京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月17日放送分
『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』短評のDJ'sカット版です。

90年代前半のニューヨーク。あのJ.D.サリンジャーを抱える老舗の出版エージェンシーで働くことになったのは、作家を夢見る西海岸出身のジョアンナ。まだ見習いということで、ボスのマーガレットの助手として、手始めに、サリンジャーあてに届く大量のファンレターへの対応を命じられます。ある日、会社で電話を受けると、その向こうで彼女に話しかけたのは、サリンジャーその人でした。

サリンジャーと過ごした日々

原作は、ジョアンナ・ラコフの自叙伝『サリンジャーと過ごした日々』。監督と脚本は、カナダ出身のフィリップ・ファラルドー。ドキュメンタリーから映像業界に入って、有名なのは学校を舞台にした『ぼくたちのムッシュ・ラザール』(2011年)ですね。あとは『グッド・ライ いちばんやさしい嘘』も良かったです。文化や世代のギャップを人がどう埋めていくのかを描かせるとうまい監督だと思います。

ぼくたちのムッシュ・ラザール [DVD] グッド▶ライ~いちばん優しい嘘~(字幕版)

 主役のジョアンナを演じたのは、『ナイスガイズ!』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で注目を浴びたマーガレット・クアリー。ジョアンナのボスであるマーガレットに扮したのは、シガニー・ウィーバーです。

 
ニューヨークには行ったことはない左京区民、サキョーカーの僕は、今回はメディア関係者の試写で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


オリジナルのタイトルは、本も映画も『My Salinger Year』です。それが、日本での翻訳本は『サリンジャーと過ごした日々』と名を変え、映画では『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』となっています。この邦題に違和感を覚える人が多いようで、言われたい放題だなと思っていますが、違和感の正体として、主人公ジョアンナは日記を書いていないし、サリンジャーとの関わりが大事なポイントだし著名な作家なのに、なぜ省いてしまったのか、という2点が挙げられます。それもよくわかるんですが、僕がひとつ擁護するなら、残るマイ・ニューヨークっていう言葉は僕は的を射ているような気もするんです。これは、ひとりの若い女性が、夢を持ちながら憧れの街で恋に仕事に奮闘するという意味では普遍的だし、あちこちの時代と場所に置き換え可能でしょうが、それが90年代半ばのニューヨークでないと描けない要素に満ちているんですね。

9232-2437 Quebec Inc – Parallel Films (Salinger) Dac (C) 2020 All rights reserved.
ジョアンナはニューヨークを旅行中に、街そのものに憧れたわけです。少なくとも彼女にとっては世界の文化の中心と言えるマンハッタンの佇まい。そして、若者が多く集まるようになり、夢を育むのに最適な刺激あふれるブルックリン。20代の彼女が、自分の人生を決定づける大事な時期を、ここで過ごしたいと思える空気と仲間がそこにあったわけです。ファラルドー監督は、だからこそ、限られた予算の多くを映画セットに費やしました。加えて、インターネットやパソコンが登場してはいたものの、ジョアンナが務める出版エージェンシーのように、紙媒体にこだわり、文書作成もタイプライターで行うことに固執することがまだぎりぎり可能だった90年代独特の時代感が物語にも大きな影響を与えていることも見逃せません。その意味で、この映画は確かに、「90年代ニューヨークにおけるジョアンナの大切な日々」なんですね。

9232-2437 Quebec Inc – Parallel Films (Salinger) Dac (C) 2020 All rights reserved.
でも、こう話すと、「それでも、サリンジャーが鍵になることは確かだろう?」と思われることでしょう。その通りです。彼と話す機会に恵まれたことが、彼女の人生を左右しますから。でも、興味深いことに、ジョアンナに与えられた仕事は、隠遁生活を送っていたサリンジャーにコンタクトを取ろうとするファンたちから、彼を守ること、つまり彼を世間から隠す助けをすることなんですね。具体的には、世界中から大量に届く、老若男女の読者からのファンレターに、「著者は手紙を読みません」といった紋切り型の返信を出すこと。ただし、中身には一応目を通すことを命じられます。作家を目指すために出版業界に進んだジョアンナにとって、クリエイティビティのまったく求められないこの業務は、かなりきついですよね。言わば仕事の洗礼ですが、そこでふてくされずに意義を見出したり工夫をこらしたりすることが肝要であるはず。彼女は図らずも、実践しました。この映画では、サリンジャーその人の姿は基本的に出てきませんが、手紙を書くたくさんの名もなき読者がカメラに向かって話をする演出がなされています。そんな読者の多様な想いのこもった文章の読者になることことが、現代作家に疎くて実は未読だったサリンジャー作品を読むことにも繋がったり、調子に乗って出過ぎた真似をしてしまったりする。そのひとつひとつの経験が彼女のその後の血肉になります。サリンジャーを世間から隠すことが、彼女の人生と才能と可能性を顕にさせるという意味で、監督もインタビューで語っていることですが、これはサリンジャーではなく、ジョアンナの物語なんです。なので、総合すると、僕はこの邦題『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』も、芯を食っているなと感じます。

9232-2437 Quebec Inc – Parallel Films (Salinger) Dac (C) 2020 All rights reserved.
マーガレット・クアリーは、迷いながらもがきながらも着実に自己形成していくジョアンナをハツラツと演じていました。90年代のニューヨークでないと成立しない映画なんだと言ったことと矛盾するようですが、現代女性が自前の人生を切り開いていく「仕事もの」として普遍的でもあります。夢と仕事、あるいは、恋愛や友情と仕事の関係についても、今の日本にもストレートに反映されるようなエッセンスがそこかしこに散りばめられています。シガニー・ウィーバーが強さの中にふとジョアンナにだけ見せた実は脆く繊細な表情にも感じ入ってしまいます。ファラルドー監督の確かな映像さばきを味わえる、すがすがしい1本です。
サントラから、ピックアップしたのは、アメリカのシンガーソングライター、ケイティー・ヘルツィヒのBeat of Your Own。歌いだしで、あなたはどこへ行くの? 何になりたいの?と聞こえるあたり、フィットしているなと思いました。彼女がしだいに自前の人生のビートを刻んでいけるようになる成長物語でしたしね。

