FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年7月25日放送分
映画『天気の子』短評のDJ's カット版です。
離島から家出して東京へフェリーでやってきた高校生の帆高(ほだか)。都合よく職にありつけるわけもなく、マンガ喫茶を転々とするうち、所持金も残り少なくなっていきます。そんな彼が藁をもすがるようにしてありついた仕事は、船で自分を助けてくれたライターの圭介が姪の夏美と営む小さな編集プロダクション。帆高はそこに住み込みで、都市伝説的な現象を調査して雑誌に売り込む記事を書くようになります。折しも、東京はずっと雨。連日、雨。帆高は「100%の晴れ女」だという少女、陽菜(ひな)と出会います。陽菜は小学生の弟と二人暮らし。生活に余裕がない様子を見かねた帆高は、陽菜の能力を商売に活用してはどうかと提案し、それは軌道に乗っていくのですが、彼らには警察や児童相談所など、大人社会の影が忍び寄ります。東京が晴れる日は来るのか? そして、少年少女の行く末は?
累計動員が1900万人を超え、興行収入は250億円と邦画歴代2位となった『君の名は。』から3年。新海誠監督が帰ってきました。今回もオリジナルのストーリーなので、脚本も新海誠。企画とプロデュースは川村元気。音楽は、劇伴も主題歌もRADWIMPS。このあたりは前作と同じ座組ですね。
主人公帆高と陽菜の声は、それぞれ声優初挑戦となる醍醐虎汰朗と森七菜が担当。ライターの圭介を小栗旬、その姪の夏美を本田翼が演じている他、倍賞千恵子、平泉成といった大御所俳優も参加しています。さらに話題となっているのが、『君の名は。』の主人公たちが、それぞれ意外なところで登場して、もちろんその声を神木隆之介と上白石萌音が吹き込んでいることです。
さて、3年前の『君の名は。』を僕がどう評したかってことなんですが、アニメーションとしての水準の高さは認めつつ、そして物語を語る装置としての映像さばきのうまさを具体的に評価しつつ、後半の出来事には倫理的に僕は馴染めなかったと言いました。
それでは、今回はどう感じたのか。制限時間3分の短評、そろそろいってみよう!
『君の名は。』を思い出してみると、今作と似通っているところがたくさんありますよね。思春期の男女が想いを寄せるボーイ・ミーツ・ガールという大枠の中に、女の子が巫女としての役割を果たすこと。地方で暮らした人が東京へ出てくること。ぼやかして言いますが、人智を超えた大きな出来事が起こること。生と死、此岸(しがん)と彼岸の行き来など。
ただ、今作の興味深い点は、こうした似た道具立てや舞台を用意しながら、登場人物の取る行動とその原動力となる考え方が、前作とはまったく違うということです。『君の名は。』を冷静に振り返ってみると、主人公の男女はやたらと運命に翻弄されていたんですね。別の言葉で言えば、偶然の積み重ねですよ。一方、『天気の子』の場合は、帆高がいつも何かを選択して自らアクションを起こすことで物語が動いていくんです。そもそも家出しているし、ひとりぼっち。資金も後ろ盾もないところから、自分で未来を掴み取ろうとする。そこに新しい繋がりが生まれ、陽菜に恋をする。仕事だって自分で生み出す。そうやって獲得したささやかな幸せと充足感を奪おうとする障害があろうものなら、それが社会のシステムだろうと、彼女が背負い込んでいる超常的な運命だろうと、世界の危機だろうと、何が何でも抗っていくわけです。
今世紀に入ってからサブカル周りの物語論でよく使われる分類にセカイ系というものがありますね。この場で細かく論じることはかないませんが、ごく些細で個人的なレベルの話が、いきなり大きな世界そのものの危機と直結していくというタイプのものだと大雑把に捉えておきましょう。新海誠は、そんなセカイ系作家のアニメにおける代表格とされてきました。僕はこう見ています。『天気の子』において、彼は自分の描く「セカイ」と現実の「世界」との折り合いをつけようとしていると。どういうことか。ひとり語りの多いセカイ系の作品において、僕たち観客の前に広がるのは彼/彼女の自意識のセカイであって、現実の世界というのはいつも背景として存在している。それが、この作品では、同じレイヤーとまではいかなくとも、こだまするんです。現実と折り合いをつけようとする。
ここでキーパーソンとなるのが、帆高に仕事を与えて世話してやる圭介です。帆高のセカイと圭介が代弁する世界。後半に入ってからの帆高と圭介の会話が、帆高の決定的な選択とそれによって起きる出来事、そしてエピローグへ向けて、帆高の考えと意志を整理する役割を果たしている。これは新鮮でした。
その上での結論としては、身も蓋もなく言えば、「自由に生きろ」ってことかなと思います。今回の結論を受けて、僕は素直に揺れてます。その決断はどうなんだろうかという思いと、それでも、空気ばかり読まされて、右へ倣えで、息苦しい現実の世界にあって、まぶしく映ったことも事実です。自分の意志で自由に生きてしまえと。セカイ系にノレない人の最大の理由は、「お前のその小さな心の動きなんて知らねえよ」ってことだと思うんだけど、前作の大ヒットの先に新海監督が辿りついた結論を、今回は手前勝手なセンチメンタリズムだと片付けるわけにはいかない。監督の力強い前進だと受け止めたし、あったりまえのように超ハイクオリティな、ハイパーリアルな描写を含め、もちろん劇場でリアルタイムで観ておいてほしい作品です。