京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ボーンズアンドオール』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 2月28日放送分
映画『ボーンズアンドオール』短評のDJ'sカット版です。

1980年代後半のアメリカ、バージニア州の田舎町。生まれつき、人を食べてしまう衝動を抱えた18歳の女子高生マレンは、そのことを世間にひた隠す父親とふたり暮らしでしたが、友達とのお泊り会で騒ぎを起こしてしまいます。家を捨てて夜のうちに街から逃げる親子でしたが、朝目を覚ますと、マレンは父に捨てられてしまったことに気づきます。途方に暮れた彼女が目指すのは、顔も知らない母親。ミネソタにいるという母を訪ね、旅を始めると、老人のサリーや、青年のリーなど、自分と同じイーター、人を食べる同族と知り合うのですが…
 
原作は、アメリカの作家カミーユ・デアンジェリスの同名YA小説で、日本では早川書房から出ています。脚本と共同制作は、デビッド・カイガニック。監督と共同制作は、ルカ・グァダニーノ。ふたりは、『胸騒ぎのシチリア』、リメイク版『サスペリア』に続く3度目のタッグです。

WAVES/ウェイブス(字幕版) 君の名前で僕を呼んで(字幕版)

マレンを演じたのは、この番組でも短評した『WAVES/ウェイブス』で脚光を浴びたテイラー・ラッセル。彼女が出会う青年リーは、グァダニーノ監督とは『君の名前で僕を呼んで』以来のタッグとなるティモシー・シャラメ。他にも、マーク・ライアンスやジェシカ・ハーパーマイケル・スタールバーグなど、実力派俳優がキャストにその名を連ねています。
 
去年の第79回ヴェネツィア国際映画祭では、監督賞とテイラー・ラッセルの新人俳優賞のW受賞となりました。
 
僕は先週金曜日の朝、MOVIX京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


カニバリズムの話ということで、小心者の僕は結構ビビって劇場へ向かったんですが、先に言っておきます。もちろん、倫理的な観点とゴア描写が含まれるということでR18指定にはなっていますが、はっきり言って、グロさで言えばそんなにたいしたことはないので、そんなに身構える必要はないです。むしろ、これは人が人を食べるという倫理的な側面の方がショックが強いという判断じゃないかなと推察します。それはわかる。でも、それがおぞましいだろうからと観るのをやめるのはもったいないくらいに、僕は青春ロード・ムービーとして素晴らしいものがあると評価しています。

 
まずカニバリズムということで言えば、たとえばキリスト教で言えば、教会の聖体拝領ではキリストの身体の比喩としてウエハースのようなパンを食べます。キリストは最後の晩餐で言ったわけですね。パンとワインはそれぞれ自分の身体であり血である。聖書にもこうあるわけですが、カニバリズムというのは、人間の歴史の中でありとあらゆる文化の中に少なくともかつて存在し、ひとつに束ねるのは不可能というレベルで多様な意味合いをもって物語にもされてきました。もちろんショッキングなんだけれど、決して露悪的なものではないです。僕はどちらかと言えば、人の姿をした吸血鬼ものに近いなとも思いました。ヴァンパイアものとラブストーリーや青春モノをかけ合わせた例は過去にあるし、なんならトワイライトシリーズなんて、まさに若者の間でむちゃくちゃ流行りましたよね。でも、ヴァンパイアだったらジャンル化されていて違和感がないのに、人間だと違和感どころか嫌悪感が残るんですよね。僕はその嫌悪感こそ、監督があぶり出したかったのではないかと考えています。

(C)2022 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All rights reserved.
グァダニーノはこれまでも、マイノリティーの孤独やアイデンティティーの揺らぎをテーマに作品を作ってきました。80年代のアメリカの田舎を舞台に、たとえば性的少数者の物語を描いたとしましょう。なんか、特に最近だと普通にありそうですよね、そういうの。LGBTQ+を扱う映画が増えているのは良いことだと思いますが、大勢が既に指摘しているように、この映画はそうしたマイノリティーのたとえとして、おぞましきマン・イーターを設定しているわけです。今でこそ、性的少数者への「理解」というのは、たとえば20年前、あるいは30年前と比べれば進んでいるわけですよね。逆に言えば、アメリカの保守的なエリアでの30年前なんて差別は著しく、コミュニティーの中でひた隠しにしなければならず、親にカミングアウトしたとて激怒されたり嫌悪されたりしてきたわけです。当人も、たとえば思春期に自分の性自認に戸惑う苦しみなんてのは、今とは比べ物にならなかったでしょう。下手をすれば人として同じ扱いを受けないどころか、精神科病院に理由をつけて入れられるなんてこともあったわけです。これは文化圏によっては今もあることです。そして、当事者同志なら心を許しあえるかと言えば、ことはそう単純ではなく、マイノリティーというのはひとつの属性であって、人間は他にもいろんな属性があるわけだから、事情や倫理観は様々で必ずしもわかりあえるわけではない。それが故に、この人となら居場所のなかった社会や家庭を乗り越えて、心安らげる場所を一緒に作れるかもしれないと希望を見出す。

(C)2022 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All rights reserved.
って、何を映画と直接関係のない一般論をしているんだと思われるかもしれませんが、今言ったのは、『ボーンズアンドオール』のあらすじそのものなんです。自分のルーツを探る親を探す話であり、自分と似た境遇や特徴を持った人に出会うアイデンティティーの肯定の話であり、似ているけれど違う人がいることを知って自分の特徴や考え方、生き方を見極めていくこと、つまりは大人になる話を、より強烈な孤独感、疎外感、切実さをもって観客に示すため、さらには今でこそ理解しているつもりでいる観客にかつての社会が持っていた嫌悪感や侮蔑感情を思い出させる装置としてのカニバリズムなんだと思います。
 
主人公のマレンを演じたテイラー・ラッセルは圧巻の演技だったし、シャラメ演じたリーとの間柄は恋人のようでいて、兄弟のようでいて、単純なラブ・ストーリーに閉じ込められていなくて見ごたえがありました。さらに、アメリカ各地を旅するロード・ムービーとしても一級品。グァダニーノ監督は初めてアメリカで撮影しましたが、その景色にふたりの心象風景を重ねる手際はすばらしかったです。
 
僕だって、ハーフ、ダブルという少数者として80年代に育ちましたが、偏見もいじりも面倒もいろいろあったけれど、同じ境遇の人だからこそわかりあえるわけじゃないってことはありました。と、そんなことっていろいろあると思うんです。障害を抱える人、変わった趣味を持つ人、などなど。カニバリズムを過剰にセンセーショナルに取り上げて観る人が減るのはもったいなさすぎる、フィクションだからこそできる僕は優れた寓話と結論づけます。
 
最初に衝撃が走る女子会、お泊り会の場面では、Duran Duranのこの曲なんかが流れてきます。80年代という時代演出もあるんでしょうが、一夜だけの愛でもいいという内容が、なるほど物語にも絡みます。

さ〜て、次回2023年3月7日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ちひろさん』です。今泉力哉監督は作品の量も質も高水準だし、なおかつ有村架純主演だし、主題歌はくるりだしと、期待が高まります。Netflix作品ですが、エリアによっては映画館でもやっているそう。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!