京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『不思議の国の数学者』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月9日放送分
映画『不思議の国の数学者』短評のDJ'sカット版です。

正体を隠して高校の夜間警備員、用務員として働く脱北者の天才数学者ハクソン。その学校は、エリートが集う全寮制の名門私立高校。数学が苦手なジウは、ひょんなことからハクソンの能力に気づき、個人レッスンをお願いします。しぶしぶ引き受けたハクソンですが、その講義の内容は意外なものでした。

オールド・ボーイ (字幕版)

監督は、この作品が長編デビューとなるパク・ドンフン。数学者のハクソンを演じるのは、『オールド・ボーイ』のチェ・ミンシクで、3年ぶりのスクリーン復帰です。高校生のジウにはキム・ドンフィ、そして彼の女友達ボラムにはチョ・ユンソがそれぞれ扮しています。
 
僕は先週木曜日の午後にシネマート心斎橋で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

ずば抜けた才能の持ち主である数学者など科学者が主人公の物語というのは、これまでもありました。その研究成果は、往々にして権力者によって、科学者の思惑とは違う形で利用・活用されてしまう苦悩が描かれます。今ひとつひとつ挙げることはしませんが、優れた映画もいくつも作られてきましたね。その流れの中に本作を組み込むことも可能だと思います。でも、それと同時に、僕がとても豊かな作品だと感じたのは、朝鮮半島の南北の問題や社会のあり方への批判を、なんと学園モノというジャンルの中で展開してみせたことです。つまり、政治システムのこと、広い意味での親子関係、青春映画としての楽しみまで盛り込みながら、ユーモアと悲哀をもって数学の美しさを表現している。これ、いったい何次方程式なんですか。僕にはまず式を立てることすら離れ業に思えるし、僕みたいな高校の数IIIは完全に脱落してしまったような人間にも、ちゃんと数学の美しさと魅力と社会への活用を証明してしまっているんだから、恐るべしです。

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高校の用務員・警備員としてせっせと働くハクソンは、年齢としては一回り上ですけど、演じたチェ・ミンシクは日本で言えば三浦友和の色気に通じるものがあるなと僕は思いました。天才数学者だけれども、そもそもなぜ北朝鮮から脱北してきたのか。家族はいるのか。そして、なぜ世を忍ぶ仮の姿で貧困に身をやつしているのか。序盤から謎が多く、それが後半ではひとつひとつ明かされていく過程で、チェ・ミンシクの姿勢や表情がひとつひとつ変化していくんです。よく老眼鏡を外すんだけど、その仕草がいちいち格好いいんですよね。警備している学校の一生徒にしか過ぎなかったジンくんとの数学の個人授業に端を発する交流は、だんだんと擬似親子化していきますね。でも、そういう甘ったるく安っぽくなりそうなところにはしっかり水をさして引き締めていくハクソン、いいですよ。

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そして、数学についての会話で感心するのは、ハクソンがテストの点数を上げるためのテクニックを教えないこと。受験なんてテクニックだって言われがちだし、実際に僕たちもそんな風にして試験に臨んだフシがある。でも、ハクソンはこう言います。「間違った問いから正しい答えは出ない」。これって、真理ですよね。数学だけではなく、汎用性の高い言葉だと思います。何かを考える時に、問いの立て方がおかしかったら、そんなのいくら考えたってダメなわけですよ。むしろ、変に答えが出たって、それが独り歩きしても困る。韓国も受験戦争が厳しいし、社会格差も厳しい。そんな中で、学生がなぜ勉強するのかというテーマも、いい会社に就職するためにはどうすればいいかという問いにすり替えられていく可能性がある。数学の研究だってそうです。何か良からぬことにどうすれば使えるかなんていうところに矮小化されてしまっては、学問の自由どころか、数学の美しさとか世界の成り立ちを考えることからむしろ遠ざかってしまう。そんな流れで最後に付け足せば、音楽も重要な役割を果たしている今作の中で、円周率をドレミに置き換えたあのパイソングのメロディーラインには感動しました。あと、ジンに何かと絡んでいく同級生の女の子ボラムはかわいかったし、時におっかないしで最高ですね。単純にラブストーリーに発展させない抑制具合もちょうど良かった。
 
改めて、韓国映画のクオリティの高さに感心しました。パク・ドンフン監督、これが長編デビューですよ。今後にすごく期待しています。

バッハの無伴奏チェロ組曲第1番前奏曲をお送りしました。この曲は何度か劇中で繰り返されますが、その音質であるとか、演奏であるとか、毎度変化を持たせていて、巧みでしたね。なんなら、いちご牛乳や万年筆、それにペットの亀など、小道具にも丁寧に意味を持たせていてうなりました。

さ〜て、次回2023年5月16日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ウィ、シェフ!』です。僕、こういうの弱いんですよ。料理人とマイノリティの人たちが交流していく話。涙腺がすぐ緩みそうな感じですが、類似作も多いだろうから、映画のジャッジは気を引き締めて臨みます。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!