京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『フェイブルマンズ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月28日放送分
映画『フェイブルマンズ』短評のDJ'sカット版です。

1946年に生まれ、74年に『続・激突!/カージャック』で長編監督デビューを果たして以来、約半世紀に渡って数々の名作を生み出してきたスティーヴン・スピルバーグ。彼が映画監督になる夢を叶えるにいたるまでの原体験を描いた自伝的作品です。両親に映画館へ連れて行ってもらったことをきっかけに、映画に夢中になっていくサミー・フェイブルマン少年。科学者の父とピアノを弾く芸術家肌の母、そして妹たちとの関係を軸に、サミー少年が夢を抱き、追い求めていく物語です。
 
監督と共同脚本、共同製作は、もちろん、スティーヴン・スピルバーグ。音楽は現在92歳のジョン・ウィリアムズが手がけました。主人公のサミーを演じたのは、この作品で数々の賞を受賞したガブリエル・ラベル。名前を覚えておきたいですね。母親をミシェル・ウィリアムズ、父親をポール・ダノ、そして家族みんなの親友ベニーをセス・ローゲンが演じています。
 
僕は先週水曜日の午後にMOVIX京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


スピルバーグについては、評伝はいろいろ出ています。『地球に落ちてきた男』『映画の子』『スピルバーグ その世界と人生』などなど、国内外で彼がいかに映画を愛し、映画に愛されてきたのかっていうのが研究なり評論の対象となっているわけですが、本人はインタビューには答えても、自伝を書いていないんですね。つまりは、この『フェイブルマンズ』が、少なくともデビューするまでの自伝である。自伝は映画で発表するという心意気なんだろうと思います。

スティーヴン・スピルバーグ ; 映画の子 (KAWADEムック 文藝別冊) スピルバーグ その世界と人生

僕が興味深いなと感じたのは、この作品で描かれているエピソードの数々が、そのまま映画論になっていて、さらに彼の監督としてのスタンスの表明にもなっているということ。たとえば、セシル・B・デミルの『地上最大のショウ』で初めて映画に触れた主人公サミーが、その列車の衝突映像の迫力に恐れを興奮を抱くというくだり。家でそれを再現したいと、模型を用意してもらってやるんだけれど、普通の子なら走らせて満足するのに、サミーはわざとばんばんぶつけて衝突させるもんだから、困ったお母さんが、8mmフィルムで撮影しちゃえば、それを上映することで何度でも楽しめるじゃないと提案して実践するわけです。これは映画の再現芸術としての特性を体験として理解することなわけだし、そのモチーフが列車であることも、映画史のスタートにリュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』があることも忘れてはいけません。『地上最大のショウ』はサーカス団の話だから、他のシーンが気になっても良さそうだけれど、自分で再現するのは列車なんです。さらに、現実としてばんばんぶつけていたら困ったもんだとなる模型列車の破壊行為も、うまく撮影して見せれば、お母さんという観客を驚かせる迫力が出せるんだということに気づきます。現実が映像に変換された時に付け加わる魅力というものにサミーは開眼するわけです。さらに加えて、エンジニアの父親からは写真がどうして動くように見えるのかという技術的な解説を受け、芸術家の母からは映画がいかに人の心を動かすかを諭されるという、まさに映画の両輪を両親から学んだわけですね。そして、ショウビズ界にいた叔父からは、「芸術家の孤独」についても教え込まれてビビる。誰も別にサミーを映画監督に仕立て上げようなんてしていなかったのに、サミーはなるべくしてそうなったというか、自分にとって大切なエッセンスをきっちりキャッチしていたとも言えますよね。

(C)2022 Universal Pictures. ALL RIGHTS RESERVED.
どうも、この家族はよそとは違うらしいという、うすうす気づいていたけれど深く追求せずにいた問題の本質を見つけてしまうのも、カメラを通してでした。学校で頼まれていたみんなの旅行の記念映画では、現実を切り取った動画素材が、アングルや編集によってずいぶん変わって見えることや、被写体がそこにどんな反応を示すかということにも気づかされることになります。要するに、サミーは人生において大事なことの数々、歓びも悲しみも、弾けるような笑顔もこぼれ落ちる涙も、その多くを映画を通して学び、この作品の後にスピルバーグは映画を通してそれらを表現してきたんだということです。その広い意味での感謝もあるだろうし、映画なんて所詮は趣味だろうとした父のことも、自由奔放で家族を苦しめる側面のあった母のことも、ジャッジせず、かといって両論併記みたいに距離を置くでもない、その姿勢、バランスが結果としてとてもスピルバーグらしいなと感じました。

(C)2022 Universal Pictures. ALL RIGHTS RESERVED.
これはパンフレットで南波克行さんが書いていることですが、映画業界に入っていくサミーを象徴する場面で、彼はスタジオが左右に林立するその間を歩くんですよね。『レイダース/失われたアーク』のラストにそれが絵的に重なるのだけれど、聖なるものと邪なものがひとつになったアークがその先にあるのであって、分断ではなく共存を目指すスピルバーグの意志がそこに表れていると分析されていました。あの場面はまた、サミーにとっての、つまりはスピルバーグにとっての映画の父親にあたる人物からの言葉を受けた遊び心も発揮されていて素敵でしたよね。
 
とにかく、僕はジョン・ウィリアムズのサントラも手伝って、うっとりと最後まで鑑賞しました。ほんと良質だし、演出はさらりとしていますが匠の技があちこちに光っています。どうぞ、映画館でやっているうちに!


さ〜て、次回2023年4月4日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『雑魚どもよ、大志を抱け!』です。脚本家出身の足立紳さんは、『喜劇 愛妻物語』がとにかくすばらしくて、興奮して評論したことを覚えています。あのダメ男への目線がもう最高でした。今回は弱虫の少年少女たちをどう描くのか。楽しみ楽しみ! さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!