京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『TAR/ター』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月30日放送分
映画『TAR/ター』短評のDJ'sカット版です。

世界最高峰のオーケストラのひとつであるベルリン・フィルで、女性として初めての首席指揮者に任命されたリディア・ター。その傑出した才能とたゆまぬ努力、さらにはプロデュース力で大車輪の活躍を見せている彼女ですが、マーラー交響曲第5番のライブレコーディングへのプレッシャーの他、作曲家として取り組んでいる新曲の産みの苦しみも味わっていました。そんな中、ターがかつて指導した若手指揮者の訃報が入るのですが、彼女はその件である疑惑をかけられて、さらに追い詰められていくことになります。

 
製作・監督・脚本は、これが16年ぶりの新作となるトッド・フィールド。彼が「唯一無二のアーティストであるケイト・ブランシェットに向けて書いた」と公言するのが、今作です。その他、リディア・ターのマネージャーには『パリ13区』のノエミ・メルラン。また、指揮者の知人男性には、『裏切りのサーカス』や『キングスマン』シリーズのマーク・ストロングが扮しています。
 
アカデミー賞では結局無冠に終わりましたが、6部門ノミネートを果たした他、ヴェネツィア国際映画祭では、ケイト・ブランシェットが主演女優賞を獲得しています。
 
僕は先週木曜日の午後に、なんばパークスシネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


今日は、まず誰でも読める参考文献を挙げます。それは、FM COCOLOにも年に二度ほどご出演いただいている、宇野維正さんのムービーウォーカーでの連載「映画のことは監督に訊け」でトッド・フィールドにインタビューされた、1万字を超えるおふたりのやり取りです。これが大いに参考になりました。トッド・フィールドが映画を撮れなかった16年の間をどう過ごしていたのか、という部分からは、日本とは違う欧米の映画製作システムのことが浮き彫りになっているし、物語の解釈を狭めたくないという前置きとともに、映画の驚きの結末がオーケーストラ音楽の文脈でのアジア蔑視ではないことが確認できる貴重な文献だと思います。

 
実際、この映画にはたくさんの仕掛けが施されているので、そのひとつひとつが多義的に解釈できて、観た人と「あそこはどういうことだ」などと話したくなります。それはそれで楽しいし、大いに語らえば良いんですが、ひとつ原則として確認しておきたいのは、監督も語っているように、これがはっきり権力をテーマにした作品だということ。主人公リディア・ターは、たゆまぬ努力の成果として、まさにパワーを得た人です。劇中にも出てくるように、特に人事についての彼女の裁量はすごく大きいんですよね。こいつダメだなと思われたら、路傍の石のように見られるか、あるいはうまくまるめこまれたり、徹底的に論破されて排除されるか。彼女はレズビアンを公言していて、今はベルリン・フィルのコンサート・マスターの女性と一緒に、養子の女の子を育てているんですが、そのプライベートでの振る舞いは、悪い意味で「男性的」と言えます。娘がいじめられてるかもって乗り込んでいって、加害者と思しき同級生の女の子に「私は彼女のパパだと」詰め寄るところはその現れでしょう。そして、未来ある若者たちの指導にもあたっているリディアですが、そこでも気に入らない生徒をやり込めたり、気に入った対象には入れ込んだりがあちこちで繰り返されています。これも、教師と生徒というパワーバランスのエピソードですね。そうした権力の象徴としての指揮者を描いているんですね、この作品は。権力というものの構造と、それがもたらす人間関係を描くのに格好の職業だということです。

(C)2022 FOCUS FEATURES LLC.
昨今、メディアのスクープや、SNSでの告発によって、大勢の権力者がその立場を揺るがされたり、退却を余儀なくされていますね。#MeToo運動しかり、特にアメリカで流行語と化しているようなキャンセルカルチャーしかり。要するに、著名人の炎上ですね。その告発の中には、ハラスメントにまつわるものも多いわけです。この作品においては、リディア・ターの権力も、彼女の過去の言動が今になってブーメランのように襲ってきたり、彼女に対して誰かが戸惑いの目、疑惑の目、恨みの目、憎しみの目を向けたりもします。あとは、たとえばあの授業の中で、黒人青年とリディアがバッハについて議論するくだりでは、古典音楽の巨人であるバッハには20人も子どもがいてどうとかいう話も出てくるので、芸術作品そのものと、その芸術を生み出す人物の倫理観の関係がテーマだと考えてしまうと、もったいないと思います。それも語られているが、この映画は単に今そういう時流に乗ったものではなくて、「どんな権力も遅かれ早かれ腐敗する」ということを、女性指揮者を題材に見せているんですね。

(C)2022 FOCUS FEATURES LLC.
トッド・フィールドが巧みだなと思うのは、ハラスメントをセンセーショナルに描くことはせずに、匂わせる、想像させる形で含みを持たせながら、彼女自身が強烈なプレッシャーの中で内側から崩壊していく様子も見せていることです。リディアはそもそも恐らくは精神系の薬を飲んでいるんですよね。そして、途中からは幻聴や幻覚のような現象にも苛まれていきます。ドイツ、ベルリンが舞台ですが、街全体、画面全体が冷ややかな色調でまとめられていることもあり、途中からはもうずっとジワジワ怖いんですよね。虚実の境も曖昧なので、これまた想像させられるし、想像してまた怖くなります。

(C)2022 FOCUS FEATURES LLC.
そして僕たち観客は考えることになるわけです。このリディア・ターという人物をどう受け止めれば良いのだろうかと。彼女にはその言動に大いに問題がある。問題はあるが、その芸術表現は圧倒的なレベルであり、それが彼女の努力の賜物であることにも異存はない。彼女の音楽への愛情はピュアすぎるくらいにピュアであり、下手をすれば自分のことすらなりふり構わない節があるレベルで、そこには敬意を払いつつも、そのせいで踏みにじられる人がいるのは受け入れられない。こうした思いが、2時間半の中で振り子のように揺れ動くように設計されています。終幕に向かって編集のテンポも前半とは変わることで、振り子のスピードも変わるんです。あの体験は強烈ですね。その上で、見終わった時に、振り子がどちらに振れているかは、はっきり言って、観客次第だし、もっと言えば、観た時の気持ち次第でもあるかもしれない。
 
社会の様々な権力にスライドして考えられる映画でもあると思います。それこそ、映画についてもそうでしょう。この映画ではクレジットが今の感覚で言えば不思議な流れ方をします。集団で何かを作る生み出すことの意義と、すべてのスタッフへのリスペクトはキープされるべきであるという静かなる主張にも取れるでしょう。小さなノイズからど迫力のオーケストラまで、音の設計もすごい作品なので、これはもう映画館で観るべき! 強烈な体験をしてきてください。
 
ターとシャロンが家で過ごす場面で流れるおだやかな曲「Here’s That Rainy Day」もうひとつ、参考文献として劇中の音周りの情報でとても参考になったのは、ehills clubというサイトにあった、あつた美希さんのレビューを挙げておきます。

さ〜て、次回2023年6月6日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『65/シックスティ・ファイブ』アダム・ドライバーは、本当に色んな作品に出演しますね。大阪南森町アダム・ドライバーと呼ばれる僕も、この活躍っぷりにはシャッポを脱ぎます。ということで、帽子は被らずに劇場へ向かう所存。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!