京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『猿の惑星/キングダム』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月21日放送分
映画『猿の惑星/キングダム』短評のDJ'sカット版です。

猿の惑星』シリーズのリブートとして2011年『猿の惑星:創世記ジェネシス)』からスタートした3部作の300年後を舞台とした完全新作です。人類はすっかり退化して野生動物のように暮らす中、猿たちは部族ごとに濃淡はあるものの地球を支配する存在となっていました。鷲を手懐けることを特徴とする部族の若き猿ノアは、自分たちの村が凶暴な猿たちに襲われ、仲間たちを連れ去られたことで、連れ戻すための旅に出ます。その中で、人間の中でもずば抜けて賢いとされる女性や人間と猿が共生していた時代のことを伝え聞いているオランウータンと出会い、共に絶対的支配者たる猿、プロキシマス・シーザーに挑みます。

猿の惑星:創世記(ジェネシス) (字幕版) メイズ・ランナー (字幕版)

監督と共同製作は、視覚効果を得意とし、2014年の『メイズ・ランナー』で注目を浴びたウェス・ボール。モーション・キャプチャーを通じて若き猿ノアを演じたのは、幼い頃に『キング・コング』を観てアンディ・サーキスに憧れて育ったという俳優のオーウェンティーグ。そして、ノアが出会う人間の女性メイをドラマシリーズの『ウィッチャー』でメインキャラクターを務めるなど注目を集める若手フレイヤ・アーランが演じています。
 
僕は公開前にディズニーからの招待を受けてのメディア試写で字幕版、そして先週木曜午後にはTジョイ梅田で竹内力さんがプレキシマス・シーザーに扮した日本語吹き替え版と、2度スクリーンで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

触れ込み通り、完全新作なので、この作品単体で観てもまったく支障ない作りになっていますが、直接的には2011年にリブートとして始まったシーザー三部作を継承するものとして構築されたストーリーとなっているその証拠に、人類と類人猿エイプスを中心とした猿たちの共生の道を探り続けた英雄シーザーの葬儀、火葬の場面というのが示されます。で、映画の中でははっきり何年後と表記されず「何世代も何世代も後」ぐらいになっていますが、それはともかく、英雄の死の直後から話を進めるのではなく、時間、時代を開けた設定にしたことが今作を当然語りやすくするだけでなく、物語のテーマもより「猿の惑星シリーズ」らしい、文明批評としてのSFとして優れた、切れ味鋭いものにする効果を上げていると言えます。

©2024 20th Century Studios. All Rights Reserved.
主人公であるノアというエイプは、これから一族の通過儀礼に挑むお年頃。新しい世代のエイプなんですが、彼の暮らす田舎の村では、もうシーザーのことなんて知られていないんです。そこは都市でもないし、人間なんて野生化してHumanではなくエコーなんて呼ばれているくらいで特に脅威でもないし、たまにのこのこエコーが出てくることがあっても、「あっち言ってなさい」ぐらいの関係だから、おそらくはシーザーの生涯が伝説として継承される必要もなかった独立した素朴なエイプ社会で、自然ともしっかり共生しながら、その部族は鷲を手なづけるという特徴があるんですけど、その鷲を使ってて魚なんかを獲って燻製にしながらのんびりやってたところへ、おっかない鉄仮面の乱暴な猿たちが襲ってきて、村は壊滅。そして、仲間たちが拉致されてしまう。生き残ったノアは、まったくまだて名付ける能力はないけれど、なんとなく鷲に見守られながら、乱暴な鉄仮面たちの後を追う。なんのためって、そりゃ、仲間を連れ帰り、村を再建するためですよ。ノアが望むのは、それだけ。仲間はどこへ連れて行かれのかって、それは鉄仮面の総本山、ノアの村とはまるで違うレベルで制度化、階層化された、何より技術革新の進んでいる都会です。そのトップに君臨するのが、よりによって英雄シーザーを継承すると自称するボス、プレキシマス・シーザーである。

©2024 20th Century Studios. All Rights Reserved.
これが今作の基本的な対立軸と移動の軸です。横暴な奴らの総本山へ行って、一矢報いて、故郷に戻る。これは今度新作前日譚の公開を控える『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』を彷彿とさせるシンプルさ。わかりやすいんだけど、そこに常に不穏な気配を漂わせ、事態をなんならややこしくさせるのが、人間の女性です。彼女は野良犬が懐いたみたいな調子でノアに付いてきて、途中で知り合ったオランウータンと一緒に旅をする中で、だんだんとこりゃ野良犬じゃねえぞってことがわかってくる。エイプがエコーと呼ぶところの知性の退化した人間とはどうも違う。彼女は知恵があるどころか、何か得体のしれないことを企んでいるのかもしれない。はっきり言いますが、人間こそが事態をややこしくする存在として登場します。ノアとプロキシマスはですね、言語というのは何のためにあるのかとか、進化というのは何なのかってことを互いに対立しながらも哲学的に深め合っていく間柄でもあるんですが、まさにその進化した果てに退化したとされる人類のはずの女性メイについては何か違う。このメイの存在がこの新作のわかりやすい構図を常に乱しながら、これは紛れもなく猿の惑星の新作なのだと観客に唸らせる存在なんですよ。1968年、『猿の惑星』1作目と同じ年に作られた『2001年宇宙の旅』のプロローグで猿が人間に進化する象徴として描かれたのは、道具こそが類人猿と人間を分けるものだということでした。ただ、その道具は往々にして武器として発展することも明示されていましたね。人の進化はこれすなわち武器の進化でもあり、進化した文明はヒエラルキーを作り、支配構造を作り、言葉や宗教ですら政治利用し、武器にしてしまい、他の部族や民族、さらには自然をも駆逐することも辞さないものであるという人類の根源的な危うさを突きつける視点がそこにある。これ、シリーズ開始から半世紀以上経ってますが、その間に人間がやってきたことって、この見立ての通りじゃありませんか。現に世界を見渡せば、今だってってことですよ。

©2024 20th Century Studios. All Rights Reserved.
今作にはほとんど人間は出てきません。エイプばかりで、誰に感情移入すればいいんだって戸惑うかもしれませんね。人間メイが出てくれば、僕たちは彼女にどうしたって肩入れして見てしまうと思うんですが、いやいや、ことはそう単純ではありません。今作においては、身体的な動きだけでなく、顔の微細な表情まで演じる役者の動きを捉える、モーション・キャプチャーではなく、パフォーマンス・キャプチャーに進化した撮影技術のおかげで、エイプたちの感情や思考がありありと表現されていることもあり、かつての英雄シーザーを知らなかったのにこの旅を通してシーザーを継承するまでに成長していくノアはもちろん、悪役とされながらも彼にだって理があるプレキシマス・シーザーのことすら無下にできなくなる側面があります。

