FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月31日放送分
映画『ノースマン 導かれし復讐者』短評のDJ'sカット版です。
9世紀頃のスカンジナビア半島のとある小さな島国。まだ10歳の少年だった王子アムレートは、王である父を殺され、王妃である母をさらわれてしまいます。復讐を誓いながら、ひとり小船で島から逃げ出したアムレートは、それから何年か後、東ヨーロッパで山賊のように略奪を繰り返すヴァイキングの一員になり、流浪の生活をしていました。ある日、預言者と出会い、自分の復讐が運命なのだと悟った彼は、父を殺した人物の行方を追い始めます。
監督、共同脚本、共同製作は、『ライトハウス』などで知られる、現在39歳のロバート・エガース。主演にして共同製作にも名を連ねるのは、スウェーデンのアレクサンダー・スカルスガルド。エガース監督の過去作で名を上げたアニャ・テイラー=ジョイやウィリアム・デフォーも再登板している他、ニコール・キッドマン、イーサン・ホーク、ビョークなども出演しています。
僕は先週金曜日のお昼に、TOHOシネマズ二条で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
ロバート・エガース監督はこの番組で扱うのは初めてで、なおかつ彼にとっても初めてのアクション大作となるわけですが、まぁ聞きしに勝る映画的スペクタクルで見応えがありました。話としては、北欧のあちこちの神話をベースにした英雄的復讐譚ということになるんですが、見事に禍々しく血生臭い。それでいて、僕はこの時代のエンターテインメントにもなっていると感じたので、そこに向けて話していきます。
まずアムレートを主人公とした神話というのが、あのシェイクスピアの悲劇ハムレットの原型になっているということはよく言われます。これは話のきっかけになるところなんで言って問題ないところですが、父親の仇というのは、父親の弟、つまりアムレートの叔父なんですね。さらに、そこからの王家のパワーバランスと怨恨が悲劇を生んでいくという人間関係はハムレットそのままです。北欧の伝説を基にしたと言われるシェイクスピアを、エガース監督がまたベースにしたということになりますが、僕は観ていてその画作りに黒澤明を感じたんです。画面の強いコントラスト、戦闘シーンの迫力、もちろんカラーなんだけれどほとんどモノクロのようなダークな雰囲気や霧とか雨、炎の使い方が黒澤っぽいなと。で、これは後で確認したことですけど、考えたら黒澤もシェイクスピアのマクベスを下敷きに『蜘蛛巣城』を撮ったじゃないか、と。そして、エガース監督はデビュー作の『ウィッチ』で新藤兼人の『鬼婆』を参考にしたとも言われていて、つまりはこうした王道的神話の型のひとつである強度の高い貴種流離譚や怪談の類に興味があって得意としているところがあるんですね。
面白いのは、ぶっ飛んだファンタジックな要素と突き詰めまくったリアリズムを絶妙にブレンドしていること。そこにこそ、エガース監督は心血を注いでいます。リアリズムで行けば、建築物、衣装、武器、船、音楽など、そこまで必要なのかと思うくらいに徹底的な時代考証を専門家を動員して行い、ロケ地の選定も含めて、9世紀の北欧というのはこんな感じだったのかも知れないという、いわゆる世界観を説得力をもって画面いっぱいに広げてみせるんですね。と同時に、火山の使い方や謎の儀式、そして象徴的に何度か挿入される怨念のファミリーツリー的な映像など、オペラ的とも言える美意識でたくましく現実を飛躍してもみせます。その組み合わせが観客を興奮させるわけです。
黒澤的と僕が言ったアクションですが、カメラを何台も使ってひとつのアクションを同時にマルチアングルで撮影する手法を取り入れた黒澤に対して、僕はこれきっとワンカメで撮ってるなと思って後でパンフを確認したら、やはりそうでした。極力カットを割らずに、練りに練ったアクション及び一台だけのカメラの動きで、最大100人以上の戦闘シーンを撮影することで生まれる迫力はとんでもない領域に達しています。そこへきてのビヨーク演じる魔女の振り切った衣装が突然やって来たりするあのリアリズムとファンタジーの同居にはすっかり感心しました。
最後に、なぜこれが現代的でもあると僕が感じたかです。そもそもエガース監督は、ヴァイキング文化に興味はなかったそうです。マッチョで右翼的なステレオタイプがあったとも認めています。では、なぜ彼がここまでの労力をかけて取り組んだのか。それは、権力者の家族や親戚の愛憎や面目が、より大きなパワーバランスの変化や暴力に肥大化していく悲劇が今もなお繰り返されていること。そこに巻き込まれる民がいること。その上で、女性の心の強さと復讐の虚しさを描いていること。ニコール・キッドマンしかり、アニャ・テイラー=ジョイしかり、はっきり言って男よりもよっぽどたくましいです。一方で、男はメンツをかけるあまり合理的な選択ができず、もはや何の意味もない復讐であっても命をかけてのあの結末ですよ。僕はそこにこそ王道にツイストを加えた現代的な意味を読み取りました。
エガース監督、次は1922年の名作ホラーにしてドイツ表現主義の傑作『吸血鬼ノスフェラトゥ』のリメイクを準備しているとのこと。今のうちに押さえたほうが良い才能を、この段階で何とか扱うことができて良かったです。