京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月2日放送分

1960年代のアメリカ、シカゴ。2人目の子どもを妊娠したジョイ。喜んでいたものの、妊娠によって心臓の病気が発覚します。やむなく中絶を考えますが、実は当時は法律的に認められておらず、病院では拒否されてしまいます。そこでジョイは、夫や娘には内緒にしたまま非正規なルートを探し、違法ながら安全な手術を提供する女性主導の活動団体「ジェーン」を頼ることになります。
 
監督は、これが長編デビューとなるフィリス・ナジー。ジョイを演じたのは、『ピッチ・パーフェクト2』や『チャーリーズ・エンジェル』では出演だけでなく監督や製作も手がけるエリザベス・バンクスです。また、活動団体ジェーンのリーダー、バージニアに扮するのは、シガニー・ウィーバー
 
僕は先週水曜日の夕方にMOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

舞台は60年代ですから60年ほど前の、昔の社会問題を扱った地味な映画という印象を下手すると持ってしまうかもしれませんが、娯楽としても丁寧に作ってあるし、細部までじっくり味わえる優れた作品として、実は今のアメリカを考える上でも大事な1本だと思っています。
 
まず本丸の妊娠中絶の是非についてですが、いろんな事情で女性が苦労をしたり辛い思いをするってだけじゃなくて、これはそもそも法的に中絶が禁止されている状況の話なんですよね。僕はその点で、主人公ジョイの設定にまず大きな意味があるとみています。夫は弁護士で夫婦関係は円満。そして、既にティーンネイジャーの娘がいて、経済的に不自由もない郊外の中流階級のマダムなんですよ。有閑マダムと言いたくなる、あえてこの言葉を使えば「普通の主婦」ですね。浮気してできた子どもでもなければ、初めての子どもでもなく、特に当時であれば高齢出産の部類に入るうえ、妊娠が原因の病気の症状が出ていて、このまま出産まで向かえば、母体、つまりジョイが生きられる確率は50%だと序盤で医師が診察するわけです。子どもは生きられるかもしれないが、下手すると、という枕詞を使えないレベルでジョイは死んでしまうかもしれません。となると、医学的にも倫理的にも妊娠中絶が妥当だと考えるのが今の価値観だと思うのですが、当時のアメリカはそうではないんですよ。医学的に決して難しい手術でもなんでもないのに、中絶をするかどうかを決めるのは当事者、この場合はジョイではなく、病院の医師たちの会議なんです。集まったのは、当然のように全員男性で、タバコをスパスパ吸いながら、ほとんど議論の余地なく、同席したジョイや夫を蚊帳の外に置きながら中絶の可能性を握りつぶしてしまいます。中には中絶した方がこのケースは良いだろうという医師もいるんだけれど、言い出せない雰囲気がそこにはある。地獄絵図ですよ。仕方がないので、ジョイは自分の命を守るために、非合法の女性支援団体ジェーンに連絡を取るんですが、ここでジョイは夫や娘に相談をせず、ひとりで行動します。これも大きなポイントで、この映画は、おそらくは箱入り娘として育てられて専業主婦になった中年女性ジョイの覚醒と自立と社会参加をテーマにした物語なんです。冒頭でヴェトナム戦争反対デモに驚く描写があるのはそのためでしょう。そして、その意味で、妊娠中絶というのは、これは実話に基づいているとはいえ、シンボリックなモチーフのひとつなんですね。

©2022 Vintage Park, Inc. All rights reserved.
加えて、これが悲しいことに、映画が製作された2020年代前半において、アメリカでまたアクチュアルな問題になってしまっているのが、このモチーフを選んだ動機でしょう。1973年、アメリカでは、ロー対ウェイド判決というものがあって、中絶が合法化されたんですが、それから49年の時を経て、一昨年、人工妊娠中絶を禁止することが州によって可能になってしまい、去年秋の時点で14の州で実際にほぼ全面的に禁止されています。先程、Olivia Rodrigoの曲をかけましたが、彼女はこの流れに憤っていて、自分のコンサートでコンドームやアフターピルを配布するということもやって話題になりました。同じように反旗を翻しているミュージシャンは男性にもいて、フー・ファイターズやベック、ジョン・レジェンドも署名運動に参加をしています。アメリカで大きな議論になっているんですね。

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そんなデリケートかつ僕に言わせれば深刻な議論の発端にあたる60年ほど前の話を映画にするにあたり、監督たちはいかにも深刻に描くのではなく、美術もファッションも16ミリフィルムによる撮影も軽めのサスペンスを織り込んだ脚本も、とてもとっつきやすい上に、細部までこだわりがあるので、見やすいしメッセージははっきり伝わるし、当時の状況を美化なんてすることなくきっちり今に接続するものとして描いているんです。だからこそ、「普通の主婦」だったジョイがいかにして世の中の複雑さと多様さを知ってアッと驚くような行動を取るほどに自発的で知的でやさしい魅力的な女性へと変貌していくのかを僕たちは「楽しむ」ことができる。そして、考えるように促されます。ジェンダーエスニシティや経済状況に関わりなく、人間が自分の身体のことすら決める自由の余地がないなんて、なにが自由の国なんだと。僕はそう思います。あなたもどうぞご覧になってみてください。

劇中では印象的な曲がいくつかかかってその使い方もなかなかうまいんですが、ここでは希望を感じるこの曲をオンエアしました。

さ〜て、次回2024年4月9日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『オッペンハイマー』。きたきたきた! クリストファー・ノーランアカデミー賞を席捲した超のつく話題作があたりましたよ。例によって時系列を目まぐるしく入れ替えているという噂ですが、ノーランのトレードマークとも言うべきその手法が今作でどう活かされているのか、映画ファンとしてきっちり見てきます。3時間あるから、映画館に着いたらまずトイレだな。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!