©2024 20th Century Studios. All Rights Reserved.
テーマのことを中心に喋りましたが、そのテーマを反映したウェルメイドであり波乱含みでもある今回の新しい物語を支える映像技術は、それこそ圧倒的進化を遂げているがゆえに自然に見えちゃうし、それでいいんだけど、よくよく考えるともの凄いことをやってのけている1本です。ウェス・ボール監督は長編4本目にして見事なお点前だったし、このシリーズの本質をよく捉えながら2024年の観客に見せるべきものにしています。僕はかなり好きな1本だし、どう考えても続編があるはずなので、相当期待しています。ごちゃごちゃ言いましたが、普通にエンタメとしてスカッとする側面もありますので、乗り遅れないうちに、今のうちに新シリーズ1本目を劇場で観ておいてください。
悪役とされるプレキシマス・シーザーでしたが、日本語版で竹内力さんがキャスティングされて熱演するのもよくわかるっていう、僕はすごく魅力的なキャラクターだと感じました。もっと観たいって思ったくらいです。カリスマ性もあって、演説のシーンとか説得力すらありました。What A Beautiful Dayってのが演説のつかみでしたね。そこも意識しつつ、人類の一員として、こんな歌を心底素直に歌える地球であってほしいなとWhat A Wonderful World。Rod Stewart feat. Stevie Wonderのバージョンをオンエアしました。

さ〜て、次回2024年5月28日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『悪は存在しない』です。日本を代表する映画作家として、早くもというか、あっさりと世界三大映画祭を制してしまった濱口竜介さん。これはヴェネツィアで高く評価されたもの。賛否が分かれるというよりも、一様に作品の出来栄えは認めつつ、その解釈が分かれているようで、まちゃおの意見が聞きたいって声もたくさんいただいていただけにプレッシャーもありますが、張り切って劇場に行ってきます。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

Netflix『シティーハンター』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月14日放送分
映画『シティーハンター』短評のDJ'sカット版です。

日本では初めてとなる実写化ですね。北条司の大人気コミックおよびアニメの舞台を現代の新宿に移しました。新宿の裏社会で起こるトラブル処理を担うスイーパー、始末屋の冴羽獠。彼は相棒の槇村秀幸とともに、有名なコスプレイヤーくるみを捜索する仕事を請け負います。ところが、槇村は突発的な事故に巻き込まれてこの世を去り、その場に居合わせた妹の香が、今度は獠に事件の真相を調べてくれと迫ります。獠はしぶしぶ香の言うことを聞くのですが… 

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監督は『キサラギ』の佐藤祐市です。冴羽獠を鈴木亮平、槇村香を森田望智、槇村秀幸安藤政信が演じる他、獠の腐れ縁である女性刑事冴子に木村文乃コスプレイヤーくるみに華村あすかが扮しています。
 
僕は先週金曜日の午前中に自宅のテレビ、Netflixで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

結論としては、鈴木亮平あっぱれということになる作品です。とにかく、鈴木亮平の役作りにかける情熱ですよ。極限まで脱いでのダンスシーンもあるんだからと身体づくりを心がけ、冴羽獠に扮する以上は拳銃の扱いにも長けていなければならないと海外に出向いて練習を積み、僕が感心したのは声色ですね。アニメ版の声優神谷明の声に絶妙に寄せる発声法を会得していましたもの。しかも、劇中ではテレビからのアナウンサーの声として神谷さんも出演されているんです。そんな共演が実現するなんてのがまた憎い。実写版のキャスティングとして、鈴木亮平はもう100点以上の点数を叩き出してしまっていますので、なんの違和感もなく、それどころか実写ですから文字通り立体的に冴羽獠の動く姿を楽しめるという意味で最高の配役、最高の努力、最高の技術でもって体現されているわけです。だからもう、言う事なし、としたいところではあるものの、冷静に作品として観ていくと、そりゃ気になるところ、長所短所ありますので、それぞれ触れていきます。
まず、原作だと80年代が舞台だったものを現代の新宿に置き換えたことは大きな変更ですね。これは現実的なところを言えば、予算の問題も大きかったのだろうと推察します。当時の街並みや行き交う人々のファッションなんかもすべて実写でやるというのはかなり大変ですから。でも、逆に言えば、令和版冴羽獠という新たな魅力をロケも取り込みながら、本物の新宿も使って撮影できるというのは大きなアドバンテージになるわけで、そこは脚本ベースの細かいチューニングがわりとうまくいっている印象です。駅の伝言板という依頼方法もスマホよりも痕跡が残りにくくて良いかもしんないなんて思わせるものがあったし、今や誰も見向きもしない一角にひっそり残っている可能性もあるように見せていました。愛車がミニってのも、あの男なら旧型をしっかり乗り継いでいそうだし、Googleマップスマホで使っているあたりも細かいけどニヤリとしました。そういったチューニングを経ての、特に序盤から中盤にかけてたくさん見られる新宿のロケシーンが良いです。冴羽獠が今の新宿に溶け込んでいて、撮影は大変だったと思いますが、特にコスプレイヤーのくるみを追いかけるくだりやエキストラを多数動員しての雑踏の部分もそうだし、何気ないところもやっぱりロケの魅力は活かせていました。だからこそ、というべきでしょうが、惜しむらくはその現代の新宿が舞台であることが後半になるとあまり発揮されなくなることです。
これは原作に忠実にということもあるのでしょうが、もともと原作にあったエンジェルダストという日本進出を狙う海外の麻薬密売組織によって売りさばかれたドラッグがあるというアイデアをベースに脚本を広げて、槇村秀幸の死と香の関係など、新しいシティーハンターの起点となるような物語に再構築していることが要因なんですが、どうしても必ずしも新宿である必要のない、言わば舞台ごと代替可能な物語になってしまっているが故に、途中からは地下であるとか大きなビルの中とか、新宿であることを下手すりゃ忘れるような展開なので、画面に新宿の雰囲気が出てこなくなるんですよね。本当は橋爪功演じる新宿裏社会を牛耳るボスの存在なんかがもっと絡むと、よりシティーハンターっぽくなるのになと思いながら見ていました。セット中心になってくると、今度はのっぺりとした美術の詰めの甘さがどうしても露呈してしまうんですよね。あとはキャストですが、鈴木亮平に力を入れすぎたせいというべきか、他の出演者は誰がどうってこともないんですが、お色気キャラとそうでない人との線引きがはっきりしすぎていないかとか、どうしても思ってしまったのと、意外な悪役ってのがキャスティングの時点で初登場の時点からそう意外でもないなど、もうちょっと入念でも良かったのではないかと悔やまれる点でした。
もちろん、そもそもが荒唐無稽なところもあるわけで、アニメならいざ知らず、実写ではかなり健闘・奮闘しているのは間違いないです。銃の見せ方や下ネタのバランス、冴羽獠の佇まいも含めたシリアスとコミカルのバランスなどはかなり慎重にセッティングされたことがうかがえます。たとえばフランスでの実写版はコメディーに振り切っていましたが、やっぱり本家として日本でやるならシリアス寄りの見せ方もしないとそれっぽくないんですよね。だからこそ、僕は100tハンマーとかどうすんのかなと思っていたら、これはうまく挟んできましたね。そんな手があったとは! などなど、見終わってみんなでワチャワチャ言い合うのには最適です。続編、ないしはシリーズ化するのであれば、海坊主や冴子との絡みももっと見られるかしら。だとしたら、そのあたりは今後の楽しみにしつつ、まずは鈴木亮平の役者としての力量と凄みが世界同時配信で大いに知れ渡っていくことを喜びたいものです。結論。前から思ってはいたが、鈴木亮平、あんたはすごい。

