京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

食の安全ボローニャ版 〜豚への敬意〜 (旧ウェブサイトコラム『ボローニャ新聞 大阪支局』)

 イタリアには “Il tempo vola.”ということわざがある。日本語の「光陰矢のごとし」に通じるところがあるのだけれど、とにかくイタリアでは、時間の過ぎ行く早さを「時間は飛ぶ」と言って表現している。確かにそうなのかも知れない。9月に提出可決されイタリア中に賛否両論の渦を巻き起こした教育改革法案と、それに反対する学生や教職員たちのストライキとデモについての記事を読んでコラムを書こうとしていたのだけれど、ふと気がつけば(まあ2ヶ月が過ぎてしまっていたわけだが)、ネット上の紙面にぱたっとニュースを見かけなくなってしまっていた。2ヶ月という時間とともに法律と騒動と、それらにまつわるエトセトラもどこかに飛んでいってしまったのかしらん。ともあれ、先月の無断休載については平にお詫びいたします。

 矢のごとき光陰のごとき超高速走行を可能にした列車、その名も “Frecciarossa(紅の矢)”が12月14日、ボローニャとミラノの両中央駅間(距離約200km)で開通したことが話題を呼んでいる。従来の高速列車ユーロスターでは2時間前後を要したところを65分で結び、1年後には南部のナポリサレルノまで延長されるとのことだ。列車の発着遅延は日常茶飯事、ストはことあるごとに(あるいは何事もなくても)発生するイタリアで、果たしてどこまで運行時間65分を維持できるのかは大いに気に懸かるところだけれど、かといって、「当列車は1時間遅れでボローニャ駅を出発いたしましたが、65分後には間違いなくミラノ駅に到着いたします。お急ぎのところ大変ご迷惑をおかけしますが、発車が遅れたにもかかわらず従来のユーロスターと同程度の所要時間になっております素晴らしさをご理解ください」、なんて車内放送はあまり聞きたくない。スピードを出しすぎて矢や時間のようにどこかに飛んでいって、二度と還って来なかったなんてことがないよう祈っている。

 飛んでいったといえば、日本中を震撼させたメタミドホストルエン、さらにはそれらを取り上げた日本の記事はどこに行ってしまったのだろうか。冷凍食品を買う習慣がないのでよくわからないのだが、中国製冷凍餃子の不買(あるいは不売)運動は今も続いているのだろうか。そんなことを考えていたら、イル・レスト・デル・カルリーノ紙に次のような記事が掲載されていた。どうやら食の安全の問題という名の矢は、イタリアにまで飛んでいっていたようである。

ALLARME DIOSSINA
Alcisa: stop a partita di carne di suino
Il presidente: "La mortadella è ok"
Sequestrate per controlli 86 tonnellate di suino proveniente dall'Irlanda. Il presidente dell'Alcisa: "Nessuna partita è finita sul mercato. I consumatori stiano tranquilli. La nostra mortadella è prodotta solo con carni italiane"

ダイオキシン警報発令中
アイルランド産豚肉86トンが検査のために押収された問題で、アルチーザ社は豚肉取引を緊急停止した。代表者は「モルタデッラはOK」と釈明しており、それによると「取引された豚肉は市場には出回っておりませんので、消費者の皆様の心配には及びません。当社のモルタデッラは国産豚肉だけを使用しております」としている(訳は筆者) 。

アイルランド産の豚肉からダイオキシンが検出された問題は世界中に広まっているようだが、ボローニャ近郊のゾーラ・プレドーザ市(Zola Predosa)にある、1946年創業のアルチーザ社(Alcisa)の工場に保管されていたアイルランド産豚肉も、ダイオキシン汚染の例外ではなかったようだ。ゾーラ・プレドーザは、周辺では有名なワイン「コッリ・ボロニェーズィ」(「ボローニャの丘」という意味、Colli bolognesi)の産地のひとつでもあり、有数の農業地帯であるから、かの地に走ったであろうダイオキシン禍の衝撃は計り知れない。

