京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月21日放送分

アメリカで暮らす中国系移民女性のエヴリン。長年営むコインランドリーの経営問題。老いた父親の介護。反抗期を迎えている一人娘。ここのところトラブル続きでいっぱいいっぱいのエヴリンですが、夫はやさしいのは良いものの頼りにはなりません。そこへ、別の宇宙からやって来たという夫に憑依された夫が言います。「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは君だけだ」。まさかと驚くエヴリンでしたが、実際に悪の手先に襲われてマルチバースにジャンプ。別の宇宙ではカンフーの達人である自分の力を得たエヴリンの全宇宙を舞台にした戦いが幕を開けます。

アベンジャーズ/エンドゲーム(字幕版)

と、公式サイトのあらすじをベースに補足してまとめたものの、作品を未見の人は何が何やらという状態だろうなというこのぶっ飛んだ映画を脚本・監督したのは、ダニエル・クワンダニエル・シャイナートの2人組ダニエルズ。プロデュースには『アヴェンジャーズ・エンドゲーム』のルッソ兄弟が名乗りを上げ、近年映画ファンの信頼を獲得し続けている人気スタジオA24が世に送り出しました。
 
主人公エヴリンをミシェル・ヨー、夫のウェイモンドをキー・ホイ・クァン、税務署員をジェイミー・リー・カーティスが演じています。本作は、第95回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞助演女優賞脚本賞、編集しょうと最多7部門を独占した他、全世界興行収入1億ドルを超えるという人気を今まさに拡大中です。
 
僕は先週金曜日の昼にMOVIX京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

マルチバースという、わかるようでよくわからない概念、それこそ宇宙の星々のように無数にあるような並行世界というのは、SFではわりと昔からある設定ではあるものの、最近は浮世離れしきったマーヴェルなどのスーパーヒーローものの専売特許となっていた感がありますね。それを市民の、しかもマイノリティーであるアジア系移民のしがない女性、もっと言えば、旧来的ないかにもヒロイン然とした「美しき」女性ではなく、子どもがそろそろ自立するような年齢の女性のバタバタした日常の中に持ち込んだことがまずユニークですよね。地に足ついた、どころか、税金のこともあり、地に這いつくばるようにしてジタバタしている市民にマルチバースを接続したわけです。加えて、これも古くから物語の枠組みの中で繰り返しテーマになってきた人生におけるIFの話、つまりはあの時ああしていたら今とはきっと違った人生になっていただろうという後悔やノスタルジー、妄想の類をマルチバースと接続したこともダニエルズの功績ですよ。さらにもうひとつ、この枠組みで追加しておきたいのは、ダニエル・クワンさんの方が公言しているように、エヴリンのこうしたマルチな可能性を考えていく中で、彼女がADHD、注意欠陥・多動性障害の当事者であるという設定にしようかと思っていろいろ調べていたら、自分がADHDであることが明らかになったようです。この障害の精神世界の映像化ということも考え合わせると、マルチバースに接続した内容がまず豊かで画期的でした。

(c) 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.
確かにガチャガチャしてるし、マルチバースをジャンプしていく時の燃料あるいはきっかけとして、突拍子もない面白いことをすればいいっていう、あのもはや理屈をジャンプした笑いの要素は、ものによっては下品だし見た目にもなんじゃらほいだと、人によっては呆れたりついていけないというシーンもあるはずです。でも、そこで監督ふたりが表明していることはすごく頷けるものだと思うんです。誰だって本当は多面的な存在なんだということ。ちょっと違う方向に転べば、今とはまったく違う能力が開花していた可能性だってあるじゃないかということですよ。そんな可能性に思いを馳せることは、現状の自分を乗り越えていく大きな力になるし、何よりも僕は物語そのものに人間が託してきたことのひとつでもあると思うんです。映画を観て、劇場の暗闇の中で登場人物の誰かに感情移入をするっていうのは、それはすなわち現実では少なくとも今の自分にはできないことを擬似的に経験することでもあるわけだから。しかも、この作品はキャスティングが絶妙で、ミシェル・ヨーもそうだけど、キー・ホイ・クァンなんて特に映画業界に若くして表舞台に立って、その後は俳優業から離れたところからの大ジャンプを決めてのこのウェイモンドという役柄ですよね。それを知っている僕たち現実の観客は、あのキャラクターにキー・ホイ・クァンのキャリアを重ねるというメタ的な感動も覚えることになる。ウォン・カーウァイ作品、『レミーのおいしいレストラン』みたいなピクサー作品、『2001年宇宙の旅』『マトリックス』といった映画の引用も、マルチバースに組み込むことでまた味わいが増していると言えるでしょう。

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そして、こうした複雑怪奇で超スピーディーな展開でありながら、テーマとしては「Be kind.」、つまり「人に親切であろう」「人にやさしく」というシンプルにしてまっとうなものであるのも素敵です。カート・ヴォネガットからの影響が監督ふたりには濃いようで、なるほどこうしたテーマに着地するのはそのせいかとも思いますが、そこに拍子抜けしたり、テーマがとってつけたようだと批判する人もいるようです。僕はそうは思いません。前提として、今回象徴的に悪として登場するベーグルという食べ物の存在。あの輪っかの虚無の中へとキャラクターが吸い込まれそうになって危ないっていうことですが、さっき言った、人間の可能性は無限だと考えれば、翻って、今のこのしょうもない現実なんてどうでもいいんだと考えてしまうニヒリズムの象徴としての虚無、ブラックホールなんですよね。あれが効いてます。だって、あれがあるから、悟るわけじゃないですか。今のこの人生、たいしたもんじゃなかったとしても、いろいろ選んだ果てに今があるわけで、それを愛おしく思おうじゃないかと。ニヒリズムやあきらめよりも、理解し難い相手であっても受け入れて、一緒にいる。ひとつにはなれなくても、共存することをあれだけ回りくどく、でも結局はストレートに表明されると、なんか感動します。

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好き嫌いは大きく人によって分かれるだろうし、僕もここはノレないわっていう場面はありますが、なんたってそこはマルチバースなんで、きっとあなたの好きな描写もあるでしょう。そして間違えなく言えることは、発明に近いくらい革新的だし、バカげていてもクオリティーが超高いってことです。ご覧になってください。そして、京都ドーナッツクラブの僕としては、虚無のシンボルがドーナッツでなくベーグルだったことになんかホッとしています。
サントラもサントラで、気の遠くなる実験的なサウンドメイクをアメリカのトリオSon Lux(サン・ラックス)が手がけています。主題歌はデヴィッド・バーンも歌っていますよ。


さ〜て、次回2023年3月28日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『フェイブルマンズ』です。残念ながら今回のアカデミー賞ではほとんどスポットが当たらなかったスピルバーグですが、彼もエブエブの大躍進に微笑んでいる様子は素敵でした。満を持しての自伝的要素満載な作品に心躍ります。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!