京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『オッペンハイマー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月9日放送分
映画『オッペンハイマー』短評のDJ'sカット版です。

天才物理学者J・ロバート・オッペンハイマーの伝記映画。第2次世界大戦下のアメリカが進めたマンハッタン計画を指揮し、世界で初めて原子爆弾を開発した彼の意欲と苦悩、栄光と没落を描きます。
 
監督・脚本・製作はクリストファー・ノーラン。これまでも『インターステラー』などでタッグを組んできたカメラマンのホイテ・ヴァン・ホイテマが撮影監督、そして『ブラックパンサー』でアカデミー賞作曲賞を得たルドウィグ・ゴランソンが音楽を手掛けました。オッペンハイマーに扮したのは、ノーランが信頼を寄せるキリアン・マーフィ。妻のキティをエミリー・ブラント原子力委員会議長のストロースをロバート・ダウニー・Jrが演じたほか、マット・デイモンラミ・マレック、フローレンス・ピュー、ケネス・ブラナーなども出演しています。
 
そして、今年の第96回アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞編集賞、撮影賞、作曲賞と7部門を総なめしましたね。
 
僕は先週金曜日の夕方にTOHOシネマズ二条のIMAXで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

僕は決して信者ではないけれど、クリストファー・ノーランがすごいってことは、そりゃわかってはいたつもりですよ。これまでラジオで評してきたものも、どこがどうすごいのか語ってきました。ただ、これはもうちょっとまた異次元という伝記映画でした。3時間、身動きもはばかられるほどの緊張感をキープするっていうのは並大抵のことではありません。『ダンケルク』のような戦闘シーンがあるわけでも、『ダークナイト』のようにスーパーヒーローが出るわけでも、『メメント』のようなお得意の強烈な時間軸操作があるわけでもない。ましてや、物理学という素人には極めてわかりづらい分野の科学者の半生を通してアメリカという国のシステムをあらわにしながら痛いところをつくというチャレンジングな企画で、これほど観客の興味を持続させられる映画監督としての能力にはシャッポを脱がざるを得ません。

© Universal Pictures. All Rights Reserved.
オッペンハイマーがまだ駆け出しの頃、ヨーロッパでの学生時代のエピソードで印象に残っている場面がありました。彼は実験が苦手で、よく失敗しているんですよね。机の上よりも、現実と向き合うよりも、どちらかと言えば、理論で頭に浮かんでくるロジックや計算を通して物理に向き合うのが性に合っているというシーンで、先生から音楽のたとえを持ち出されます。「数式は楽譜であって、読めるのは当たり前。問題はその音が聞こえてくる」かという内容の台詞があるんです。オッペンハイマーはそこでハッとするわけだけれど、彼は紙からメロディーが聞こえてくる人だし、数式からその物理現象、あるいは物理学的可能性が見えるし聞こえる人になっていく。天才というのは、そういうことで、それはしんどいことでもあるってのが、轟音を伴うアートに近い映像となって合間合間にフラッシュバックのようにして、あるいは先のことが提示されるフラッシュ・フォワードのショットとして挟み込まれるんです。そうやって、僕たち観客も天才の頭脳を曲がりなりにも体験するわけですから、そりゃ緊張は持続するし、ノーランはそれこそ映画というメディアにできることだとロジカルに分析して表現しているのがものすごいです。IMAX65ミリとそれ対応のフィルムカメラで撮影された最高解像度の映像は、今作のためにモノクロフィルムが開発されました。これもすごいことです。自分の表現のために技術を革新するというのは、並大抵のことではないですから。これはスタンリー・キューブリックが1968年に『2001年宇宙の旅』で成し遂げたことに匹敵するでしょう。その意味で、IMAXのシアターで見るのがベストではあるものの、映像のスケールもさることながら、今作については音がとても大事なので、これからご覧になる方は、音に力を入れたドルビー・シアターも選択肢として大いにありだと思います。あそこは黒がパキッと出るので、モノクロとカラーの同居とその意味について考えるにあたり有効でしょうね。

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その他、ノーラン監督の手腕として言及しておきたいのは、作劇の巧みさです。1920年代、学生の頃の話。30年代、アメリカ国内の共産主義者たちとの接近。42年、マンハッタン計画の打診。すなわち、軍部との接近。ニューメキシコ州ロスアラモス研究所の建設とそこでの政治家的な動き。45年、トリニティ実験。原爆投下。英雄視されながらの強烈な後悔と恐怖と孤独。水爆開発への反対。赤狩りの標的。そして、関わりを持った女性たち。こうしたとてつもない量の情報を整理していく中で、お得意の時間軸の編集の妙もある程度発揮されていますが、今回は色のあるなし、そして意外にもシンプルに伏線の貼り方に感心しました。劇中に登場する世界最高峰の物理学者たちの中でもトップクラスに有名で知らない人はいないアインシュタインとの短い会話。最初に出てくる時にはその内容は観客には明かされないんだけれど、それがやがて…というような、情報の出し方と出しどころの計算がお見事でした。厳密には伝記映画ではないかもしれないけれど、オーソン・ウェルズの映画史に残る傑作『市民ケーン』すら引き合いに出されるのも納得です。

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映画のキャッチコピーにもあるように、オッペンハイマーの創造物は、世界の在り方を変えました。そして、その世界に、私たちは今も生きているわけです。極めて残念ながら、人間は自分たちどころか地球そのものの存在を破壊する道具を生み出し、それに自分たちで怯え、翻弄され続けています。そんなものが生まれるプロセスについて、誰一人無関係ではいられないからこそ、観るべき作品でもあります。原爆投下がもたらした被害についての描写が足りないという意見も散見されますが、オッペンハイマーが万雷の拍手でもって迎えられた、あの部屋のシークエンスにおける描写で十分です。観て、考えて、核兵器のない世界に向けた具体的なアクションを人類が取っていく一助となりうる重要な一本です。
短評後には、クリストファー・ノーランが今作のインスピレーション元になったと公言しているStingの『Russians』をオンエアしました。

さ〜て、次回2024年4月16日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『アイアンクロー』ザック・エフロン主演で実在のプロレスラーを描いたものということで、当初は「プロレス詳しくないしなぁ」と思ったものの、試合よりも家族の物語のようだし、それなら僕でもついていけるんじゃないかと候補に入れてみたら、ものの見事に当たりました。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!