 アイルランド産の豚肉からダイオキシンが検出された問題は世界中に広まっているようだが、ボローニャ近郊のゾーラ・プレドーザ市(Zola Predosa)にある、1946年創業のアルチーザ社(Alcisa)の工場に保管されていたアイルランド産豚肉も、ダイオキシン汚染の例外ではなかったようだ。ゾーラ・プレドーザは、周辺では有名なワイン「コッリ・ボロニェーズィ」(「ボローニャの丘」という意味、Colli bolognesi)の産地のひとつでもあり、有数の農業地帯であるから、かの地に走ったであろうダイオキシン禍の衝撃は計り知れない。

 もちろん僕にとっても、(今でこそ地理的に遠いとはいえ)住み慣れたという意味で心理的には常に近くにあるボローニャで、摂取量によっては死に至る毒物が検出されたという事件は、留学期間中に生ハムやモルタデッラ(画像は、モルタデッラ切りに興じるプローディ前首相)をはじめボローニャ風トンカツ、ミートソース、コテキーノやザンポーネなど、豚肉に大いにお世話になった身からすれば相当の衝撃ではある。ボローニャで食した豚肉の量を思い返せば、場合によってはダイオキシンを体内に蓄えていたとしてもおかしくないのだから。そしてさらに驚くのは、豚の名産地ボローニャにも国外から豚肉が入っていたという、当然と言ってしまえば当然の事実である。

ボローニャで知り合ったとある料理人に「ボローニャといったら豚肉だよ」と言われたことを覚えている。それを僕は拡大解釈して、ボローニャで売られるいわゆるボローニャ産豚肉製品はすべてボローニャの豚肉を使っていると思い込んでしまっていた。しかし、昨今浜名湖のうなぎがすべて浜名湖産ではないということを知ってしまった日本人からすれば、アルチーザ社創業者イヴォ・ガッレッティ(Ivo Galletti)の子孫である現社長ステーファノ・テデスキ(Stefano Tedeschi)氏の次のコメントには一切の説得力がない。

Il nostro prodotto di punta, la mortadella ‘Due Torri’, è fatta esclusivamente con maiale italiano ma il mercato nazionale non è sufficiente per coprire tutta la produzione di salumi. Il fabbisogno viene coperto con importazioni da altri Paesi della Ue e, fino all’altro giorno, l’Irlanda era considerata un ottimo produttore proprio per la qualità. Tutta la carne irlandese comunque è stata rintracciata.

問題となっている当社製品、『ドゥエ・トッリ』という商標のモルタデッラは、イタリア産豚肉のみを使用していることに疑いはありません。しかし、国内市場をすべてカバーするには十分とは言えず、そうした不足分はEU圏内からの輸入でまかなわれております。品質面から見てもアイルランドは、問題が発覚するまでは最高の生産国とみなされてきましたが、いずれにせよ、アイルランド産の豚肉は追跡調査中です(イタリック、太字、訳は筆者)

 アルチーザ社に保管されていたアイルランド産豚肉は熟成期間にあり、ほとんどすべて社内に残っていたということらしい。一部の例外として、ギリシャに向けて輸出予定だったものは、一般流通の直前になんとか輸送船上で確保できたというから、ひとまずは胸をなでおろしたい。反面、ダイオキシン被害がイタリア経由でギリシャに拡大しなかったこと、モルタデッラにはアイルランドの汚染豚肉は使われていなかったこと、これらを伝えようとしたアルチーザ社の社長の言葉は、そればかりか、もうひとつ重要な情報を図らずも提供してしまった。すなわち、ドゥエ・トッリには「イタリア産豚肉が使われている」ということだ。