さ〜て、次回、2022年5月24日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』となりました。当たった瞬間に、ついつい「面倒なのがきた」って口走ってしまいましたが、それは評するのが大変そうということであって、ワクワクはしているんです。僕としては久しぶりという感のあるマーベル。くらいついていこう。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『パリ13区』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月10日放送分
『パリ13区』短評のDJ'sカット版です。

パリを構成する20の行政区のひとつ、セーヌ川の南、13区。高層住宅団地レゾランピアードや、パリ最大の中華街、そしてソルボンヌ大学などが位置するこのエリアを舞台にした、男1人、女3人、男女4人の恋模様を描いた作品です。高学歴ながら、コールセンターでオペレーターとして働く台湾系のエミリー。そのエミリーとルームシェアすることになった男、アフリカ系フランス人で高校教師のカミーユボルドーからあこがれのパリにやって来て大学に復学するノラ。元ポルノスターで、今はウェブカメラを使ったセックスワーカーとして生きるアンバー・スウィート。彼女たちが、パリ13区で交錯します。

預言者(字幕版) ディーパンの闘い(字幕版)

 監督・脚本は、『預言者』や『ディーパンの闘い』でカンヌ国際映画祭をあっと言わせてきた巨匠のジャック・オディアール。共同脚本には、セリーヌ・シアマ、レア・ミシウスのふたりを迎えていたこの作品には、実は原作があって、それは日系アメリカ人エイドリアン・トミネのグラフィック・ノベル。3つほどの短編を下敷きとしています。

サマーブロンド

台湾系のエミリーを演じたのは、これがスクリーンデビューとなるルーシー・チャン。他に、ノエミ・メルラン、ロックバンドSavagesのボーカリスト、ジェニー・ベス、マキタ・サンバが出演しています。
 
僕は先週木曜日に、シネ・リーブル梅田で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

最近僕が観た中では、最も性描写の多い作品でした。R18なんで、そりゃそうかとも思ったんですが、ちょっと笑ってしまうくらい多いんです。今振り返れば、男も女も、酒を飲んでいるシーンはあるのに、食事のシーンはほとんど無いんです。ネット社会における人と人のつながり、結びつきについての考察であり、研究と言えるこの物語においては、意図的に食事シーンを性的なシーンにシンボリックに置き換えてあるという理解でいいんだろうと思います。台湾系フランス人女性のエミリーなんて、途中から働き始めた中華料理屋で気分が高まっちゃって、職場を抜け出してとある人物と事に及ぶくだりがありましたよね。あれなんかは、食事をする場所からベッドへの逃避というのがまさにこの映画そのものだって思いました。満足してレストランに戻ってきた時、羽が生えたようにふわふわと踊っているのが楽しそうで、あれなんかは、あっけらかんというレベルで性の喜びを彼女に体現させてみせた素敵な表現だったと思います。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 - France 2 Cinéma
こんなふうに、とにかく、性的な関わりを軸に4人の関係が終始ぐるぐる変化していった先にどうなるのかってことを描くわけです。そのスタンスは、オープニングからのカメラワークが教えてくれます。夜、パリ13区の団地です。ロングショットから、だんだんとエミリーと高校教師カミーユがいる部屋へと寄っていくってのは、古くからの劇映画の始まりとして定石ですが、街を俯瞰するように、カメラが宙に浮いていて、映画にその後何度か登場するムクドリの群れのように上下左右に滑らかに動いていく。フィックスではない。とどまらない。ステディではない。それこそ、この映画内の人と人との結びつきそのものでもありました。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 - France 2 Cinéma
こんなことを言うと、性的に奔放な男女の若気の至りを高みの見物ってことかと思われるかもしれませんが、ちと違うんです。年齢の設定がそれぞれ絶妙でして、アイデンティティを構築できずにふらふらしているエミリーは20代前半ですが、残りの3人はもう30代なんです。若いとは言えない。それなりに人生経験も積んでいるけれど、たとえば家庭であったり職場のシステムだったりにもやもやした不満やわだかまりがあって、それを打破しようともがいている状況です。だから、いわゆる青春物語というわけでもなく、そのぶん、4人それぞれの過去やバックグラウンドを示すことも重要ではあるんですが、群像劇でもあるからあまり深いところまで考察するわけでもなく、さわりだけを的確に描写する技術は相当レベルが高く、見ていて心地いいです。認知症の祖母、吃音があってコメディアンを目指す妹、できすぎの姉、親戚とのいびつな距離感などなど。こうした問題が4人それぞれにあるんだけど、フラッシュバックして見せるのではなく、引っ越してきた家の壁にカビが生えちゃってたからペンキで塗り込める様子や、畳めるはずなのにうまく畳めなくて苦労する車椅子といったアイテムで、ほのめかしたり暗示してすませるのがうまい。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 - France 2 Cinéma
ジャック・オディアール監督は、今回共同脚本に女性二人を招いていて、世代も彼よりずいぶん下です。それが功を奏している理由のひとつは、性的な場面の気まずさがなく、かといって奔放で開放的な性のあり方を推奨するわけでもなく、美しく見せていることです。この作品はポルノではないから、性的な興奮を煽るものでもないですからね。下品でないんです。しかも、それを陰影の美しいモノクロームで見せるのも良かったですね。色をつける作業は観客に委ねてしまうことで、画面から情報を削いで物語の核心に迫っていく効果も得られていました。
 
