FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月8日放送分
『ドリームプラン』短評のDJ'sカット版です。
90年代後半からテニスで世界最強と謳われたビーナス&セリーナ・ウィリアムズ姉妹。彼女たちは、カリフォルニア州のコンプトン、荒れたエリアで他の3人の姉妹と育ちました。母親は看護師。父親は警備員。つましい暮らしをしていますが、父リチャードには、スポーツの才に恵まれた姉妹を世界最高のテニスプレイヤーにするという夢があり、独学でトレーニングプログラムと計画書を作成していました。その中身と、ふたりがたどった道のりとは?
この実話を映画化したいと製作・主演として活躍するのは、ウィル・スミス。ウィリアムズ姉妹も製作総指揮に名を連ねています。監督は、まだ長編3作目の若手、レイナルド・マーカス・グリーン。脚本は、ロッキーのスピンオフ・シリーズ『クリード』の最新作を手がけているという、こちらも若手のザック・ベイリン。母親役には、『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜』のアーンジャニュー・エリスがキャスティングされました。
月末に発表されるアカデミー賞では、作品賞、脚本賞、主演男優賞、助演女優賞、歌曲賞、編集賞と、主要な部門を中心に6つのノミネートと、かなり高い評価をすでに獲得しています。僕は先週木曜日の午後に、MOVIX京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
邦題が『ドリームプラン』となっているんで、僕としてはウィリアムズ姉妹がいかに父親のサポートを受けて成功していったのかを見せる姉妹の伝記映画だと思っていまして、その側面ももちろんあるのだけれど、実際にはもっとずっと父親リチャードの物語でした。姉妹の話がメインなのだとしたら、物語のゴールに据えられるべき地点は、ふたりのオリンピックでの活躍とか、4大大会での優勝とか、引退になるはずですけど、この作品では、姉のビーナスがプロデビューしてからしばらくのところまでしか描かないんです。それって、不思議なことですよね。ウィリアムズ姉妹の後の活躍は有名だから、あとは描かなくても良いんだという考え方も成立するでしょうが、伝記映画としては尻切れトンボな感じになっちゃうじゃないですか。なぜなのか、それは原題にはっきり現れています。オリジナルタイトルは、「キング・リチャード」。つまり、父親の物語なんですね。
まるでリア王みたいな呼び方で、劇中でもそんな風に路上で呼びかけられる場面があったように記憶していますが、『リア王』とは、シェイクスピアの戯曲で、自分の娘達との行き違いの果てに破滅していく暴君の父親が主人公。僕はこのタイトル付けにも、それなりに送り手側のメッセージというか、リチャードの半生への解釈が入っているような気がします。
基本的には成功譚であり、美談なんだと思うんですね。カリフォルニアでも、そして当時の全米でも屈指の荒れたエリアのひとつとされたコンプトンで、ひもじくはなくとも、裕福とはとても言えない環境に身をおいていた家族。ウィリアムズ家の住んでいるストリートはまだマシなほうだと思うけれど、そりゃ治安は良くないし、喧嘩っ早くて肩をいつも怒らせているような若造たちも登場します。そんな中、リチャードとその妻は、かつて受けたような公然とした黒人への差別や暴力とその屈辱を、自分たちの子どもには受け継ぎたくないし、娘たちには高潔な人であってほしいという願いから、5人姉妹をとても熱心に教育する。その甲斐あってと言いますか、長女なんて飛び抜けて成績がいいし、ビーナスとセリーナは、テニスに才覚を発揮します。ただ、このふたりにしても、リチャードの要求するものははっきりしていて、スポーツ馬鹿みたいなのはダメなんだと。プレーヤーとしてのキャリアは長い人生の一部でしかないのだからと、日頃のトレーニング以外にもしっかり勉強をさせます。古風な言葉で言えば、文武両道を地で行く、さらに劇中の言葉を借りれば、「ゲットーのシンデレラ」を本当に何人も生み出してしまうんだから、彼の目指した屹立するような高みにある理想は誰にも否定できないし、目指す人間像も、どれも正論なのですが…
これが単純なるサクセス・ストーリーでもないと言いますか、最終的には狂気すら感じるほどに、リチャードは頑迷なんです。意志が固くて強いんです。専制的で、独善的で、ほとんど毒親すれすれの、そう、下手すりゃリア王のように。子どもたちが幼い頃は、彼女たちもそういうものだと無邪気に受け入れていますが、10代に入ってある程度大きくなってくれば、この教育方法は娘たちの選択肢を奪っているようにも感じられます。
もちろん、環境という逆境をバネにして、一代で社会を駆け上がる、のし上がっていく様子は、アメリカン・ドリームそのものです。応援したくなるのと同時に、見ていてヒヤヒヤするのがユニークなんですよ。成功したからいいものの、もし失敗していたら、その失敗の方向性、角度によってはそこそこ悲劇になる可能性もあるよなって想像してしまうほどに… 実際のところ、当初はずっと一緒だった家族が、中盤から後半にかけては、特にリチャードについてはひとりで画面に登場することが増えていたように思います。
ウィル・スミスの珍しくなりきり型の演技も良かったし、全体として既存曲の使い方も時代性や内容が的を射た引用だったし、撮影も80年代のムードを醸すフィルムっぽい画作りが良いです。テニスコートの金網や囲いなど、何かを区切ったり仕切ったりするアイテムをメタファーとして織り込んだ画面の構成にも感心。
これは、アメリカ人が好きな物語で、だからこそアカデミー賞でも順当に評価されているんだけれど、アメリカン・ドリームの単純な美談にまとめきれない部分を描いていることが、僕には興味深く思えました。結果として僕が好きなのは、その幕切れの部分。詳しくは、言いませんが、リチャードの子離れというか、彼がそのエキセントリックな教育を終えて、ビーナスが自立するところをゴールとして描いているんだなと総括しています。
さ〜て、次回、2022年3月15日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ナイル殺人事件』となりました。灰色の脳細胞を誇る名探偵エルキュール・ポアロの活躍を描くリメイク・シリーズですね。今回もケネス・ブラナーが製作・監督・主演と、かなり気合が入っています。前作はそのみなぎるやる気に気圧されてしまった部分も僕には正直ありましたが、今回はどうでしょうか。鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!