京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『愛にイナズマ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月7日放送分
『愛にイナズマ』短評のDJ'sカット版です。
時はコロナ禍。映画監督になりたいと努力を重ねてきた20代の花子は、夢の実現の一歩手前でチャンスを奪われてしまいます。その頃、空気は読めないが魅力的で自分とどうやら波長の合いそうな男、正夫と運命的な出会いを果たします。夢を諦めきれない。再起を誓ったふたりは、撮りたかった映画の題材でもある、花子の家族のもとを訪れます。妻に出ていかれた父親。口のやたら達者な長男。真面目すぎるきらいのある次男。集まった家族の行方は?

舟を編む

舟を編む』や『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』の石井裕也が監督・脚本。花子を松岡茉優、正夫を窪田正孝が演じ、父親に佐藤浩市、長男に池松壮亮、次男に若葉竜也が扮したほか、仲野太賀、高良健吾趣里MEGUMI三浦貴大益岡徹などが脇を固めています。
 
僕は先週金曜日の午後、なんばパークスシネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

我ながら、最近の映画神社のおみくじ、くじ運が良いぞとなった作品でした『愛にイナズマ』。石井裕也監督がコロナ禍でどうしても撮りたいと息せき切って脚本を書き上げて、名だたるキャストが揃った時点で作品の質の高さが保証されたも同然なんですが、ちょっと他に似たような映画が思い当たらない、想像の上をいくものでした。それは宣伝にも表れているというか、困ったところがあったと思うんです。たとえばジャンルとして、ラブコメっていう表記を見かけるんですが、間違いではないし、恋愛であり家族愛の話で、笑える場面も頻発するんだけど、ジャンルとして人が思い浮かべるラブコメではまずないんですよね。しかも、なんだこれは、どうなるんだと思いながら観ていたら、花子の夢が不運と悪意の合わせ技で踏みにじられてしまう前半とそこからジタバタあがいていく後半でずいぶんトーンが変わってしまうので、ますます面食らいます。でも、それが悪い気持ちがしないどころか、むちゃくちゃ面白くって、バラバラに見えて、やっぱり前半あっての後半だと、観終わってみるときっちり接続していたじゃないかと興奮してくる。しみじみくる話であると同時に、なんだかこう、血がたぎる映画にもなっていて、石井裕也恐るべしなんですよ。

(C)2023「愛にイナズマ」製作委員会
前半だけで映画一本分の面白さがあるんですが、主人公の花子はコロナ禍にあって自分の家族のことを映画にしたいと脚本と絵コンテを描き続けながら、その才能を一応見込んだとされる女性プロデューサーや助監督といろいろ打合せをして、これまた一応ブラッシュアップとされるような作業をしながら、金もなく、家賃の取り立てにあいながら、切り詰めて暮らしていますっていうこの設定。僕もかつて東京の映画学校に1年通って、同じように自分の数奇な家族の状況を映画にしようと奮闘していた女性のことを思い出して、僕はもうすっかり松岡茉優応援モードに入りました。それだけに、応援してくれるようでいて、実は彼女の才能をどんどんスポイルしていくMEGUMI演じるプロデューサーと三浦貴大演じる助監督に怒り心頭ですよ。お前らみたいなのがいるから日本映画の低空飛行という現実があるんじゃねえかと思っていたら、後半になって、池松壮亮演じる花子のお兄ちゃんが、「こんなことやってるから日本映画は韓国映画に圧倒されるんだ」なんて妹に言い放つ場面があって、僕は「それ観客の僕がしばらく前に思ったやつ」って思うことになるんだけど、こんな風に、ひとつのエピソードや出来事に、必ずと言って良いほど、二重三重の仕掛けやら構造が張り巡らせてあるんです。

(C)2023「愛にイナズマ」製作委員会
だんだんわかってくるのは、人と人が思いもよらぬところで繋がっていて、僕らはそんなネットワークの上で生きているのに、そこから目をそらしたり、本音をあえて言わなかったり、誰かを自分の論理だけでなじったり、それによって理不尽に傷つけられたり、逆に無関心でいることが誰かを深く傷つけるってことを当たり前に受け入れて生きてしまっていること。特に日本社会における人間関係の負の部分が強く出たコロナ禍にあって仕事や夢、下手すれば命を諦めざるを得なかった人たちへの監督の慈しみとそんなどん詰まりに彼らを掃き集めた社会やシステムへの憤りが結晶化した作品です。

(C)2023「愛にイナズマ」製作委員会
携帯電話を解約するシーンだけなのに笑えるし切なく哀しい場面だったり、みんなで行った居酒屋で看過できなかった客への仕打ちで急に一致団結する爆笑の緊急家族会議だったり、彼ら小さなうだつの上がらない家族と中途半端にいつの間にか一緒にいる血縁関係のない正夫という絶妙にいびつな人間たちが繰り広げる一連のすったもんだの中で、今の日本に監督が感じる違和感や苛立ちが、それこそ稲妻というスポットライトを当てたように、折りに触れ焼きつけられた嵐のような映画なんです。そこに確かにあるはずのものごとを、「それはなし」でと理不尽に言い放たれると辛くなりますね。あるものをなしにすることの問題意識は、劇中の映画のタイトルにも表れます。自分の感情をカットしてネグレクトしてなかったことにしたことのある人の心を焚き付けて、今一度本気で生きてみようと背中を痛いくらいに叩いてくれるこの映画、あなたも雷をビリビリと感じに劇場へどうぞ。
 
主題歌をエレファントカシマシの過去のアルバム曲にしたっていうのは、情報としては、「そうなんだ」って感じかもしれませんが、石井裕也さんは20代の頃、若い監督として何度もこの曲で自分を奮い立たせていたのだそうです。作品にもバッチリハマっていました。

さ〜て、次回2023年11月14日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、映画『ゴジラ-1.0』です。とっさに、これは面倒かもしれないと呟いてしまいましたが、ゴジラはファンも多ければ、切り口もたくさんあって、しかも-1.0という設定も含めて、リテラシーが問われそうだと思ったからです。山崎貴監督渾身の1本、しかと観てきますね。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッター改めXで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!