人と人との結びつきには、この作品でもいろいろありました。SNSでひとは繋がりたがっているけれど、たとえ肉体的に安易につながったとしても、心の空白が埋まらないケースはありました。同時に、カメラ越しのつながりに、安らぎを得るケースもありました。そして、そうした関係も絶えず変化して、過剰に思えた言葉や性行為がシンプルになった時に、ふと並々ならぬ充足感を得ていることもありました。ジェンダーや年齢や人種、言葉、リアルとオンラインなど、現代の多様な恋愛模様を見事に盛り合わせて見せてくれる、僕にとってはとても満ち足りた映画体験となりました。
曲はサントラからではなく、Sabrina Carpenterが自分の好きな街パリの魅力、そのロマンティックさを讃え、合間にフランス語も忍ばせた歌にしました。ずばり、Parisをお送りしました。


さ〜て、次回、2022年5月17日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』となりました。パリの次はニューヨーク。世代とキャリアの違う女性編集者が、J・D・サリンジャーを扱う出版社でどんなドラマを見せてくれるのか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月3日放送分

あの『ハリー・ポッター』シリーズの前日譚の既に3作目となります。魔法動物学者のニュート・スキャマンダーが主人公なんですが、今回は黒い魔法使いのグリンデルバルドが世界を支配しようと着々と動く中、それをなんとか阻止しようと、魔法学校時代の恩師ダンブルドアや魔法使いの仲間たち、そしてあの世界ではマグルと呼ばれる人間との寄せ集めデコボコ・チームを結成します。その中で、ダンブルドアとそのファミリーに隠された秘密が明らかになってもいきます。

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(字幕版) ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生(字幕版)

全5部作とされるこの前日譚シリーズの脚本は、原作者J・K・ローリング自らが書いています。監督は、ハリー・ポッター4作目の「不死鳥の騎士団」以来、ずっとこの魔法の世界を映像化し続けているデヴィッド・イェーツ。キャストは、ニュート役のエディ・レッドメインダンブルドアジュード・ロウが演じる他、基本的にはおなじみのキャストが揃っているんですが、大きな変更点として、黒い魔法使いグリンデルバルドがジョニー・デップからマッツ・ミケルセンへとバトンパスされました。
 
僕は先週木曜日に、TOHOシネマズ二条のIMAXで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

これまでの作品を復習すると言ったって、ファンタスティック・ビーストで2作あるし、今回は特にファンにとって嬉しい展開となるホグワーツ魔法学校のことやダンブルドアのことを知ろうとハリー・ポッターから見直すとなると8作あるわけです。しかも、どれも長い。大変です。それを5本目からずっと撮って映画人生を魔法ワールドに捧げているデヴィッド・イェーツにそんなこと言ったら、「クルーシオ!」とか言って魔法をかけられそうですが、この魔法世界の映画化も20年以上経っているので、ファン層の世代交代、ご新規さんの獲得も考えなきゃいけないし、熱心なファンへのサービスも入れていかないといけないという、それこそ魔法みたいな離れ業が、原作者にして脚本も手掛けるJ・K・ローリングには求められていて、僕はある程度それに成功していると思います。そこはさすがです。さらに、イェーツ監督の演出も手慣れたものという感じで、ファンタビの魅力になっている要素はきっちり押さえています。

(C) 2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved Wizarding World TM Publishing Rights (C) J.K. Rowling WIZARDING WORLD and all related characters and elements are trademarks of and (C) Warner Bros. Entertainment Inc.
1920年代のニューヨーク、ロンドン、パリ、オーストリアを舞台にしてきましたが、今回はそこにドイツやブータンまで加え、いよいよ007よろしく観光映画の歴史版といった様相を呈してきました。人間世界と魔法世界の行ったり来たりのややこしい部分には、人間代表、パン屋のジェイコブさんがいることで、いちいち今回も魔法に驚くリアクションを見せてくれるから、僕ら観客も「魔法を当たり前に思わずに楽しめる」んです。壁を通り抜けるような時にも、ジェイコブが「いや、これ、わかってんにゃけど、なんべんやっても慣れへんわあ」みたいな表情を見せるのが良いんです。コミカルでもあるし。さらには、魔法動物たちですね。正直、今回は影が薄めではあるものの、モグラやカモノハシみたいなニフラーとか、小枝のボウトラックルの見せ場も出てきますよ。途中、仲間を救出するとあるシーンでは、インディー・ジョーンズばりの冒険があって、そうだそうだ、ニュート・スキャマンダーは学者だったんだというリマインドも入れてありました。さらに、新キャラのキリン、鹿みたいなキリンが出てきて、物語の行方を左右します。どれもかわいいし、面白いし、魔法はもう既視感がムンムンだけれど、CGがますますレベルアップしているのでまだまだ飽きません。加えて、今回はダンブルドア先生と、その家族にまつわる謎も明らかになるってんですよ。なに、この要素の多さ…

(C) 2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved Wizarding World TM Publishing Rights (C) J.K. Rowling WIZARDING WORLD and all related characters and elements are trademarks of and (C) Warner Bros. Entertainment Inc.
もう満腹でしょう? 僕もホームページやら何やらで予習復習を軽くしましたけど、固有名詞の多さに大混乱。観に行くまでは、こりゃ置いてけぼりを食らって下手すりゃ寝るなと思ったものの、スルスル頭に入ってくるのに感心しました。それぐらい、よくできていると思います。謎もですね、ひとつやふたつではなく、3つ4つ、でかいのがあって、それをバランス良く物語の中に配置することで、だれないように展開するのはうまいです。それなりの眠気を引きずって劇場へ向かった僕ですが、冒頭のダンブルドアとグリンデルバルド、つまりは、ジュード・ロウマッツ・ミケルセンが喫茶店で向き合っていきなりあっさり明かされる謎には驚いてばっちり目を覚まされてしまいました。これ、ふたりにとっては驚きもなにもないからあっさりなんだけど、そのあっさり具合が逆に見事な演出になっていました。
 
