京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『ちひろさん』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月7日放送分
映画『ちひろさん』短評のDJ'sカット版です。

風俗の仕事を辞めて海辺の街にやってきたちひろは、小さな弁当屋で売り子をしています。飄々とした彼女は、誰にも分け隔てなく接することで、大勢と関わっていきます。厳格な家でも学校でも息苦しさを覚える女子高生。シングルマザーの母親とふたり暮らしの男子小学生。父親との関係に悩みながら生きてきた青年。ホームレスのおじさん。入院している弁当屋の店長の妻。風俗店の店長、などなど。こうした交流を経て、ちひろにも次第に変化が訪れます。

ちひろさん 1 (A.L.C. DX) 

原作は、安田弘之の同名漫画。監督と共同脚本は、『窓辺にて』も最近評したばかりの今泉力哉。主題歌はくるりで、劇伴は岸田繁が担当しています。他にもこの作品の場合は、フードスタイリストの名前も出しておきたい。『かもめ食堂』『南極料理人』『深夜食堂』の飯島奈美が務めています。ちひろさんを演じたのは、有村架純。彼女が関わる街の人として、風吹ジュンリリー・フランキー、今泉映画のアイコン若葉竜也、まだ15歳ながら芸歴は14年ですばらしい演技を見せる豊嶋花などが脇を固めています。
 
僕は先週金曜日にNetflixで鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

ちひろさんについて、ここ何日も考えています。『花束みたいな恋をした』に続き、また有村架純演じるキャラクターが脳内に居座っています。彼女って、あの海辺の小さな街のコミュニティに風のようにいつの間にかやって来て、それぞれバラバラに点在していた人たちをゆるくつなぐ触媒として機能するんですよね。語弊を恐れずに言えば、彼女は公園で野良猫と遊ぶのと同じような感覚で人に接します。やっていることは人助けのようにも感じられるけれど、おそらく彼女にはその自覚がない。やさしいことは確かにするけれど、肩入れして強く誰かを愛することはない。たまに誰かと性的な関係を持つことがあっても、そこには嘘はないけれど、強く持続的に愛するわけではない。ある種クールで突き放すところもありますよね。有村架純について、今泉監督はこんなことを言っています。「ある種の暗さや孤独について、ネガティブなものととらえるのではなく、それらの豊かさとか良さを大切にできる人だ」と。これはちひろさんの描写にもなっているし、彼女をキャスティングした理由にもなっていますね。ちひろさんは闇や孤独を人生の前提としてプリセットしているから、それらを過剰に恐れてもがいている人には時に厳しい態度も取るような気がするし、その一方で社会から孤立してしまっている人には手を差し伸べるキャッチャーの役割を果たしています。

©︎Netflix
そこで大事になってくるのが、名前だと思うんですよね。ちひろは彼女の本名ではありません。彼女が自分で自分のことをちひろと呼んでくれと発言している場面が出てくるし、その由来も劇中で明らかになりますが、なぜ別の名前を使うのか。作品では断片的にしか提示されない彼女の過去というのが関係しているように受け取れます。家族、どうやら母親との関係は一筋縄ではいかなかったようだし、かつてスーツを来て過ごしていた彼女は別人のようでした。親から授けられた名前が象徴する、かくあるべしと家族や社会に期待された、あるいは規定された人物像に彼女は自分がフィットしないと感じたのかもしれない。その結果として、ちひろという彼女にとって自由でかっこいい大人にふさわしい名前を借用することによってのびのびと生まれ変わることができた。でも、中盤くらいからちひろさんが自分のルーツと向き合う機会が増えていくんですよね。彼女がいつか、本当の名前を名乗ることができるようになるのが、彼女の物語のゴールなのかもしれないなんてことを思ったんですが、とても興味深いのは、それは彼女の物語であって、この原作漫画、そしてこの映画の物語ではないんですよね。あくまでちひろさんが立てた素敵な波紋の数々とその重なりが描かれて、波紋が消えるように映画は終わるんです。それが心地良いんです。

©︎Netflix
と、つらつら映画を観て考えたことを述べてしまいましたが、作りについてはまず脚本がよくまとまっています。さすがは群像劇のうまい今泉監督だけあって、下手すると空中分解しそうな話を過不足なく配置しつつ、言葉に頼り切っていないのに、セリフには力があるという絶妙なバランス。墓場でのほぼセリフのない場面で墓石にできた水たまりでひっくり返ってもがくアリをちひろさんが指先で救うショットなど、映像だけで何かを示唆するところなんてすごく巧み。シングルマザーのヒトミが息子のマコトと女子高生のオカジに焼きそばを食わせる場面なんて、是枝裕和ばりの演出だなと感心しつつ涙がこぼれたし、全体を通してフード演出も丹念に行われていました。ちょっとわかりやすすぎるかなという流れもありましたが、Netflixが強く打ち出す作品としてある程度ポップに仕上げるというところも意識されたのかなと思います。結果的に、有村架純はまた良作に出演して実力を発揮しましたね。豊嶋花の今後もますます楽しみになるという収穫も得ました。まだしばらくはちひろさんが僕の頭の中にステイしそうですが、きっと知らぬ間にいなくなって、半年後、あるいは1年後にまた「元気?」と顔を出しそうな気がしています。つまりは、とても素敵な作品だったということです。
 
せっかくなんで劇場で観たいという方は、心斎橋へどうぞ。イオンシネマ シアタス心斎橋で上映している他、24日からは京都出町座、4月2日からは兵庫のパルシネマしんこうえんでも上映されます。


くるりの主題歌も映画の余韻にすばらしい役割を果たしていました。途中であえて言葉を当てずにナナナで通す余白も、この物語にぴったりだと僕は感じています。

さ〜て、次回2023年3月14日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ワース 命の値段』です。9.11を描いた映画もいろいろとありますが、僕は不勉強にも補償問題についてはまったく知りませんでした。モデルとなった弁護士のインタビューにも実は既に接していて、興味津々です。心して鑑賞しますよ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!