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シティーハンターはここに来て、劇場版エンジェルダスト、アニメですが今回と同じ原作のエピソードをベースにしているものが去年公開されましたし、フランスの実写版もあるので、見比べてみるのも一興かと思いますね。では、今回は少しバージョンが代わって採用されていますが、ここはオリジナルでTM NETWORKGet Wild

さ〜て、次回2024年5月21日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、実写版『猿の惑星/キングダム』。先週の番組では月曜から木曜まで4日間、Cinema Close-upというミニコーナーを設定して、魅力を少しずつお話していたんですが、そこでは日本版で声優を担当された竹内力さんがコメントも届けてくれていました。僕はメディア試写でディズニーからの招待を受けて鑑賞済みですが、それは字幕版だったので、今度は吹き替えで観に行こうかしら。シリーズの仕切り直しで、ストーリーは完全新作なので、ここからでもまったくもって大丈夫。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『ゴジラxコング 新たなる帝国』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月7日放送分
映画『ゴジラxコング 新たなる帝国』短評のDJ'sカット版です。

映画製作会社レジェンダリーとワーナー・ブラザーズ、そして東宝がタッグを組んだモンスター・ヴァース・シリーズのこれで5本目となります。2014年の『GODZILLA ゴジラ』、2017年の『キングコング:髑髏島の巨神』などからの流れがあり、今は巨大な怪獣と人類が共生する世界が舞台です。未確認生物特務機関のモナークが異常なシグナルを察知。しだいに明るみになるのは、人類が知る由もなかった新たな脅威でした。ゴジラとコングは今回はvsではなく、x。怪獣たちと人類の行方は。

ゴジラvsコング(字幕版)

監督のアダム・ウィンガードや脚本のテリー・ロッシオは前作『ゴジラvsコング』から続投です。キャスト勢もモナークの女性言語学者アイリーン・アンドリューズを演じるレベッカ・ホールや、ポッドキャストのホストを務める陰謀論者バーニーを演じるブライアン・タイリー・ヘンリー、そして髑髏島の先住民イーウィス族の少女ジアを演じるカイリー・ホットルも続投している他、モナークの獣医トラッパーとしてダン・スティーヴンスなども出演しています。
 
僕は先週木曜日の夕方にTジョイ梅田のドルビーシアターで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

一応、今回は前作『ゴジラvsコング』の続きということになっていますが、別に観ていなくても楽しめるって先にお伝えしておきます。なぜって、別に複雑なストーリーじゃないからです。とにかくゴジラが地上でコングが地下世界に居場所が今はありますよってことと、地上と地下はワープトンネルみたいなやつでつながっていますよってことだけわかっていれば大丈夫。なんなら、わかっていなくても、観ればすぐにわかりますんで、とにかく大丈夫です。
 
前作ではゴジラとコングの対決ってことで、物言わぬこの2大巨大生物の代わりに人間たちが陰謀論も含めてギャーギャーやっているドラマパートがなんだか多くてちょっとなぁという評判をすくい取ったのか否か、それは想像の域を出ないところですが、製作陣は今作ではとにかく怪獣たちをしっかりたっぷり見せるんだという方向転換をしていまして、それが僕は功を奏していると思います。今回はxがついていますから、構図がタイトルからは見えにくいかもしれませんが、とりあえずこれぐらいは言っておいて良いでしょう。比率としては、コングの方が多めかな。というのも、とりあえずここが俺の故郷なんだなっていう地下世界に下りていたコングがですね、地球の地下のこれまた得体のしれない生き物が跋扈する空間で孤独を抱えていたんです。俺の仲間ってどこにいるんだろう。母をたずねて三千里ばりにあちこちウロウロしながら、自分のルーツを探るうちに、現在の地下世界の本来の姿がなぜ歪められているのかに気づいていくことになります。なんだこいつはっていうか、なんだこいつらはってのが出てくるんですよ。こいつらか、世界の秩序を混沌としたものにしている悪者は! そりゃ、成敗しないといけません。秩序を取り戻すには、コングとしても、自分を畏怖してくれていた人間たちを筆頭に、借りれるもんなら猫の手も借りたい状態なんですね。一方、地上のゴジラはと言えば、困ったことにローマのコロッセオをねぐらにしている状態が冒頭から明らかになります。あれには思わず笑ってしまいましたよね。僕も20年ほど前に2年間ローマに住んでいましたから、このシリーズにおけるゴジラのサイズ感が初めてはっきりとわかりました。だって、ゴジラが猫鍋みたいな調子で、丸まってすやすや寝息を立てるんだもの。そっか、コロッセオってのはゴジラ鍋だったんだっていう発見がありましたね。