ただですね、ここからは僕がぶつくさ言うところです。だいたいがお家騒動だよなっていうこと。さっき褒めたのと裏返しにはなりますが、話を整理することに腐心した結果、全体として落ち着いたトーンになっていて、今回は「ノープランこそがプランなんだ」とか言うわりには、段取り良くトントン拍子に物事が進んでいくのだなと思ってしまうこと。魔法世界の総選挙みたいなのがあって、ポリティカリー・コレクトを踏まえ、アジア系、ラテン系、男女と候補者のキャスティングまでしっかり考慮しているのに、肝心の選抜方法が、キリンってなんなん? ほな、演説意味ないよ、とか。そもそも魔法はCGでなんでもできちゃえるようになっていて、強くなればなるほど、本人たちの肉体的な動きが鈍くなって、役者たちは落ち着いた感じに見えるという問題点が浮き彫りになったようにも思います。ローリングさんには、言葉も魔法も場面転換もいいけれど、動きで見せる展開を次作以降は強化してほしいもんです。

(C) 2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved Wizarding World TM Publishing Rights (C) J.K. Rowling WIZARDING WORLD and all related characters and elements are trademarks of and (C) Warner Bros. Entertainment Inc.
などなど、ぶつくさはまだまだ言えるんですが、ジョニー・デップに代わる大役を見事やってのけたのは、マッツ・ミケルセンでした。奇抜な出で立ちと狂気じみたふるまいのデップではなく、見た目はほとんどそのままで、冷静と情熱のあいだを妖艶さが服を着て歩くようなグリンデルバルドに持っていけたのは、ミケルセンの魅力の賜物です。すばらしい! ということで、なんだかんだ言って、結局は次も観に行くことになると思います〜
今回は家族・一族の秘密、そこでないがしろになってしまったことや感情ってのがいくつか出てきましたが、同時に、前作からの流れを踏まえて、マグル、人間と魔法使いの恋の行方、新しい家族の形も模索されていて、そこで鍵となっていたこの甘いラブソングをオンエアしました。

さ〜て、次回、2022年5月10日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『パリ13区』となりました。この前扱った『ベルファスト』しかり、今回も当たらなかった『カモンカモン』しかり、モノクローム映像の作品がにわかに増えていますね。ジャック・オディアールのこの作品はどうしてモノクロなのかしら。パリを舞台にした恋愛群像劇、監督の意図に思いを巡らせながら劇場へ向かいます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ハッチングー孵化ー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月26日放送分
『ハッチングー孵化ー』短評のDJ'sカット版です。

フィンランドの郊外、針葉樹の森の中に広がる、ゆったりとした住宅地。12歳の少女ティンヤは、美しい母親と内向的な父親、そしてわんぱくな弟と一緒に素敵な一軒家に暮らしています。母親は一家の幸せっぷりをアピールする動画配信に血道を上げていて、ティンヤは母の求める完璧な娘の期待に答えようと、習っている体操の大会優勝を目指してトレーニングに励んでいます。ある夜、彼女は森の中で奇妙な卵を見つけて、家に持ち帰って温めることにしたのですが、その卵はなぜか次第に大きくなり、やがて孵化します。生まれてきた「それ」は、幸せな家庭の仮面をじわりじわりと剥ぎ取っていきます。
 
監督は、これが長編デビューとなる、女性のハンナ・べルイホルム。脚本は、これまでもホラーを得意としてきた若手のイリヤ・ラウチ。ティンヤを演じたのは、1200人もの応募があったオーディションで選ばれた、フィギュアスケートの選手でもあるシーリ・ソラリンナ。母親は、ソフィア・ヘイッキラが演じています。
 
僕は先週水曜日に、UPLINK京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

はじめに僕の評価を話しておくとするなら、粗やツッコミどころはあるものの、監督も脚本家もごく若手の有望な女性たちを僕は讃えたいです。描きたい内容も問題意識も、だいたいは申し分なく盛り込んだうえで、自分のビジョンを90分にまとめる手腕は、長くなるばかりの昨今の劇映画において、光るものがありました。
 
一見幸せそうに見える家庭が、一皮むけば実は… この手の話は古今東西枚挙にいとまがないです。誰だって、まず、家の中、家族を相手にした時の自分と、職場や学校での自分、そしてたとえば趣味の仲間のような友人とのつきあいにおける自分ってのが、多かれ少なかれ違うものですよ。自分でもままならないってのに、他人なんてますますままなりませんから、その他者との関係性、距離感や温度感の中で、アイデンティティが形成されていくんだと思いますが、その中で勘違いされがちなのが、家族です。家族の中でなら、本当の自分が出せる。あるいは、家族はある程度、ままなるはずだ。ましてや、自分の子どもなら、こちらの思い通りになるはずだ。そんな思い込みや、思い違いが、思わぬ悲劇を生むケースが多いように思います。そこに家父長制が絡んでさらにしんどくなっていた物語もありますが、本作の場合は女性が力を持っていて、なおかつ家庭内のすべてをコントロールするパターン。

来る

ここで鍵となるのが、母親のやっている動画配信、その名も「素敵な毎日」です。思い出すのは、やはりホラーテイストだった中島哲也監督の『来る』ですよ。あそこでは、妻夫木聡が自らのイクメンっぷりを盛りに盛って綴るブログが引き金になって悲劇のひとつが起きていました。こちらでは、母親が動画を撮影して、出演して、箱庭のような完璧な小宇宙を形成しているわけです。冒頭からその撮影シーンが出てきます。予告で流れるのがその場面になりますが、チリ一つないようなモデルハウスのような家で、彼女が文字通り監督・編集しているんだけど、それは実生活をそのままトレースもしているわけですね。彼女こそがあの家の監督であり編集者で、他の家族は意のままに操られる役者にすぎません。外面のためなら、都合の悪い部分は編集でカットするし、思い通りにならない部分があれば、何度だってやり直させる。それは、体操教室での娘へのコーチ以上に厳しい接し方にも表れていました。

