは伝わるし、スポーツ選手はキャリアのピークを過ぎてくる中でどうピリオドを打つのか悩んでいることはわかる。今泉監督にしてみれば、各キャラクターの紹介を型通りにやる必要はないと考えているのだろうし、だんだんと人となりがわかってくる流れというのは、僕たちが実際に誰かと知り合うときのプロセスに近いと思います。

©︎2022「窓辺にて」製作委員会 すなくじら
これって、一直線に進む話ではないんですよね。行きつ戻りつ、脇道それつつ。でも、そのひとつひとつの要素が、往々にして本人の意図せぬ形で響き合って影響しあって、全体としてぐるぐるめぐりながら前に進んでいく。そんな物語構成になっているんです。群像劇ってそういうもんだろって思われるかもしれないけれど、たいていは物語の推進力を生むために、誰かが誰かにはっきりとした意図を持って何かを行うことが多いように思うんですね。もちろん、この作品でも、特に、女子高生作家なんかは、主人公市川を振り回すようなアクションを次から次へとしかけてくるんだけど、いずれにせよ、当の市川はどんなできごとであっても、ひょうひょうと引き受けて、時にいなして、時にしっかり巻き込まれて、もまれながらも歩いていく。僕は思うんです。人生ってまさにそういうものじゃないかって。特に誰かと恋愛をしたり、仕事をしたりっていう人間関係は、ままならないですよね。今泉監督は、そういう僕たちの営みの響き合い、相互作用、その核心をいつも巧みに突いてくる人だし、今回はその真骨頂だと思います。
 
パンフレットでは、評論家の森直人さんが今泉監督の作品をトータルに評して、ダメ恋愛軽喜劇のサーガを作る人だと言うんですね。これが的確な言葉だったので、引用します。
 
だいたい近い場所に暮らす数人と、その友達の知り合いみたいな面々が、浮気や二股といったモチーフを通して、日常的な『サークル』を形成するように繋がっていく。その中で彼らは自己決定がゆらぎ、浮遊した関係性を生きる。まるで終わらないロンドを踊り続けるように。
 
人生が舞台なら、そのステージは街にある。彼ら彼女らは恋のダンスをそれぞれに自分のステップで踊るというわけです。全体を通して、役者は大変だろうなってくらいにセリフ量はすごく多いんだけど、いわゆる説明台詞はまずない。むしろ、これはどこへ向かうのかという、なんてことのない会話がフワッと登場人物たちの間で浮かんでは消えていく。かと思えば、消えたはずの言葉が、不意に思い出される瞬間があって、その時に言葉が不思議と輝いている。

©︎2022「窓辺にて」製作委員会 すなくじら
たとえば、パフェというスイーツの語源をカフェで語り合う女子高生作家と市川。その後、公園で交わす、猫と女をめぐる究極の選択。市川がたまたま乗ったタクシー運転手のどうってことない言葉。しかも、さりげないけれどここしかないというアングルでとらえた固定カメラで、ちょいちょい結構な長回しを入れるんですよ。ガチャガチャとカメラを動かさない。忙しい編集で流れを断ち切らない。どうってことないと思える場面でも、実はものすごく計算された会話劇になっています。
 
さらにたとえば、市川が山小屋で隠遁生活を送る同年代の男とウッドデッキで話す場面。ふたりがずっと話しているその室内には、その場所へ市川を連れてきた女子高生作家の姿がずっとあって、本を読んでいる。このスタイルは、相当センスがないとできないですよ。
 
大きなテーマは、手に入れることと手放すことです。それは恋愛もそうだし、仕事、キャリア、名誉もあるでしょう。誰が何を手放しているのか。それを軸に観ていくと、これが単なる恋愛映画でないことがわかります。人間関係そのものの不思議を描くとてもユニークな作品であり、倫理観や道徳を振りかざしたり、押し付けたりせず、世の中にはいろんな人がいてこそ面白いのだともじんわり教えてくれる、僕にとっては今後も思い出すだろう大事な1本となりました。今泉監督、すごい才能です。
 
主題歌に抜擢されたのは、スカート。映画の登場人物の視点を歌に盛り込んだものになっていると思います。


さ〜て、次回2022年11月29日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ミセス・ハリス、パリへ行く』です。1950年代のロンドンで家政婦として働くミセス・ハリスがディオールのドレスに一目惚れし、意を決してパリへと買いに出向いていく。でも、今でも高価なものなのに、当時のディオールなんていったら、そりゃオートクチュールだし、パッと買って帰るわけにもいかないでしょうに。ハリス、どうなる。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!