(C) 2024 Legendary and Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
冗談みたいなこと言ってますが、冗談みたいなことがちょくちょくこの映画では起こります。メインの登場人物を取捨選択してスリム化した人間たちの中に、今回は獣医の男性が出てきて活躍するんですけど、このトラッパーというサングラスの兄ちゃんがいちいちいい味出してます。まずびっくりするのが、コングの弱点は歯なんだなってことでしたね。歯が痛いとまるでダメ。芸能人と同じでコングも歯が命というテンションで、トラッパーが救世主のごとく初登場するくだりはもう、はっきりと笑いを取りに来ていました。とまぁ、髑髏島の先住民イーウィス族の生存者である少女ジアも含め、人間はだいたいが狂言回しと怪獣の通訳、あるいは実況に徹しておりまして、あとはもう怪獣たちがドッタンバッタンやってます。画面の構成も、この怪獣のかっこいいところを見せるにはこのアングルが良いかな、とか、こういう技を使ったら取っ組み合った時面白いんじゃないかというプロレス的発想が発揮されていまして、そこは地球というリングをいろいろとアクロバティックに目一杯使っていて楽しいです。それに伴い、普通ならあり得ないようなカメラの動きや画角が実験映画のように用意されているのが映画的なポイントですね。ただ、最優先事項が絵面のかっこよさなんで、はっきり言って、怪獣たちのサイズ感の統一性が途中からおろそかにはなっていましたけどね。ゴジラもコングも、それからあの見た目だけはキュートだけどおっかないやつも、あれ、急に縮みました? 逆に背が伸びました?ってくらいによくわからないです。よくわからないが、とりあえずゴジラコロッセオには何があってもぴったりフィットすることだけはわかる、みたいな。でも、そんなことはリオデジャネイロのビル群のごとく木っ端微塵にしてしまえばいいのです。そう、地上での巨大生物たちの破壊活動もあちこち観光地できっちり行われますので、そこはご期待ください。あんなに国際的な観光地を飛び回るのはもう、ゴジラかボンドかってくらいですね。

(C) 2024 Legendary and Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
一応、ゴジラなんで、コングなんで、人間の生み出した文明と自然環境の相克というか、共生は可能なのかという問いを読み取ることもできますが、そんなのはおまけくらいのハリウッド版ですから、そんな巨大かつ深遠な問いは一旦ゴジラの尻尾にぶっ飛ばしてもらって、巨大生物プロレスの問答無用の楽しさに酔えれば万事OK。なんか、ゴールデンウィークに観る娯楽作として僕は十二分に満足しましたよ。『ゴジラ-1.0』は技術はすごいのかもしれないけど、とにかくゴジラ一体しか出てこないのが怪獣映画としては不満だったんだよなという方なんかは特に、今すぐ劇場へ直行ください。
音楽使いもなかなか楽しくって、KISSが流れたりもするし、この曲のチョイスと使い所は、なかなかいいぞこれはって思えます。BadfingerのDay After Dayをオンエアしました。

さ〜て、次回2024年5月14日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、実写版『シティーハンター』ゴールデンウィークも終わってまた忙しくなる中で、みんな大好きシティーハンターNetflixでのんびり鑑賞ってのもなかなか良さげですよ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『異人たち』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月30日放送分
映画『異人たち』短評のDJ'sカット版です。

ロンドンのタワーマンションに暮らす40代の脚本家アダム。彼は12歳の頃に交通事故で両親を亡くしており、それ以来、喪失感を抱えながら生きてきました。両親との思い出をベースにした新たな脚本を練り始めたある夜、アダムは同じマンションの彼以外の唯一の住人ハリーと知り合います。一緒に飲まないかというハリーの誘いを断ったアダムは、幼少期を過ごした郊外の自分の家を訪ねてみることに。すると、そこにはなんと30年前にこの世を去ったはずの両親が、その当時の姿のまま暮らしている様子を目の当たりにするのですが…

異人たちとの夏(新潮文庫)

原作は、山田太一の小説『異人たちとの夏』。2003年に英訳されていたものを脚色して監督したのは、アンドリュー・ヘイ。アダムを『SHERLOCK』のモリアーティ役で知られるアンドリュー・スコットが担当した他、アダムと交流を深めていくハリーをポール・メスカル、そしてアダムの両親をクレア・フォイジェイミー・ベルがそれぞれ演じました。
 
僕は先週木曜日の夕方にMOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

これはとても現代的な再解釈だし、物語のアップデートとして優れたリメイクになっていると先に言っておきます。山田太一が当時珍しくファンタジックでセンチメンタルなモチーフとして小説にしたという『異人たちとの夏』は、翌年に大林宣彦が映画化しています。僕は見落としていたのでこの機会にU-NEXTで観てみると、こちらも面白い。主要登場人物が4人なのはもちろん同じ。今回で言えばアダムにあたる主人公を風間杜夫が演じています。亡くした両親を片岡鶴太郎秋吉久美子、そして主人公と同じマンションに住んでいて愛し合うようになるキャラクターを名取裕子が担当しています。こちらは、バブル期の東京が舞台なわけで、そこから遡って、主人公が幼少期を暮らした浅草との対比もモチーフとして重要な役割を果たしていました。失われゆく東京の風景と、そこに生きた人々の記憶というものを、夏ということもあり、異人をゴースト、つまりこの世ならざるものとの交流を通して表現していました。大林宣彦に白羽の矢が立ったのも納得です。それに対して、今回のアンドリュー・ヘイ版では、ただロンドンに舞台を移したというだけではなく、興味深く意義深くもある改変が施されています。

異人たちとの夏

まず時代が違いますね。今作は現代を起点に、アダムが育ち両親と過ごした80年代と向き合うことになります。そこには、当然ながら時代による価値観の変化というものも投影されるんですが、それが原作小説や大林版以上に切実なものとして、あるいは対峙すべきものとして、なんなら必然と言っていいくらいの切迫さをもって、アダムの両親は彼の前に現れます。そこには東洋的な幽霊の雰囲気というよりもむしろ、僕の受け止めとしては、主人公の主観的な幻影というムードがより強くて、それだけに今回の脚色においては胸を打つものになっています。それというのも、最後に決定的な変更点として挙げるのは、主人公のセクシャリティーです。今回のアダムは、幼い頃からゲイを自覚して生きてきたんだけれども、幼い頃に両親を亡くしたことに加えて、性的マイノリティーであることも、現在の彼の深い孤独感の決定的な要素になっているんです。これに伴い、マンションの隣人たるハリーもゲイに設定が変更されています。アダムが両親に何度か出会って互いに話をする中で、アダムにとっては、12歳の頃には両親に伝えられなかった自分の性的指向のカミングアウトができるかどうかがひとつの焦点となります。一人っ子で、まだ80年代サッチャー政権時で非寛容さも大いにあったあの時代、周囲からは男らしくないといじめられていたあの頃。それを両親にもうまく打ち明けられなかったもどかしさがあった。もちろん好きだった両親だけれど、互いに埋めきれなかった溝があった。そんな親子3人が大人として擬似的に出会う場面の美しさときたら、どれもこれもすばらしいです。