[c]2021 Silva Mysterium, Hobab, Film i Väst
興味深いのは、そんな環境にあって、父親はなんの役にも立っていません。一定の収入があり、美人の妻と一緒になり、子供に恵まれたことで、彼はもう満足している様子で、妻とは反対に、おそらくは子どもにどうあってほしいということもなく、自分の趣味がある程度充実すれば、あとはもう面倒は避けたい事なかれ主義。極端に言えば、自分中心の無関心です。妻も同じように自分中心ですが、ベクトルは反対で、過干渉。すべて自分通りにしたい。
 
そこで、ティンヤが持ってきた卵が何を意味するかということですが、タイトルの孵化というのは、とてもシンボリックですね。これはそのまま、その卵から何かが出てくるということでもありますが、思春期に入っていく直前で、まだ母親に依存せざるを得ず、抑圧された自分をだんだんと認識して、彼女が内側に溜め込んでしまったやり場のない憎悪や不安がその殻を破ることでもあるわけです。

[c]2021 Silva Mysterium, Hobab, Film i Väst
この手の話だと、ある程度、本当に幸せそうな家族像を見せてから、それが崩れるっていう描写の段階が多いと思うんですが、この作品は卵にたどり着くまで、ものの数分です。それで興味の持続ができるのか。大丈夫なんです。なぜなら、孵化した「それ」が変容するからです。そこでさらなるサスペンスやスリルや恐怖が育まれていく。ホラーなのに、暗い場面は少なく、表面上は明るく、美しいのもいいです。ゴア描写も程よく的確に配置されていて、「母殺し」の構造はわかりやすく、おとぎ話としてUPDATEされたモチーフになっていて、なおかつ怖くて、幕切れは鮮やかでいて解釈も楽しめる。僕たちも自由でいるつもりでも、籠の中の鳥という側面があるはずです。目を覆いたくなるけれど、見て良かった、そんなフィンランド製ホラーの秀作の登場です。
曲は、サントラからではなく、僕のイメージ選曲でLinkin ParkのNumbにしました。これは親をモチーフにしていて、「自分の人生、こうあってほしかったというような人生」を子供に生きさせようとすることで感じる、子供の側のプレッシャーが描かれています。親の靴を履いて歩かされているようだって歌詞が痛々しいですよ。そこから自立していく歌でもありますが。

さ〜て、次回、2022年5月3日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』となりました。考えたら、これもでっかい鳥が出てくるやつですね。って、それはいいんですが、これだけの壮大なシリーズ3作目ともなると、復習が必要だよなぁ。迷子にならない程度に振り返ってから劇場に出向きます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ベルファスト』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月19日放送分
『ベルファスト』短評のDJ'sカット版です。

北アイルランドの街、ベルファスト。9歳の少年バディは、家族や親戚、友だちと和気あいあいとしたコミュニティで楽しくやっていました。ところが、1969年8月15日のことです。プロテスタントの過激派集団がカトリック系住民への武力攻撃を始め、バディを取り巻く世界は一変します。カトリック住民の多いバディたちの住むエリアは特に分断され、平穏ではなくなってしまいました。このままベルファストに残るべきか、故郷を離れるべきか、家族は決断を迫られます。
 
共同製作、脚本、監督を務めたのは、ケネス・ブラナー。彼の経験もふんだんに織り込まれた脚本は、見事にオスカーを獲得しました。バディのお母さんを演じたのは、ダブリン出身の女優カトリーナ・バルフ。お父さんは、ベルファスト出身のジェイミー・ドーナン。印象的なおじいさんも、ベルファスト生まれのキアラン・ハインズが演じた他、ジュディ・デンチもおばあちゃん役で出演しています。
 
本当は前週に評する予定だったこの作品。僕が新型コロナウィルス陽性で自宅療養となってオコモリーノだったため、一週持ち越して、外出できるようになった一昨日の日曜日に、京都シネマでようやく鑑賞しました。もう上映回数が各劇場かなり少なくなっていますが、一昨日の昼間はかなり入っていました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

98年の和平合意からだいぶ時間も経っているので、遠く離れた日本では記憶がおぼろげになっている方がいても不思議ではない北アイルランド紛争。イギリスってのは、大英帝国からの流れもあって、あちこちで植民地を持っていましたから、この作品にも移住先の候補として地名やパンフレットが登場したオーストラリアやカナダも含めて、コモンウェルス、英連邦王国として今も名を連ねる国があり、領土問題も歴史上あちこちでありました。今年で40年が経つフォークランド紛争もありましたしね。そして、北アイルランドにおいては、そこに宗教の問題も加わるからややこしい。これは16世紀の宗教改革以来のことをひきずっていますから、プロテスタントカトリックの対立は根深く、1969年から足かけ30年の間に、3600人ほどの死者を出したと言われるのが、北アイルランド紛争。その勃発の頃に小学生だったケネス・ブラナーが、右往左往した子ども時代をこうして回想することになったきっかけは、コロナ禍だったようです。「これからどうなるかわからない状況と不安を受け入れなければならない」感じが、当時のベルファストでの不安を思い出すきっかけになったとインタビューで語っています。

