京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『52ヘルツのクジラたち』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月12日放送分
映画『52ヘルツのクジラたち』短評のDJ'sカット版です。

幼い頃から家族に翻弄、搾取されて生きてきた20代の女性、三島貴瑚。ある強烈な経験を経て、心身の傷を癒やすべく、東京から海辺の田舎町の一軒家へと引っ越してきたばかりです。彼女はそこで、母親から「ムシ」と呼ばれて虐待を受ける、うまく声を出せない少年と出会います。貴瑚は彼と交流するうちに、東京で自分の声なき声に耳を澄ませ、絶望から救い出してくれた人、アンさんと過ごした日々のことを思い起こしていきます。
原作は、2021年に本屋大賞を受賞した町田そのこの同名小説。監督は、『八日目の蝉』『ソロモンの偽証』、そしてこの番組で評したもので言えば『いのちの停車場』の成島出。脚本は『ロストケア』の龍居由佳里が担当しました。貴瑚を演じたのは、杉咲花。アンさんには志尊淳が扮した他、宮沢氷魚小野花梨余貴美子倍賞美津子なども出演しています。
 
僕は先週水曜日の昼にTOHOシネマズ梅田で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

原作がベストセラー小説なので、読んでいる方も多いでしょう。僕が、すみませんが、原作未読でして、小説と映画の比較ができないんです。だから、どこまでが映画の脚色なのかわからないものの、物語の構成としてはとても映画っぽいなと思いました。まず主人公の三島貴瑚という20代の女性が海辺の街に登場する。そこは海が見下ろせる一軒家で、住み始めたら建物の傷みに気づいたのか、特に木造のテラスを若い大工に修理してもらっています。都会から来たっぽい若い女性の一人暮らしに興味を持つ大工たち。東京で性風俗に従事していたんじゃないかとか噂を立てられるんですね。それというのも、この家にはその昔、芸者だった女性が流れ着いて住んでいたという歴史と、その記憶が街に息づいているから。すると貴瑚は、「半分は正解。その芸者あがりの女性は私のおばあちゃんだから」みたいなことを言うわけです。そこで、観客は貴瑚の過去と家系に興味を持つ。貴瑚はどうしてこの田舎町にやって来たのか。物語は3年ほど前に遡る。それと同時に、その街で親からネグレクトされている少年と出会ったり、貴瑚にとって大切な人だったというあんさんの幻影が映像として出てくることにより、彼女の過去の人間関係、そしてこれからつながっていく現在・未来の人間関係にと、興味が広がるしかけ。このセットアップができたら、あとは過去と現在のエピソードをそれぞれシャッフルしながら、時系列にそのまま見せていったのでは生まれないサスペンスとミステリーが生まれるんですね。

52ヘルツのクジラたち【特典付き】 (中公文庫)

そこで鍵となるのが、タイトルの「52ヘルツのクジラ」です。クジラはその鳴き声で仲間同士でかなりの情報をやり取りできる生き物ですが、このクジラの場合には周波数が合わないことで、いくら鳴いても叫んでも、自分の思いが他のクジラに伝わらない孤独なクジラなんだということが示されるわけです。究極のマイノリティであるそのクジラの鳴き声をイヤホンで聞くことで、人間社会におけるマイノリティたるキャラクターは、自分にも仲間がいるかも知れないと少し安らげる。この物語では、実際のところ、複数の人物がそれぞれに現実の中で声を上げられないどころか、声を押し殺して生きているんですよね。その理由は、ヤングケア、ジェンダー、ネグレクトなどなど。そして、貴瑚は言わばその中心として、まだ若いその人生において強烈な体験を経て今にいたっていることが示されます。これ、時系列に見せられたら、とてもじゃないけど耐えきれないというくらいなんですが、さっき言ったように、映画的な、あるいは映画というメディアが得意とする語りの手法によって現在の彼女の様子が先に頭に入っているからまだしもで、そうでなければ先が不安すぎてキツいですよ。でも、裏を返せば、エピソードのシャッフルによるミステリー的な語りによって失われる重さも人によっては感じられるでしょう。過酷な現実があっさり時間をジャンプしていくことで、パズルのピースとしてはハマるけれど、語りの段取りが目立ってしまい、軽く感じられるということです。

(C)2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会
でもね、むしろ僕が感じたもどかしさは、それぞれの挿話において被害者がいるとして、その加害者側の掘り下げがほとんどないことです。特に気になったのは、ふたり。生まれてきた子どもを虫けら呼ばわりする若い女性と、再婚したことで相手の男性に気を使うあまり娘への愛情と憎しみが振り子のように極端になってしまう中年女性。それぞれ社会階層や環境が違うことはわかりますが、それ以上の言及はなく、この物語からそれこそネグレクトされることで、記号的な存在になっているんです。それがしかも、揃って女性というのが問題で、これだとまたステレオタイプを生み出しかねないんですよね。あとは、何人かが口にする「誰かが誰かを守る」という言葉と「魂の番」というキーワードには、それがここで問題となっている人間関係の呪いや息苦しさを生むんだぞという違和感も覚えました。

(C)2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会
ただ、杉咲花の演技はなるほどすごかったですし、余貴美子の出番は短いながらもこういうお母さんいるなと思わせる説得力が群を抜いていました。演出面では、成島監督あるいは相馬大輔撮影監督の成果なのか、ライティング、色味の寒暖の差の付け方が印象に残りました。トータルとしては手堅いし、少なくとも、声をなかなか出せない境遇に追い込まれた人たちの声を聴くこと、拾い上げること、声を上げやすくすること、周波数を合わせることの難しさや、それがゆえの当事者たちの知られざる息苦しさはしっかり伝わる作品でしたよ。

さ〜て、次回2024年3月19日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ゴールド・ボーイ』。僕ね、岡田将生の演技が好きなんですよ。端正な顔立ちながら、「こいつカチンとくるなぁ」っていうキャラクターを演じさせたらピカイチだと思うんです。今回はどんなだろ? さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!