©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
時代設定の改変が絶妙だというのは、さっき言及した80年代と現代というだけではないです。大雑把に言えばそうなんですが、当時のHIVウイルスをめぐる状況と偏見、そして理解してくれているように見える人でもマイクロアグレッション的に好奇の目と価値観で悪気はなくともしょうもない質問をぶつけてくる当時の価値観がこの少ない登場人物の間でだけでもうまく表現されていたことは特筆に値します。さらに、もうひとつ巧みな改変として、主人公が交流する隣人のハリーが、年齢が一回り下の男性になっていることも挙げておきます。このふたりの間にも、たとえばゲイとクイアという言葉づかいの変化や両親との関係にも違いが見て取れるんです。ハリーにはハリーの孤独があり、疎外感があり、それがふたりをより近づける。アダムはハリーと同時代を生きているけれど、ハリーとは少し上なために、ハリーの感覚とは少しずれがあるんですよね。そこも興味深く映りました。

©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
アンドリュー・ヘイ監督は、35mmフィルムで淡く幻想的、もっと言えば幽玄な画作りをしていますね。タワーマンションの部屋から見えるロンドンの夜景は、なんとわりとアナログな特殊効果で再現していて、主人公たちカップルの孤独を映像一発で見せつけました。さらになんと、両親の家、アダムの実家は、ヘイ監督の実家でもあるそうです。監督もずっと訪れていなかったんですが、今の住人に許可を得て、ヘイ監督自身の体験を踏まえた演出に現場は独特の緊張感があったようです。つまり、80年代後半に仕事で悩んでいたという山田太一が切実な想いに駆られて書いた小説が今、時空を越えて、ヘイ監督の自伝的な要素も含めたが故にまた切実な想いを反映した映画になったんです。プライベートな体験に基づく物語やファンタジーが、時代も国も関係なく、時にユニバーサルなものになるという証拠ですよ。その上で、今回の英語のタイトルは、『All of Us Strangers』。異人というのが、この世ならざる人という意味だけでなく、LGBTQ+という意味合いにも広がったし、僕も一人っ子で外国にルーツを持つ人間として日本で育った経験を踏まえ、これは広く社会的なマイノリティーを包括できる映画にもなっていると感じました。実験的な映像や編集もあるものの、決して難しい映画ではないし、感覚に訴えるものでもあるので、僕は鑑賞を強くオススメしたいです。
 
劇中では、80年代を中心に、性的マイノリティーの人たちが好んで聞いていた既存曲がたくさん流れるんですが、Pet Shop Boysのこの曲は、あのクリスマスツリーの飾りつけをしているところで、まずお母さんが口ずさむんですよね。その場面がもう涙ものでした。おいで、アダム、あなたも飾り付けましょうよ。一番上はあなたがやるのよ、なんて言いながら…

©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

さ〜て、次回2024年5月7日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ゴジラxコング 新たなる帝国』。候補にしていた6本がどれも面白そうだったし、確かに「何が当たっても良さそう」とは言いました。そしたら、獣たちが「ほな、わしらをまず見てみろや」と吠えてきた格好です。思わず縮み上がりながらも、劇場へ向かいます。ドッタンバッタンするんだろうなぁ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『パスト ライブス/再会』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月23日放送分
映画『パスト ライブス/再会』短評のDJ'sカット版です。

ソウルで育った成績優秀な幼馴染のふたり。女の子のナヨンと男の子のヘソン。互いに好意を抱いていたふたりは、12歳、ナヨンの一家がカナダへ移住することをきっかけに離れ離れになります。ナヨンはそれをきっかけに名前を変えて、ノラと名乗るように。それから12年。ニューヨークで劇作家として駆け出しのノラと地元で名門大学に通うヘソンはSNSを通じて再会。互いのことを想いながらも会えずじまい。それからまた12年。ふたりはついにニューヨークで再会することになりますが、ノラはもう作家の夫と結婚していました。
 
監督と脚本は、これが長編映画デビューとなる韓国系カナダ人のセリーヌ・ソン。ノラを韓国系アメリカ人のグレタ・リー、そしてヘソンを演劇も含めて国際的な演技経験豊富な俳優ユ・テオ、そしてノラの夫アーサーをジョン・マガロが演じました。本作は全米映画批評家協会賞で作品賞を受賞した他、ゴールデン・グローブ賞主要5部門ノミネート、そしてアカデミー賞では作品賞と脚本賞にダブルでノミネートを果たしています。先週の『アイアンクロー』に続いてのA24スタジオ作品ですね。
 
僕は先週金曜日の朝にTOHOシネマズ二条で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

僕は観た人と週末既に話し合っていますが、どうもこの映画には乗れなかったという人の意見を聞いてみると、あのヘソンの行動のきっかけ、つまりどの面下げて会いに行くんだとか、うじうじと切り替えの悪いナヨっとした奴だなとか、キャラクターの心理について行けないという感想が目立ちました。ただし、それは映画そのものの出来栄えとはまた別だという感じだったんですね。演出のうまさを感じることは認める、と。つまり、この作品は、観る人の恋愛観が如実に問われるもので、なんなら嫌いな人も話を聞けば語り出してしまうという意味で、僕は十二分に成功しているんだと思います。