(C)2021 Focus Features, LLC.
僕はこの言葉で「なるほどな」と思いました。というのも、さっき僕が話したような紛争の背景や解決の難しさ、厳しさが実はそこまで描かれないからです。だからこそ、最低限の知識は持ち合わせておかないと、この人達は何をどうして争っているのかピンとこない可能性があるので、一応さっき触れたんです。むしろ、この作品は、僕が思った以上に自伝的で、ケネス・ブラナーのプライベートな思い出から出発した物語なんですね。基本モノクロで撮影されていることの理由も、「当時のベルファストは白黒の世界に見えたから」って彼は語ってます。それは、誰にとってって、もちろんケネス・ブラナーにとってです。平和を取り戻した今のベルファストとは違うものだったということを、ひとつの物語としてまとめておきたかった。それがねらいでしょう。

(C)2021 Focus Features, LLC.
劇中、何度か爆発や暴動は起こるんですが、それ以外には、きな臭いムードこそあれ、大人の僕らが観れば、牧歌的なところもあるんですね。大人とは違って、無邪気でいられる部分がある。だって、学校はある。そこで淡い恋もする。いたずらもする。おじいちゃんに宿題を手伝ってもらう。ただ、時々、怖いこともあるし、建設関係の仕事に従事するお父さんはロンドンへしょっちゅう出稼ぎに行っていて、どうやらベルファストの失業率は上がっているらしい。お父さんはいっそ新天地を求めて街を出ようと言うものの、お母さんにはそれは耐え難く、ふたりはよく喧嘩をしている。喧嘩はしているけれど、愛し合ってもいる。みんなで観に行った映画、たとえば『チキ・チキ・バン・バン』はカラーで引用されるのは、バディ少年=ケネス・ブラナー少年にとって、「シネマはカラフルな想像の世界への逃避だった」からです。

(C)2021 Focus Features, LLC.
オスカーでは脚本賞を得ました。確かに、特にセリフ回しはさすがのうまさ。算数の宿題みたいに「答えがひとつなら、紛争など起きんよ」みたいな、ユーモアをいつだって忘れないおじいさんの言葉は特に印象的でした。でも、どちらかと言えば、総合的に質の高い映画です。キャストたちの掛け合い、なめらかな質感のある美しいモノクローム映像、吉原若菜さんのヘアメイク、ヴァン・モリソンの音楽などなどの要素がくんずほぐれつ、それこそバディ一家のように一体となったからこそ、ケネス・ブラナーの代表作のひとつと言える良作になっていると言えます。

(C)2021 Focus Features, LLC.
互いにリスペクトをもってやさしく接することの大切さをお父さんがバディに説く場面がありました。それは、この時代にますます意味を持つことだし、時代は変わっても、どこであっても変わらない、前を向いて希望を棄てず、ユーモアと笑顔を糧に生きていくことの強さを描いています。その普遍性を獲得できたからこそ、この極めて私的な物語が、遠く離れた僕たちの心をも打つわけです。
 
重い荷物は分け合って、一緒に日向を選んで辿って歩んでいこうじゃないかというこの歌は、映画にぴったりでした。サントラからお送りしました。


さ〜て、次回、2022年4月26日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ハッチング 孵化』となりました。予告を観ている時点で、「これはオシャレ怖いやつだよ!」と思って、おののいていたんです。当たってしまいました。なむさん! 「はたから見れば幸せそのもののファミリーが実は…」なパターンの物語は好きではあるんですが、これは怖そうだ… 自分の殻を破るつもりで、劇場へ出向きます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ナイトメア・アリー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月5日放送分
『ナイトメア・アリー』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20220404220047j:plain

1946年に出版され、当時映画化もされたグレシャムの小説『ナイトメア・アリー 悪夢小路』の新たな映画化です。1939年、流れ者のスタンが迷い込んだのは怪しげなパフォーマンスも多い移動遊園地・サーカスの一座。そこで心を読む読心術を手伝った彼は、もっと大成したいと、一座のかわいい女性モリーと駆け落ちをするように大都会へと飛び出して2年。上流階級のパーティーでショーを担当していたふたりは、エレガントな身なりをした心理学博士リリス・リッターにトリックを見破られるのですが、それはさらなる波乱の幕開けでした。

ナイトメア・アリー (ハヤカワ・ミステリ文庫) ナイトメア・アリー 悪夢小路 (海外文庫)

 共同製作、共同脚本、監督は『シェイプ・オブ・ウォーター』のギレルモ・デル・トロ。スタン役は、共同製作でも参加したブラッドリー・クーパー。そのスタンの運命を後半大きく左右することになる心理学博士リッターをケイト・ブランシェットが演じている他、トニ・コレットウィレム・デフォールーニー・マーラなどが出演しています。

 
僕は先週火曜日に、梅田ブルク7で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

怪獣大好き、ギレルモ・デル・トロが、怪獣そのものではなく、人間の心の醜さと欲望、その因果応報を150分の地獄めぐりとして描いたのが今作です。社会からみれば異形のものを繰り返し描き、そこにやさしい眼差しを向けてもきたデル・トロが、今回は異形の獣ではなく、異形の人を見つめます。前半の舞台となる移動遊園地は、乗り物もあるけれど、実に際どい、見世物小屋もたくさんあって、なかなかに強烈です。檻の中のギーク=獣人が出てきたり、ホルマリン漬けにされた胎児がいたりと、主人公のスタン同様、僕たち観客もおっかなびっくり見物するわけですね。ポイントは、彼は声が出せないのかと思いこんでしまうほどに、しばらく無言なんです。オープニングから暗示されるように、彼はなんらかの理由で家に火を放ち、過去を焼き払ってここにたどり着いたらしいんですよね。この時点で明かされていませんが、驚きながら恐れながらも、ある種の居心地の良さも感じているような様子が、その表情とキビキビした働きぶりからうかがえます。要するに、ああした見世物、芸人の世界というのは、過去は問わないからです。

f:id:djmasao:20220405090241j:plain

(C)2021 20th Century Studios. All rights reserved.
僕たちは、スタンが何者かよくわからないまま、その登場からエンディングにいたるまで、彼が夢見る成功への道のりを歩む様子を追いかけるわけですが、面白いのは、その夢への道のりが、タイトル通り、悪夢への道のりに様変わりしていくことです。いや、実は振り返ってみれば、端から悪夢だったのかもしれない。
 
