FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月9日放送分
著名な映画監督のビョンスが仕事を探している娘を連れて訪ねたのは、旧友の女性、インテリアデザイナーのヘオクが所有するアパート。レストランや賃貸住宅、芸術家向けのアトリエなどが収まるこの建物に集う人たち、公私ともに迷走中の映画監督と4人の女たちの人生が不思議な交錯をしていきます。
96年の長編デビュー以来、どこか飄々と独自のインディペンデント映画を作り続ける韓国映画界の宝、ホン・サンス。今回も監督、脚本、製作、撮影、編集、音楽を自分で手掛けています。集まったのは、ホン・サンス組とも言いたく常連のキャストです。ドラマ『冬のソナタ』や『新感染半島 ファイナル・ステージ』のクォン・ヘヒョが主役の映画監督ビョンスに扮した他、イ・ヘヨン、ソン・ソンミ、そして、クォン・ヘヒョの妻であるチョ・ユニも出演しています。
僕は先週金曜日の朝、アップリンク京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
多作で知られるホン・サンス監督は、とても親密な空気をまとった小さな物語の中に、人が生きることそのものや人と人とのコミュニケーションのおかしみや悲しみをパッケージする稀有な映画作家です。日本では意気投合した加瀬亮と作品を撮ったり、フランスの名優イザベル・ユペールとのタッグはこれまでに3度もあって、ベルリン映画祭では監督賞にあたる銀熊を5度ももらっていたり、カンヌ・ヴェネツィアを含め、他にも世界あちこちの映画祭で評価されてきたホン・サンスのこれが最新作、でもないんですよね。本作『WALK UP』のあとに、既に3本発表していまして、それぞれ来年の日本公開に向けて準備が進んでいるようですよ。これだけの国際的な活躍を果たしながら、同時に超のつく多作でもある人はそういません。これで28本目ですもんね。
しかも、彼のすごいのは、製作から脚本から撮影から編集や音楽まで、全部自分で、あるいは自前の少人数体制で取り組んでいること。パンフレットを読んでいると、その撮影スタイルはまるでセッションのよう。ホン・サンスは、まずロケをする場所を決めるんですね。今作の場合は、あの建物です。ちなみに、韓国語のタイトルは「塔」という意味の1単語1文字です。英題の『WALK UP』というのは、エレベーターのない階段だけの建物を指す言葉だそうで、実際に登場人物が何度も階段を登り降りする様子が出てきますから、この言葉にしたそうです。その建物から、あるいは建物の敷地からカメラが外に出ることはありません。極めて限定的な舞台設定なんですね。そこに象徴的な意味合いを持たせながら、これまた必要最小限にして最大限の効果を発揮する芸達者なキャストを揃えて会話劇を構築します。脚本は一度完成台本まで作り込むんですが、役者には撮影に入ってから、毎日、その日撮影する分だけを渡していきます。俳優たちはそこから強烈な集中力を発揮してセリフを頭に叩き込み、長回しの多いショットひとつひとつを、基本的には順撮りで、つまり台本の順番に撮影していきます。今作『WALK UP』の場合には、一番長いショットは17分。役者も演出も大変です。撮影したら、すぐにその場でみんなで見直して、議論して、その場で修正。もう一度という感じでベストテイクを最短距離で見出していく。カメラ位置は、もうここしかないというところに据えたら、不用意な動かし方もしない。今回はモノクロです。「冬の映画だったから」とか「好きなヨーロッパの古い映画にモノクロが多いから」とインタビューで監督は話していますが、僕なりに付け加えるなら、建物の各フロアごとに展開していくオムニバス風の作りに時間のジャンプを盛り込みながら展開していく構成上、ひとつ下のフロアのあの会話からどれくらいの時間が経過したのか、観客にひと目で気づかれないよう、色彩の情報を意図的に制限するという機能もモノクロにはある気がします。キャラクターたちの会話も、絶妙に噛み合っていなかったり、会話のエアポケットのような気まずい間があったり、そうかと思えば坂道を転がるように弾んだりと、テンポもそれぞれ。そこから、この後話すような人生の機微と本質がにじみ出てくるという手法は、フランスの映画人にたとえて、「韓国のエリック・ロメール」なんて評されるのもよくわかるし、ジム・ジャームッシュにも通じるところがあると思います。
さて、『WALK UP』では、第一話で映画監督が娘を連れて女友達の運営するアパートを訪ねる。インテリアデザイナーの女友達は、まずふたりを、そして観客を全フロアに案内して、1階のレストランと地下の彼女のプライベートな空間で話に花を咲かせます。その後、2階、3階、広いルーフバルコニー付きの4階と、時間をそれぞれある程度、それが1ヶ月か半年か1年かわからないんですが、時間をワンフロア上がるごとに経過させていく。主な登場人物は、ワンフロアごとに映画監督とメインで話す女性が変わるし、ひとつとして同じ組み合わせはありません。そして、最後には主人公の映画監督ビョンスは1階、地上階に下りてくるんですが、ここで実に映画的な、あっと声を出してしまう仕掛けがほどこされているんですが、それは見てのお楽しみにするとしておきましょう。面白いのは、階を上がるごとに、ビョンスは一緒にいる誰かとより親密に、打ち解けていくこと。さらには、「え? 同じ人ですか?」ってくらいに言動が一致しなくなるということ。たとえば、あれだけ乾杯してワインを飲んでたくせに、別のフロアでは「ワインなんて俺には向かない。焼酎だろ」みたいなことを言い始めます。要するに、ホン・サンスがここで浮き彫りにするのは、人というのは絶えず変化していく生き物であるということ。それは時間によっても、対人関係によってもそうです。なおかつ、たとえ同じ時であっても、誰と一緒にいるかによって、その人の印象は大きく変わるということ、人の内面というのは多面体であるということ。だからこそ、ワンフロアごとに組み合わせを変えて誰かを不在にすることで、その不在の誰かのうわさ話も含めて、キャラクターそれぞれの印象を巧みに変化させているんですね。あたかも、同じ彫刻であっても、照明を当てる角度によってまるで違って見えるみたいに。
僕はこの手の会話劇は大好物なので、今年ベスト級に惹きつけられて、ホン・サンス熱が高まっています。むちゃくちゃ味わい深いし、笑っちゃうし、考えさせられます。三十三間堂の仏像じゃないけど、映画を観るあなたに似た人や時期、ライフステージの断片がきっと見つかる作品だと思いますよ。超絶にオススメしておきます。
パンフレットには、クリープハイプの尾崎世界観や映画評論家の月永理絵による的確な文章が載っていて、どちらも読んでいて膝を打ちました。そして、公式サイトには、映画監督でミュージシャン、甫木元空さんのコメントを発見。これを引用しつつ、甫木元さんのBialystocks『差し色』をオンエアしましたよ。
「見る事のできない明日と戻る事のできない昨日を引きずりながら今日も自分の歩幅は少しづつ変化していく。 現実は思っているより複雑でおかしみに満ち溢れていて、入り組んだ時制を巻き込みながらフレームの外に宇宙を見せる。ホン・サンスの映画は常に窓の外へと繋がっている」。お見事!
さ〜て、次回2024年7月16日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『潜水艦コマンダンテ 誇り高き決断』です。これは今年のイタリア映画祭で先行上映されまして、大阪会場では今作の上映後に僕がトークショーを行いました。ホールに集まったお客さんの余韻がこだましていたことを思い出します。素晴らしい作品ですよ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!