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ぴあの華崎さんがこの番組で紹介をしてくれた時に、僕の大好きなリチャード・リンクレイター監督の「ビフォア・シリーズ」を引き合いに出していました。あれがまたすごかったのは、イーサン・ホークジュリー・デルピーが実際に年齢を重ねながら9年ごとの男女の関係の変化を描いた3作だったんですよね。本作が構造的にそこに似ているのは、12歳、24歳、36歳と主人公たちの3つの時間を描いていること。さすがに12歳の頃だけは違う役者が演じていますが、その時々のふたりをめぐる環境や人生のステージ、そして場所が違うことが、人間関係にどのような影響を与えているのかという考察にもなっています。もうひとつ、テーマとして浮かび上がるのは、韓国の言葉でイニョンと呼ばれる縁のこと。日本なら「袖振り合うも多生の縁」という言葉がありますね。どんな人のつながりにも、深い宿縁があるのだということ。ナヨンは12歳でカナダへ移住しますが、それは彼女の意志ではなく、当然まだ小さいので親の事情です。両親がそれぞれ映画監督と画家なんですが、韓国で一定の成功を収めているように見えるものの、おそらくは子どもの教育のことも頭にあったのか移住を決めたんですね。だから、その前に、どうやら両想いらしい娘とヘソンくんを双方の親が見守る中で思い出のデートをします。まんまと思い出になるわけですが、そこでナヨン(直後にノラと改名する彼女)の母親が言う言葉は重要で、移住の理由を問われたところに返して、「捨てることによって得られるものもある」。この言葉は人生における選択の核心を突いています。

Courtesy of Twenty Years Rights/A24 Films
実際のところ、ナヨンは名前を捨ててノラになり、韓国での言葉の通じる環境から異邦人としての日々をスタートさせ、12年後、24歳にして今度は親ではなく自分の意志でアーティスト、劇作家の卵としてNYへ移住する。新しく得た言葉である英語で表現活動をするところまで到達していて、韓国語はカナダの母親としか話さない。この人格を構築するものとしての言語の役割も本作は巧みに織り込んでいます。これって、日本国内の移住でも方言の使い分けなんかで身に覚えのある方がいらっしゃるかと思います。ナヨンだったノラは、そうやって時間と場所と名前と言葉を大股でまたぐようにズンズンと人生を闊歩していく。そんな中で降って湧いたのが、Facebookを通じてのヘソンとの再会です。彼はソウルからナヨンを探していたのだけれど、名前が変わっていたからわからなかったんですね。そう、彼が探しているのは、かつて12歳で自分の隣りにいたナヨンの今なんです。まるでパラレルワールドのようで、ふたりはニューヨークでもソウルでもなく、言わばネットというふたりだけの仮想空間でのみ交流をする。それから、ある理由で関係が途切れて、また12年後ってのがハイライトになるわけですね。普通のあらすじの作り方なら、ノラの伴侶アーサーも含め、三角関係の行方は… っていうメロドラマ要素ももちろんあるけれど、この3人はもう30代も半ばでそれぞれに成熟していて、嫉妬心だってそれはあるけれど、三角関係のどのベクトルにもリスペクトと広い意味での愛情を持てる人たちです。遠く離れてたとえ直接触れ合うことがなくても、静かに相手の幸せを願い心を温めるすべを持っている。そして、会えたこと関わったことを後悔なんてしなくって、それも自分の足跡としてイニョン=縁を愛おしく感じるんですね。アジアと西洋の違いや共通点を受け入れながら。

Courtesy of Twenty Years Rights/A24 Films
自ずと演出も繊細なものになります。実に細かいことだけれど、会話の間合いや視線の行方、歩き方や服の選び方ひとつひとつと、もちろんそこに立ち現れる心の機微をデジタルでパキッと、ではなく、フィルムカメラですくい取っています。普通に撮っても物語上は問題ないのに、わざわざカメラをたとえば建物の外に出してガラス越しにキャラクターを撮影するなんていう手間をいとわないのはなぜか。そこに演出の意図があるからであって、ノラと同じく劇作家出身の監督セリーヌ・ソンさんの映画監督としても確かなビジョンが全編にわたって張り巡らされています。脚本も当然巧み。ノラとアーサーを劇作家と作家に設定しているのが効いていて、ふたりが自分たちの出会いと恋愛の平凡さに苦笑いするところなんて、物語を作るふたりだからこその説得力がある。そして、ぜひ冒頭シーンを思い出していただきたい。36歳の3人がニューヨークのバーで真夜中から明け方にかけて酒を飲んでいるシーンがいきなり出てくるんだけど、3人の会話は僕たちには聞こえない。代わりに、そのバーに居合わせたニューヨーカーらしき男女が3人を観察しているやり取りが画面外の会話として聞こえるんです。「ねえ、あの3人ってどういう関係だと思う?」なんて言って想像を巡らせている。あの冒頭って、はっきり言って物語には直接関係ないんです。だからカットしても支障はきたさない。じゃ、なぜ入れたのか。観客にそういう観察の視点を授けるのと同時に、3人があの晩、あのバーで並んでカクテルを飲むに至るイニョン=縁の妙を盛り上げる布石でもあるし、物語に人のつながり、そして命のサイクル、なんならパストライブスからの流れを想起させる円環構造を物語に持たせる効果もあるのでしょう。

Courtesy of Twenty Years Rights/A24 Films
この映画を観終わって、僕も何人か思い出した人がいましたが、それはマイクを通しては言わないとして、きっとあなたも誰かを思い出すし、誰かのことが愛おしくなる。誰かと語りたくなる。頭にも話したように、そうなってしまうように導かれた時点で、この映画は大成功です。セリーヌ・ソン監督は、次の作品をやはりA24と組んで作っているようで、大いなる才能の登場にも、僕はわくわくしています。
 
幼馴染のノラとヘソン、そしてノラの夫アーサーがレストランで食事中に流れるのがこの曲。振り返るんじゃない。それにしても、オリジナルのサウンド・トラックも素敵だったし、さりげなく挟まれるこうした歌のセレクトも的確だなと感心します。

さ〜て、次回2024年4月30日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『異人たち』山田太一の小説の映画化ですが、大林宣彦監督も原作のタイトル通り『異人たちとの夏』として映画化されていたんですよね。舞台をロンドンにして、今回はアンドリュー・ヘイがメガホンを取りました。チラシを僕は事務所の壁に飾っているくらいなんで、楽しみ楽しみ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『アイアンクロー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月16日放送分
映画『アイアンクロー』短評のDJ'sカット版です。

タイトルにもなっているプロレスの必殺技アイアンクロー=鉄の爪という言葉を国際的に普及させたフォン・エリック一家。元AWAヘビー級世界王者の父親フリッツは、息子たち全員をプロレスラーに育て上げ、1980年代に絶頂期を迎えたのですが、家族には不幸が重なり、現在フリッツの息子で生きているのは次男のケヴィンのみ。若き日のケビンを中心に、フォン・エリック家の4人兄弟と両親の生き様を描きます。
 