お話の構成としては、一応ざっくり前半と後半に分けられます。移動遊園地でのいわば修行時代と、キュートなモリーを射止めてやってやんぜと大都会に繰り出してからの晴れ舞台。ただ、スタンに関わる3人の女性を軸に物語を分けることもできるでしょう。読心術のトリックを手ほどきするタロット占いが得意なジーナ。この作品における良心のモリー。そして、スタンの欲望を焚きつけるリリス・リッター。彼女たちはそれぞれキャラクターが違いますが、それぞれにスタンの人生の案内人=ガイドとして機能して、物語の進路を決定づけます。どこへのガイドなのか。それは冒頭に言った通り、地獄めぐりです。それぞれタイプの違う女性とそれぞれに違う関わり方をしますが、そのいずれでもスタンは地獄へと導かれるんです。おそらく彼は、自分で自分の未来を切り開いているつもりだろうけれど、それは思い上がりであり、成り上がった末に調子に乗って、自分がすべてを意のままにコントロールできるようになると信じてしまうと人はどうなるのか、そこに金銭欲と支配欲とアルコールが関与したらどうなるのか、いずれも依存しやすい悪夢にスタンは足を引っ張られていきます。

f:id:djmasao:20220405092229j:plain

(C)2021 20th Century Studios. All rights reserved.
って、考えたら、ブラッドリー・クーパーは酒の誘惑に抗いきれない役が多いこと。『ハングオーバー』しかり、『アリー/スター誕生』しかり。そして、自分自身しかり。もちろん、実生活ではセラピーを受けて、他の俳優を助ける活動もしていますが、とにかくクーパーの演技、特にリアクションの多彩さはすごかったです。なんとかなるさと笑い、動じていないぞとはりぼての余裕を見せる笑い、そしてこりゃ降参だという笑い。僕はその笑いの表現に特に感心しました。そこに、彼の内なる獣が、今作の主題である異形の人っぷりが表面化していたように思うからです。

f:id:djmasao:20220405092249j:plain

(C)2021 20th Century Studios. All rights reserved.
ギレルモ・デル・トロは、その仲間たちと、すごいセットを組み、見世物小屋から、アールデコスタイルの心理学者の部屋から、あの雪降る迷路のような庭園まで、そして雨のそぼ降るノワールな画面の作り込み、劇的な照明、ファンタジックホラーな苦い味わい、グロテスクで悪趣味な描写もサラリと挟みながら、緊迫と恐怖と誘惑と美しさに満ちた強烈な磁場をスクリーンに出現させています。そのうえで、この映画は、二幕構成でいて、3人の女性に導かれる三角形であり、最終的には円環構造を成しているのかもしれないと、ラストにまた強烈な余韻を与えます。デル・トロ節はやはり炸裂。映画の醍醐味びっしりです。どうぞご覧ください。
映画には、当時の流行歌や音楽が配置されていますが、おなじみのもの、これなんかは耳にキャッチーに響きます。ところで、余談ですが、僕は内田吐夢監督の幻の劇場デビュー作と言われる『虚栄は地獄』という作品を思い出していました。1924年の、たった15分のコミカルな短編ですが、かつて観た時に、これにもしっかり教訓をいただいたもんです。

さ〜て、次回、2022年4月12日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ベルファスト』となりました。祝、ケネス・ブラナーアカデミー賞脚本賞! 半自伝的作品で思い入れもすごかろうし、ウクライナ情勢を思えば、今しっかり観ておきたい作品とも言えますね。モノクローム表現の意図など、僕は既に気になるところがいろいろ。鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月29日放送分
『パワー・オブ・ザ・ドッグ』短評のDJ'sカット版です。

ベースとしては西部劇。1920年代のアメリカ、北西部、内陸にあるモンタナ州です。大きな牧場を受け継いだフィルとジョージの兄弟は、まるで異なるキャラクターの持ち主。フィルは典型的なカウボーイで、威厳はあるが高圧的なこともしばしば。ジョージはおとなしく紳士的で、フィルに何を言われても怒りません。そのジョージが未亡人のローズと結婚することになったのですが、フィルはそれも気に入らず、そこへローズの線が細くて学のある息子ピーターも絡んでくることで、人間関係は徐々に変化していきます。

パワー・オブ・ザ・ドッグ (角川文庫) ピアノ・レッスン (字幕版)

 原作は、トーマス・サヴェージが1967年に発表した同じタイトルの小説で、今回の映画化に伴い、初めて角川文庫から邦訳が出ました。共同製作、監督、脚本は、『ピアノ・レッスン』でカンヌ国際映画祭、女性として初のパルムドールを受賞したジェーン・カンピオンです。フィルを演じたのはベネディクト・カンバーバッチ。ジョージをジェシー・プレモンス、ローズをキルステン・ダンスト、そしてピーターをコディ・スミット=マクフィーが演じました。

 
去年のヴェネツィアでは最優秀監督賞にあたる銀獅子を獲得し、昨日発表されたアカデミー賞では、作品、監督、主演男優、助演男優、助演女優、脚色など、なんと最多の12ノミネートを果たし、監督賞をジェーン・カンピオンが受賞することになりました。
 
僕は先週水曜日に、自宅のテレビ、Netflixで鑑賞してました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

