『海の沈黙』短評
ただし、映画としてよくできているかと言えば、僕にはそうは断言できないんです。今まで言ってきたようにテーマとしては面白い内容だと思うし、実際に用意したオリジナルの絵画作品もなかなかに見事で力がそりゃ入っているんですが、身も蓋もないことを言えば、根本的には映画との食い合わせがよろしくないんじゃないかと思いました。絶対的な美というのは、それぞれの人の心の中にあるものだとして、その美しさを観客に感じさせるには、結局のところキャラクターの出自や境遇や生き様を示すエピソードで補強していく他なく、美そのものを観客が体験として味わいきれないというもどかしさから逃げ切れないんです。そこへ、病気の話であるとか、幼少時の悲しいできごととか持ち出されてしまうと、なんだか感動させるための材料として取って付けたものに見えてしまうほどに、どうもキャラクターたちの行動と各シーンが噛み合いきっていないんですね。
そもそも、小泉今日子演じる安奈は映画の冒頭で占い師と思しき人物に何やら言い当てられていましたけど、彼女は占いをしてもらうような人かしら。清水美砂演じる牡丹がまた美しかったのは事実として、刺青を彫るという一連の設定は物語上どこまで必要だったのか疑問が残ります。中井貴一演じるスイケンは、祇園にも小樽にもわざわざ運転士付きの高級車で乗り付けるのだけれど、電話で用事が済むなら祇園まで来なくても良くない? 杖をついているわりに、料理の腕を振るう時には不都合はないんだ? 画壇のトップである田村修三を演じる石坂浩二は、ああいう権威を演じてもらうには最高のキャスティングだけれど、さすがに本木雅弘演じる竜次と大学で友達だったというのは年齢差があり過ぎて観客を混乱させるでしょうよ。あの廃校がアトリエになっているのは良いとしても、竜次が創作の凄みを発揮していくクライマックスであんなに照明を劇的にしてしまうと興が削がれませんか。
といったような細部がどうも気になってしまうほどに、だんだんとのめり込めなくなっていくほど、倉本聰の作為がはっきり見て取れてしまうんですね。そう言えば、映画のクレジットで、脚本ではなく、「作」っていう肩書を初めて見たような気がしますが、まさに権威たる倉本さんに頼り切らず、たとえば絵画をあえて一切登場させないとか、映画的な大胆な仕掛けでもって美に切り込んでほしかったところです。テーマは納得がいくだけに、そして、キャラクターの瞳やサングラスに映るものを見せるような映像には目を奪われただけに、物足りなさ、もどかしさも覚えてしまいました。
『レッド・ワン』短評
映画『本心』短評
映画『八犬伝』短評
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』短評
「バットマン」に悪役として登場するジョーカーの誕生秘話を描いた前作から2年。5人の殺人罪で逮捕されたアーサー・フレックは、州立病院の精神科病棟で裁判を待っています。ある日、弁護士との面会のために病院内を移動していると、別病棟の音楽セラピーに参加していた謎めいた女性のリーと目が合います。理不尽な世の中への反逆者ジョーカーとして熱狂的な支持を集めるアーサーに惚れ込んでいるリーに、アーサーは心を掻き立てられていきます。
『まる』短評
エンドクレジットとともに流れるこの曲。既存曲なわけですが、荻上監督の堂本剛当て書きには、この曲も念頭にあったんだろうと思える呼応の仕方でした。劇伴もENDRECHERIとして堂本さんが担当されていましたよ。