オールドファッション幹太
どうも、僕です。野村雅夫です。現在公開中というイタリア映画をまた紹介できることがとても嬉しい。しかも、強烈なインパクトを残す作品。僕も公式サイトに以下のようなコメントを載せている『ドッグマン』です。今年4月、イタリア映画祭2019の告知を兼ね…
第71回カンヌ国際映画祭で脚本賞を獲得し、日本での公開が待たれていた、アリーチェ・ロルヴァケル監督の『幸福なラザロ』(原題『Lazzaro felice』)。イタリア映画の日本公開への道筋として定石となっているイタリア映画祭を経由せず、ダイレクトに4月19日…
2/4(土)から松山市のシネマルナティックで開催している「イタリア映画界の異端児 アゴスティの世界」。 2/11(土)は『アゴスティ入門』トークイベントを開催するため、ドーナッツクラブメンバーは車を走らせ、松山へ。シネマルナティックは松山市駅の近く…
12/9(金)-10(土)は、「イタリア映画界の異端児 アゴスティの世界」の上映と一緒に開催したトークイベントのため、ポンデ雅夫+オールドファッション幹太+ファンシーゆずの3人で、吉祥寺まで行ってきました。 吉祥寺の商店街「サンロード」の端っこに位…
例えばグイード・コンティーニなる人のイタリア映画は、白黒映像がゾクゾクしちゃうだとか、あるいは光の演出が抜群とか、細いネクタイや尖がった革靴が素敵よねだとか、やっぱりネオレアリズモに限るぜだとか、そうした諸々の理由から人々を魅了しているよ…
イタリアには “Il tempo vola.”ということわざがある。日本語の「光陰矢のごとし」に通じるところがあるのだけれど、とにかくイタリアでは、時間の過ぎ行く早さを「時間は飛ぶ」と言って表現している。確かにそうなのかも知れない。9月に提出可決されイタリ…
雨が降るたびに気温が低くなる。晩夏の夕立と比べて、本当に同じ「雨」なんだろうかと疑いたくなるほどに音も形も匂いも違う秋雨が街を冷たく濡らす。朝、目が覚めて窓を開ければ、向かいの屋根の軒先に積もる落ち葉がいつの間にか増えていて、反比例して木…
ボローニャの「へそ」とも言えるマッジョーレ広場(Piazza Maggiore)、その西側にパラッツォ・ダックルスィオ(Palazzo d’Accursio:アックルスィオ宮)がある。現在、大方は市役所として機能しているのだけれども、広場に面した1階部分には無料インターネ…
記憶が正しければ、あれは僕が大学6年生だったころ、イタリア語専攻の3、4回生を対象にしたとある授業だ。クラス全員がそれぞれにイタリアの地方紙(ネット版)を読み、各人が毎週トピックを持ち寄って記事の要約とコメントを発表する、という形式で、15…
I’m just sitting here watching the wheels go round and round. I really love to watch them roll. No longer riding on the merry-go-round. I just had to let it go. --JOHN LENNON, “Watching the Wheels” 新居には中庭がある。およそ3メートル四方…
大阪ドーナッツクラブの少なからぬ面々が敬愛してやまない劇作家、井上ひさしの最新本を手にして、実のところ僕の口はドーナッツの穴のようにまん丸に開いて、しばらくふさがりませんでした。それくらい愕然としてしまったのです。ボローニャという街自体が…
ジュゼッペ・トルナトーレ(Giuseppe Tornatore)の『題名のない子守唄』(La sconosciuta、 2006年)を見たのは、ボローニャのメイン通り「ヴィア・インディペンデンツァ」に近いフルゴール(Fulgor)です。ここは、ボローニャで入った映画館の中でもかなり…
前回、いわゆるボローニャの旧市街地(旧城壁の内側)には、われらがチネテカ・ボローニャを含め、11の映画館があることを書きました。どうせ映画館が家から遠いのならば、そして、遠すぎて本物のスクリーンと対面できないのであれば、あくまで徹底的に遠い…
ボローニャのペッリッツァ・ダ・ヴォルペード通りから大阪の豊中市に引っ越して、早いもので半年が過ぎました。ノスタルジーに浸る間もなく奔走したおかげで、帰国直後特有の忙しさと慌しさには何とか決着をつけることができました。ところが間髪を置かずに…
昨年11月の後半から、都合4回にわたり休載させていただきました。今回から何とか復活です。これまでの人生を賭して取り組んだ仕事もひと段落つき(完了したとは言いますまい)、新しい年も始まって、今年はどんな楽しいことをしようかと考える日々です。 パ…