昨日の監督賞も納得という見事な演出だったと先にお伝えしておきます。まず前提として、ガチガチの西部劇な物語にジェンダーという現代的なテーマを見出して、今映画にしようとしたジェーン・カンピオンの脚色、台本があっぱれです。加えて、スクリーンいっぱいに広がる、美しく畏怖の念を抱かされる自然描写のすごさ。レディオヘッドのギタリストであるジョニー・グリーンウッドのメロディーよりもリフのような繰り返しで雰囲気を醸す音楽。そして、実に4人もがアカデミー賞にノミネートした俳優陣のキャスティングと期待に応えた演技。これらすべてがあいまって、映画的な魅力がムンムンに満ちた風格のある1本になっています。娯楽映画として最大公約数を狙うことをますます義務付けられている印象の拭えないハリウッド大作とは違い、ある種嫌われることを厭わない踏み込んだ表現が許容されるNetflix映画との相性も良かったのかもしれません。
 
具体的に触れていきましょう。カンバーバッチ演じる主人公のフィルは、「男性らしさ」を尊ぶ典型的なマチズモの体現者として登場します。カウボーイそのものという出で立ちと、威勢のいいリーダーとしての振る舞い、そして女性や彼が軟弱とする男性をかなり荒っぽい言葉でコケにする人物で、牧場経営者の息子としての権力と、伝説のカウボーイの自分こそ正統な後継者であるという人脈を笠に着ています。そして、風呂嫌いです。笑っちゃうくらい、風呂嫌いです。

[c] Netflix / Courtesy Everett Collection
対する弟のジョージは、そんなフィルにからかわれた未亡人のローズとその息子ピーターに慈愛の精神で接するばかりか、なんとまぁ、あっさり自分の家族にしてしまいます。え? そこまで?ってくらいにびっくりな展開でしたけど、ジョージがローズを文字通り包み込むようにして愛を育む様子はこの映画の数少ない心安らぐシーンでした。
 
そんな対称的な兄弟のせめぎ合いで話が進んでいくのかと思いきや、実はそうじゃないというか、思っていた流れを逸脱していくのがユニークなところです。ここで時代を思い出しておきたいんですが、1920年代なんですよね。つまり、もう西部開拓時代ではありません。フロンティアはなく、野心と拡大の歴史の縁(へり)を彼らは生きています。かつての希望も夢も消えかかった状態なんですね。だからこそ、もうこの世にはいない偉大なる先輩の名前ばかり出しては偉そうに振る舞うフィルの言動には痛々しさがあります。と同時に、途中で明らかになる彼のマチズモの裏にある性質を僕たちが垣間見てからは、フィルが抱えてきた絶対的孤独も浮かび上がるんですね。なぜ彼は男性らしさにそこまで固執するのか、明らかになるのが、風呂嫌いの彼が人知れず水浴びをするタイミングだというのも示唆的でうまいです。

[c] Netflix / Courtesy Everett Collection
一方、カウボーイらしからぬジョージは、おそらく将来のことを考えて政治家に取り入ったりなんだりと奔走するのだけれど、結果として妻のローズをあの荒野に置いてきぼりにする時間が増え、彼女はやはり孤独から抜け出せません。やさしいのは良いんだけど、ローズの寄る辺なさの本質を捉えきれておらず、彼女を守りきれていないことに気づけない、あるいは気づいてもなすすべもないというジョージの限界が見て取れます。
 
ここで、ここまで名前をあまり出していなかったローズの息子、ピーターが映画冒頭、1人称のナレーションとして発した言葉が意味を持ってきます。要約すれば、父親が亡くなって、母を守るのは自分であると。ただね、守るって言ったって、意志は強そうだけど、ひょろひょろしていて、髪型もおよそ西部的ではなく、折り紙とデッサンを愛し、医学を志しているんです。まぁ、守るったってせいぜい寄り添うというぐらいなんだろうなと思っていたら、母親を突き放すような場面もあったり… どうも、ちぐはぐな人間関係がぐるぐる巡っているんですが、実はそれはフィルがずっと編んでいる革製のロープのように、計算されたものでもあってと気づいた時には、もうこの映画の魅力にしっかりとロープでくくりつけられてしまいます。

[c] Netflix / Courtesy Everett Collection
滅びゆく西部の世界にこびりついて終始離れない死の気配。どんな時代と場所であっても、ひとつの価値観によって押し付けられていたとしても、その実、存在する人間の多様性、特にこの映画では性的な面にスポットがあたります。残虐な場面やセクシャルな場面などほとんどないのに、濃厚に画面を覆う性と死、エロスとタナトス。そして、耽美的なほどの美しさがスクリーンから観客を支配します。
 
パワー・オブ・ザ・ドッグという言葉は、劇中に出てきますが、旧約聖書の引用で「剣と犬の力から、私の魂を解放したまえ」という意味。武力・暴力や、邪悪な人間の差別構造から、解き放ってほしいという願いを指していると思われます。その願いは果たされるのか、また果たされるとすればいかにして。それがこの映画の突きつけるテーマであり、虚しさであり、怖さなんですね。目が離せない最後の最後に、僕は恐怖と切なさを覚えました。心動かされるとともに、いつの時代も僕たちに絡みつく負のロープを解くことの難しさを感じたからです。そのキツさを受け入れがたい人もいるでしょうが、ミステリー、サイコ・スリラーとしてもゾクゾク楽しめる娯楽作にもなっています。ジェーン・カンピオン、久々の長編映画にして、堂々たる怪作をものにしました。
 
 
映画全体の不穏なムードを醸すのに大きな役割を果たしたJonny Greenwoodのサウンドトラックから、25 Yearsをオンエアしました。
 

さ〜て、次回、2022年4月5日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ナイトメア・アリー』となりました。ブラッドリー・クーパーがかっこいいし、予告編を観ていてもすごい画面の連続でワクワクする、ギレルモ・デル・トロ監督作品。オスカーは逃しましたが、どう考えたって見ごたえあるでしょう。鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!