監督・脚本は、子どもの頃にプロレスに夢中だったというショーン・ダーキン。ケヴィンをザック・エフロン、三男のデヴィッドを『ザリガニの鳴くところ』のハリス・ディキンソン、父親のフリッツをホルト・マッキャラニー、ケヴィンの妻パムをリリー・ジェームズがそれぞれ演じています
 
僕は先週金曜日の朝にTOHOシネマズ二条で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

ここ10年ほど話題作を続々と手がけるスタジオA24が製作と配給していると聞けば、そりゃやっぱり観たいなとなるのが映画ファンですが、僕は作品を鑑賞するまで正直あまりピンと来ていなかったんです。プロレスにそもそも疎いってのもあるし、80年代に活躍したフォン・エリック家の伝記映画的なものだと聞かされても、なぜそれを今映画化するのか、もうひとつ意義がわからなかったんですが、鑑賞中からだんだんとわかってきました。これはレスラーたちの数奇な運命を描くと同時に、いや、それ以上に、家族のあり方を問う話であり、マチズモと夢という呪いの話でもあるんですよね。

© 2023 House Claw Rights LLC; Claw Film LLC; British Broadcasting Corporation. All Rights Reserved.
冒頭、父親フリッツの現役時代が少しモノクロの映像で見せられます。彼は実力はあるものの不遇な側面があり、妻と当時2人いた息子を抱えながら、巡業もあるから都合が良いとトレーラーハウスに住んでいるような経済状況なのに、試合後、家族みんなで車に乗り込もうとしたら、フリッツは誰にも相談せずに車を豪華なキャデラックに変えているんですよ。妻は当然怒りますよね。こんなことして、お金はどうなるのよと訴えるも、フリッツはスターになれば何とかなるし、何とかしてみせるから、俺についてこいとばかり。このモノクロの短い過去シークエンスで示されるのは、フリッツの激しい上昇志向と家父長制丸出しの行動原理です。そこから実際に彼は結構なスターになるのがすごいんだけれど、その成功体験と自分の果たしきれなかったさらに大きな夢を息子たちに託すもんだから大変です。

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この家族は仲睦まじいんです。兄弟4人の結束は固く、互いに助け合うし、それぞれに才能にも恵まれています。夫婦仲も悪くないんですよ。なんなら、映画を観ていて、最初の悲劇が起こる直前までは、フリッツが強権的なきらいはあるものの順風満帆と言っても差し支えないほどです。いかにも南部のアメリカン・ドリームを実現した家族って感じですよ。広大な土地があって、カウボーイ・ハットを被り、教会のミサは欠かさず、自宅にはトレーニングジムも完備しながら、家族誰もが自分の趣味や夢に邁進できる環境。ただ、こうした大家族にありがちですが、そこでたいがい完結してしまうがために、フォン・エリック家は閉鎖的で風通しが悪い。それが露呈するのが、ケヴィンにできたガールフレンドのパムという存在です。彼女は社交的で進歩的なんですよね。彼女が出入りすることで、フォン・エリック家の特殊性があらわになっていく。閉鎖的で淀んだ家庭内の空気が入れ替わるまではいかなくとも、少なくとも付き合っているケヴィンは彼女という窓を通して外の世界、社会の空気を取り込めるようにもなっていきます。

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このファミリーに起きた、まさに呪われたと言いたくなる出来事の数々についてはここでは言及しません。プロレスファンならご存知だろうし、知らない人は映画を観て驚いてもらいたい。あまりに不幸なので、ケヴィンは子どもが生まれた時に名字を変えて役所に届け出るくらい。実は、このフォン・エリックっていうのはフリッツが自分の何世代か前のルーツであるドイツ系の名字に改名したものなんです。ドイツ系の名字は、ナチズムの記憶があるので悪役レスラーにもってこいだった。つまり、フリッツはリング外でも、実社会でもレスラーであり悪役であることを選んでしまっていたんです。もちろん、呪いなんてものがあるわけではなく、あるとすれば、それはフリッツのマチズモであり、自家中毒的な上昇志向なんです。確かに不運もあったけれど、運だけでは説明できない毒素があれだけ鍛え上げた肉体を持つ家族たちをじわじわと蝕んでいくわけです。残念なことに、そのデトックスは仲良し兄弟が力を合わせても成し遂げられないどころか、その兄弟の絆も父親やプロレスという競技が要請する過度なプレッシャーも毒素を心身のより深いところまで浸透させる潤滑油になってしまいます。それがこの閉鎖的大家族の不幸であり哀しみなんですね。半ばを過ぎたあたりから、自宅敷地内にリングが作られますよね。あれは家庭そのものもやすらぎの場ではなくレスリングの延長であることの象徴です。

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監督のジョーン・ダーキンは、80年代のアメリカの空気をフィルム撮影による映像で見事にパッケージしました。時系列通り順を追って家族の歴史が描くにあたり、俳優たちが準備した肉体のぶつかり合いをしっかりした時代考証で補強していく正攻法の演出ですが、ちょっとした会話や短いインサートショットにも手を抜かない、モチーフとは逆に繊細な演出が光ります。家族を襲う悲劇も直接的に描くのではなく、画面外をこちらに想像させるあたり、確かな手腕を感じます。そして、正攻法で来たからこそラスト付近で異彩を放つ兄弟たちの交流を描くファンタジックな展開には心がほぐれます。フリッツの妻が夫に放つ最後の言葉と、ケヴィンに対してその息子たちが語りかける言葉が、この映画の救いであり、監督の、そしてスタジオA24の製作意図でしょう。僕たちは誰であれ自由にのびのびと心に正直に生きて良いはずだし、時代はもう変わっているのだと。
親が子どもに自分の夢を託す話は、うまく行けば美談としてもてはやされるけれど、うまくいかなかった場合、それも子どもがプレッシャーに押し潰された場合、美談ではなく、親がビラン、毒親の話になる。そんなことも思いながら、サントラからカントリーの名曲をオンエアしました。

さ〜て、次回2024年4月23日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『パスト ライブス/再会』。僕の番組ではぴあ関西版の華崎さんが、リチャード・リンクレイターのビフォア・シリーズと並べて紹介してくれていた、こちらもA24の作品にして、アメリカと韓国の合作。この手のメロドラマがいかにFM COCOLOのスプリングキャンペーンよろしくUPDATEされているのか、しかと観てきます。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『オッペンハイマー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月9日放送分
映画『オッペンハイマー』短評のDJ'sカット版です。