・・・・・・、ちょっと待って下さい、想像の涙を想像的に拭きますので。失礼。・・・・・・ん、・・・・・・ああ。いやあ、すごかったですねえ、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『1900年』(Novecento 、Bernardo Bertolucci、1976年)。一部の批評ではその…
…最後の最後までウィウィノンノンとブツブツつぶやきながら、ドイツ表現主義特集のポスター(画像下)を買うか買うまいか悩みました。挙句の果てに、そのポスターの不在を貧乏学生という今日の情けない我が身の勲章として遠くない将来に思い出せるようにと、…
パリ、7月のある雨の朝。「またパリか…」。初めて訪れた街であるにもかかわらず、そんな言葉が男の口をつく。エクトプラズムの形をした冗談が、煙草のけむりのように行き場を失う。男はカフェでパリ的なカップをひとり傾けているが、それでも世迷言を口走り…
イタリアはボローニャの夏の訪れを祝い、バカンス目前のこの街をにぎやかにするは、「再び見出された映画」(Cinema Ritrovato)という名の映画祭、ボローニャ復元映画祭です。当コラム『シネマテークにしねまっていこ』でも、第15回と16回のそれぞれで紹介…
今、手元に2冊の本があります。1冊は今年のボローニャ復元映画祭で買った “JEAN DESMET and the Early Dutch Film Trade”という本で、無声映画の色彩復元システム「デズメット方式」で有名なノエル・デズメット(Noël Desmet)と勘違いして、デズメットと…
2007年7月8日、ボローニャの中心マッジョーレ広場でチャールズ・チャップリンの代表作『黄金狂時代』(The Gold Rush、Charles Chaplin、1925年)が上映されました。市立劇場の70名にも及ぶオーケストラの演奏つきです。恐ろしい人だかりの中、なんとかそ…
15回目を数える当コラム『シネマテークにしねまっていこ』では、我がボローニャが映画の街であることを折に触れ主張してきました。この街の映画事情を、他の町のそれとは一線を画したものにしているもの、それがボローニャ市立シネマテーク、通称チネテカで…
「ちねちったる」 【ちねちったる/チネチッタる/CINECITTÀる】 動詞 ラ行五段活用 *地域によって、稀に「きねちったる」 *しばしば以下の①〜⑤のみが言葉の持つ意味と捉えられがちだが、近年「チネチッタに関する全ての行為」を示す動詞として用いられる…
エルマンノ・オルミ監督の『時は止まりぬ(訳は筆者)』(Il tempo si è fermato、Ermanno Olmi、1959年)はやっぱり良かったですね。しばしばスクリーン上で焦点が安定しなかったのは、劣化のせいでフィルムが波打っていたからでしょう。見所のひとつとも言…
紀元79年秋の「ポンペイ最後の日」は、さぞ長い一日だったことでしょう。DVDについての特集(コチラからどうぞ)が長期に渡ったのもそのアナロジーだったということは、恥ずかしながら、今さっき考えついたことです。その長かった「一日(としての一特集)」…
ボローニャのシネマテーク「チネテカ・ボローニャ」にある映画館チネマ・リュミエールはクリスマスも年末年始も営業しています。唯一の休業は、ボローニャの夏を飾る野外上映が終わったあとの約3週間ほどの夏休みだけといった具合に、なにかにつけ休みたが…
先日インターネットで、映画を学ぶ上で非常に興味深いDVDを購入しました。商品名は“Gli ultimi giorni di Pompei”、日本語に翻訳すれば「ポンペイの最後の日々」で、イタリアで2003年11月に発売されたものです。ポンペイとは紀元1世紀(79年)に近郊の火山…
「すみません、この雑誌を探してるんですけど」 「はいはい、何々? 『チネマ・ヌオーヴォ(Cinema nuovo)』の1952年12月15日号だね。ん、創刊号じゃないか。ちょっと待っててね」 「……」 今日はボローニャ市立シネマテーク、チネテカ・ボローニャ付属であ…
昨年末の前回予告したとおり、今回から随時、数回に渡ってシネマテークという施設そのものを紹介しましょう。もちろん世界にはたくさんのシネマテークがある訳で、さらにその全てを知っている訳ではありませんので、ボローニャのシネマテーク(以下チネテカ…
初回、第2回とわかったようでわからない話題でしたので、第3回となる今日は、僕にとって唯一無二のシネマテーク、チネテカ・ディ・ボローニャCineteca di Bologna(以下、チネテカ、本来の発音は「チネテーカ」に近いです)に触れながら、もう少し具体的なお…