 恐ろしい数の種類のモルタデッラが存在するので、実のところ僕がアルチーザ社のモルタデッラ「ドゥエ・トッリ」を食べたかどうかは怪しい。しかしドゥエ・トッリとは言うまでもなくボローニャのシンボルである「ふたつの斜塔」であり、その名を冠したモルタデッラはほとんどボローニャの象徴のようなものだろうから、スーパーや商店で見かけたことは一度や二度ではないはずだ。問題なのは、そのモルタデッラに使われている豚肉が、輸入豚ではなく国産豚だからダイオキシンの汚染については大丈夫っていう、論理のずれみたいなところだ。ボローニャのモルタデッラはあくまで “maiale bolognese(ボローニャの豚)”、せめて “maiale emiliano(エミーリア地方の豚)”から作られていると信じていた僕からすれば、ボローニャ産の豚肉であることが否定されたわけではないとはいえ、今回の件で「イタリア産」という言葉を用いることによって、ある種の責任逃れ、争点のごまかしをしているように思えてならない。

 小学校や保育園に対して、一日に17500食の給食を提供している会社のアンジェロ・モナキーニ(Angelo Monachini)氏の、「子供たちが口にする豚肉は、100%地元産です(Il suino che mangiano i bambini è al 100% nostrano.)」 という同記事内の言葉も、そうなるとにわかに信じがたい。生産地の照会は可能だと氏は述べているが、問題は “nostrano”という単語である。「自国の/故郷の/地元の」という意味で、スーパーや小売商店なんかでもよく見かける単語だ。「おらほのべご(私たちのところの牛)」的な雰囲気が気に入って、その単語のつく食べ物を見かけると時々買うこともあったのだけれど、国産、あるいは地元産の広すぎる意味を考える今となっては何を買っていたのか、何を食べていたのかもよくわからない。外国産の豚肉に対して「地元の(つまり国産の)」なんて言われてるのだとしたら「そりゃそうだけど…」と絶句してしまう。

 ダイオキシン検出にせよ、産地偽装にせよ、大元にある問題は食物に対する敬意の欠如だと思う。今回の豚肉汚染の件について、僕はダイオキシンの混入経路は知らないけれど、おおかた土中に拡散したダイオキシンを吸収した草を食べたとか、そういうことなんじゃないかと想像はできる。ダイオキシンを土に撒く不敬、ダイオキシンを含んだ飼料を豚に食べさせる不敬がそこにはあるのではないか。
 
 遊学中にとある総菜屋さんで生ハムを量り売りしてもらったら、その店で使われている包装紙を見て、一気に食欲が失せたことがある(画像)。こういう下品な感覚をまずは払拭して、生産から加工、流通までしっかり食物に対して敬意が払われているものであれば、つまりはおかしな物質が混入したり、売り上げばかりを気にして産地を偽ったりしていないという意味できちんとしたものであれば、インドネシアブラックタイガーでも北朝鮮産ウニでも、アルゼンチン産ぶどうジュースでもアメリカ産ブロッコリーでも、宮崎産きゅうりだって大阪産春菊だって、長野産ブナシメジだって岐阜産トマトだって、喜んでそしてもちろん敬意を払ってうまいうまいと言いながら食べる。それがどこかで狂って、原産地ばかりが取りざたされたり(国産のものを食べるっていうのは他の意味で大事なのだけれど)、おかしな風評に消費者が振り回されて不買運動が起こったかと思えば手のひらを返したように売り切れ続出で棚から商品が消えたり、最近の「食の安全狂騒劇」の半分くらいは本当にくだらないと思う。もっと素朴で良い。

 今この瞬間に、手元にアルチーザ社のモルタデッラ「ドゥエ・トッリ」がないのがとても悲しい。外国産豚肉ではないけれどボローニャ産豚肉でもない可能性もあるということをちゃんと理解して、どこか知らないけれどイタリアのどこかでボローニャのモルタデッラになるために殺された豚に感謝して、今はじめて僕と読者全員が曇りなき精神で同社のモルタデッラを食べるに値する人間になったいうのに…。いやいや、ちょっと待て、俺。おそらくこういう無い物ねだりの心持ちこそが食の安全を脅かすんじゃないのか? ああ、もうしばらくは、「ドゥエ・トッリ」はお預けらしい。むむむ。  (おわり)

=参照=
Il Resto del Carlino(イル・レスト・デル・カルリーノ紙)
FS(国鉄)
ALCISA(アルチーザ社)