天才物理学者J・ロバート・オッペンハイマーの伝記映画。第2次世界大戦下のアメリカが進めたマンハッタン計画を指揮し、世界で初めて原子爆弾を開発した彼の意欲と苦悩、栄光と没落を描きます。
 
監督・脚本・製作はクリストファー・ノーラン。これまでも『インターステラー』などでタッグを組んできたカメラマンのホイテ・ヴァン・ホイテマが撮影監督、そして『ブラックパンサー』でアカデミー賞作曲賞を得たルドウィグ・ゴランソンが音楽を手掛けました。オッペンハイマーに扮したのは、ノーランが信頼を寄せるキリアン・マーフィ。妻のキティをエミリー・ブラント原子力委員会議長のストロースをロバート・ダウニー・Jrが演じたほか、マット・デイモンラミ・マレック、フローレンス・ピュー、ケネス・ブラナーなども出演しています。
 
そして、今年の第96回アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞編集賞、撮影賞、作曲賞と7部門を総なめしましたね。
 
僕は先週金曜日の夕方にTOHOシネマズ二条のIMAXで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

僕は決して信者ではないけれど、クリストファー・ノーランがすごいってことは、そりゃわかってはいたつもりですよ。これまでラジオで評してきたものも、どこがどうすごいのか語ってきました。ただ、これはもうちょっとまた異次元という伝記映画でした。3時間、身動きもはばかられるほどの緊張感をキープするっていうのは並大抵のことではありません。『ダンケルク』のような戦闘シーンがあるわけでも、『ダークナイト』のようにスーパーヒーローが出るわけでも、『メメント』のようなお得意の強烈な時間軸操作があるわけでもない。ましてや、物理学という素人には極めてわかりづらい分野の科学者の半生を通してアメリカという国のシステムをあらわにしながら痛いところをつくというチャレンジングな企画で、これほど観客の興味を持続させられる映画監督としての能力にはシャッポを脱がざるを得ません。

© Universal Pictures. All Rights Reserved.
オッペンハイマーがまだ駆け出しの頃、ヨーロッパでの学生時代のエピソードで印象に残っている場面がありました。彼は実験が苦手で、よく失敗しているんですよね。机の上よりも、現実と向き合うよりも、どちらかと言えば、理論で頭に浮かんでくるロジックや計算を通して物理に向き合うのが性に合っているというシーンで、先生から音楽のたとえを持ち出されます。「数式は楽譜であって、読めるのは当たり前。問題はその音が聞こえてくる」かという内容の台詞があるんです。オッペンハイマーはそこでハッとするわけだけれど、彼は紙からメロディーが聞こえてくる人だし、数式からその物理現象、あるいは物理学的可能性が見えるし聞こえる人になっていく。天才というのは、そういうことで、それはしんどいことでもあるってのが、轟音を伴うアートに近い映像となって合間合間にフラッシュバックのようにして、あるいは先のことが提示されるフラッシュ・フォワードのショットとして挟み込まれるんです。そうやって、僕たち観客も天才の頭脳を曲がりなりにも体験するわけですから、そりゃ緊張は持続するし、ノーランはそれこそ映画というメディアにできることだとロジカルに分析して表現しているのがものすごいです。IMAX65ミリとそれ対応のフィルムカメラで撮影された最高解像度の映像は、今作のためにモノクロフィルムが開発されました。これもすごいことです。自分の表現のために技術を革新するというのは、並大抵のことではないですから。これはスタンリー・キューブリックが1968年に『2001年宇宙の旅』で成し遂げたことに匹敵するでしょう。その意味で、IMAXのシアターで見るのがベストではあるものの、映像のスケールもさることながら、今作については音がとても大事なので、これからご覧になる方は、音に力を入れたドルビー・シアターも選択肢として大いにありだと思います。あそこは黒がパキッと出るので、モノクロとカラーの同居とその意味について考えるにあたり有効でしょうね。

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その他、ノーラン監督の手腕として言及しておきたいのは、作劇の巧みさです。1920年代、学生の頃の話。30年代、アメリカ国内の共産主義者たちとの接近。42年、マンハッタン計画の打診。すなわち、軍部との接近。ニューメキシコ州ロスアラモス研究所の建設とそこでの政治家的な動き。45年、トリニティ実験。原爆投下。英雄視されながらの強烈な後悔と恐怖と孤独。水爆開発への反対。赤狩りの標的。そして、関わりを持った女性たち。こうしたとてつもない量の情報を整理していく中で、お得意の時間軸の編集の妙もある程度発揮されていますが、今回は色のあるなし、そして意外にもシンプルに伏線の貼り方に感心しました。劇中に登場する世界最高峰の物理学者たちの中でもトップクラスに有名で知らない人はいないアインシュタインとの短い会話。最初に出てくる時にはその内容は観客には明かされないんだけれど、それがやがて…というような、情報の出し方と出しどころの計算がお見事でした。厳密には伝記映画ではないかもしれないけれど、オーソン・ウェルズの映画史に残る傑作『市民ケーン』すら引き合いに出されるのも納得です。

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映画のキャッチコピーにもあるように、オッペンハイマーの創造物は、世界の在り方を変えました。そして、その世界に、私たちは今も生きているわけです。極めて残念ながら、人間は自分たちどころか地球そのものの存在を破壊する道具を生み出し、それに自分たちで怯え、翻弄され続けています。そんなものが生まれるプロセスについて、誰一人無関係ではいられないからこそ、観るべき作品でもあります。原爆投下がもたらした被害についての描写が足りないという意見も散見されますが、オッペンハイマーが万雷の拍手でもって迎えられた、あの部屋のシークエンスにおける描写で十分です。観て、考えて、核兵器のない世界に向けた具体的なアクションを人類が取っていく一助となりうる重要な一本です。
短評後には、クリストファー・ノーランが今作のインスピレーション元になったと公言しているStingの『Russians』をオンエアしました。

さ〜て、次回2024年4月16日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『アイアンクロー』ザック・エフロン主演で実在のプロレスラーを描いたものということで、当初は「プロレス詳しくないしなぁ」と思ったものの、試合よりも家族の物語のようだし、それなら僕でもついていけるんじゃないかと候補に入れてみたら、ものの見事に当たりました。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!