京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『帰れない山』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月23日放送分
映画『帰れない山』短評のDJ'sカット版です。

1984年、イタリア北部の工業都市トリノで暮らす少年ピエトロの楽しみは、山を愛する両親とアルプス山麓の村にある別荘で休暇を過ごすこと。過疎化の進んでいた村には既に子どもはほとんどいませんが、たまたま同い年で牛飼いをしているブルーノと知り合い、竹馬の友となります。ただ、高校に入学するあたりから、教育をめぐる問題でふたりは疎遠になってしまい、別々に時を過ごします。作家志望で学生気分の抜けないまま30歳になっていたピエトロは、家族やアルプスから距離をおいていたのですが、父親の訃報を受け、その後、ブルーノとも再会を果たします。そこで、自分の父とブルーノが、実はまるで親子のように山で過ごしていたことを知るのですが…

帰れない山 (新潮クレスト・ブックス) 

原作は、1978年生まれのイタリアの作家、パオロ・コニェッティの同名小説です。日本でも、僕の大学の大先輩、関口英子さんのすばらしい訳で新潮クレスト・ブックスから邦訳が出ています。ピエトロとブルーノを演じたのは、それぞれ、ルカ・マリネッリとアレッサンドロ・ボルギと言って、今30代のイタリアを代表する演技派にしてイケメンで人気者のふたりです。僕はてっきり監督・脚本もイタリア人かと思っていたのですが、違いました。ベルギーのフェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン。この人は、僕がラジオで短評したもので言うと、ティモシー・シャラメが主演した『ビューティフル・ボーイ』を手がけた監督で、今作では妻のと、シャルロッテ・ファンデルメールシュと共同で監督と脚本の両方を担当しています。
 
ちなみに、原作はイタリア文学界の最高峰ストレーガ賞を2017年に受賞していまして、映画は去年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を獲得。そして、先日発表されたイタリア版のアカデミー賞ダヴィッド・ディ・ドナテッロでは、最優秀脚色賞、撮影賞、録音賞、そして最優秀作品賞を獲得するなど、高い評価を得ています。
 
僕は先週木曜日の夜に、アップリンク京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

監督のフェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲンさん、現在45歳のすばらしい映画人ですが、『ビューティフル・ボーイ』を評した時に、僕は監督の興味の本丸は、人間の相互理解の絶望的な難しさにあると言っていました。少ない登場人物ひとりひとりの心境と関係性の変化を描くのがめっぽう上手いんです。父親と息子、親子の物語になっているというのも『ビューティフル・ボーイ』に続き、この『帰れない山』でも共通しているところ。ただし、今回は実の息子であるピエトロと、その友達のブルーノそれぞれと、早い段階でスクリーンから姿を消してしまう父親のつながり、つまり、実の親子と擬似的な親子の関係が出てきます。言い方を変えれば、実の息子と擬似的な息子同士の関係でもある。もっと言えば、このふたりと、ふたりが愛した父親という山との関係でもある。ふたりの間には女性も登場して、映画の中では絶えずその関係が、時に繊細に、時に大きく激しく移り変わっていく様子を見事に描いているんですね。主人公ふたりが12歳で出会ってから四半世紀ほどの時の流れの中で、父親と彼が象徴する山との距離感が場面ごとに違って、それこそ高い山になったり、低くなったり、裾野が広がったり縮んだりして、その三角関係が三角なのは変わりないんだけど、形が絶えず変わり続けている感じです。舞台となっている山々があるのは、アルプスのモンテ・ローザのあたり。ということは、モンブランに次ぐ高さを誇るところですから、それはそれは雄大な景色の中に、そんな人間の営みが繊細でありながらありありと刻み込まれていきます。ここで触れておきたいのは、画面サイズです。実は、今では珍しいスタンダードが採用されているんです。昔のブラウン管テレビですね。1.33 : 1。普通だったら、シネマスコープの横長にして、ワイドに見せたいようなものですが、この監督コンビは、所詮そうしたところで自然は収まり切るものではないとでも言うように、むしろ人間の自然な視界に近い画面サイズを採用することで、人と山の関係を誠実に切り取っているように思います。

© 2022 WILDSIDE S.R.L. – RUFUS BV – MENUETTO BV – PYRAMIDE PRODUCTIONS SASVISION DISTRIBUTION S.P.A.
原作は日本を含む39ヶ国で翻訳されています。これだけ受け入れられたのは、この物語が少ない構成要素の中に、文化と時代を問わず、人間にとって大切なことと難しいことがきっちり描かれているからでしょう。親子のこと。友達のこと。都市と田舎のこと。標準語と方言など、言葉のこと。教育のこと。合理化と伝統文化のこと。この物語を出発点にして多くのことを考えることができるし、この物語に立ち戻っても良い。そう、ピエトロがトリノとアルプス、そしてチベットとイタリアを行き来しながら文章を書いてきたのと同じように。この物語そのものが、山のごとき普遍性をもって読者を、そして観客を迎えてくれるからです。

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ベルギーの監督コンビも、そうやってイタリアを舞台にしたこのローカルな話に魅せられて、映画化権を獲得し、なんとなんと、そこからイタリア語を猛勉強して現場ではイタリア語で演出をしたという力の入れよう。実際に原作者が今住んでいるあの山麓のあたりに長く滞在しました。そんな情熱に応えたルカ・マリネッリとアレッサンドロ・ボルギの演技もすばらしいです。たくさん山を歩き、大工道具の使い方、牛との接し方を身体で覚え、方言もマスターするだけの時間と労力を惜しまず、そして現場では計算された脚本とカメラワークの中で過不足なく自然なアドリブを放り込めるほどに役に入り込んでいます。監督にとっても、俳優にとっても、それぞれに最高傑作だろうと思うし、文学作品の映画化という広いくくりとしても、最高峰のレベルです。

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小細工をせずにポンとワンカットで時間の変化を伝えるような省略の仕方とエピソードの切り取り方。たとえば、あの植え替えた針葉樹や点滅する車のテールランプなど、劇中で何度か繰り返されるモチーフの入れ方。「言葉が貧しいと、心も貧しくなる」みたいな鋭いセリフ。どれを取っても忘れられません。監督ふたりは、この作品を「小さな仕草で語られる、壮大な映画」だと言っています。まさにその通り。今年ベスト級、あるいは生涯ベスト映画に入れる人が出てくるような作品。強く強く鑑賞をオススメします。
 
サントラは、スウェーデンの人里離れた自然の中で音楽を作り続けるシンガーソングライター、ダニエル・ノーグレンのもので固められているんですが、どれもピッタリでした。

さ〜て、次回2023年5月30日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『TAR/ター』です。完璧な映画だと絶賛する人もいれば、物語の流れに納得がいかない人もいると聞いています。だから、ますます気になるケイト・ブランシェットの怪演もの。僕の持論としては、「ケイト・ブランシェットが出ているだけで、良い映画」ってのもありますが……。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!