ローマを知りたいなら図書館に行くべし、という自説を私は唱えている。これは、資料を求めて足しげく図書館に通った実体験に基づくものだ。ローマ市内にはさまざまな図書館があるのだが、ここで言及したいのは市立図書館のこと。市内を分ける19の行政区ごとに1つ、もしくは2つあり、さらに児童図書館や演劇図書館など、専門化されたものも含めると、市立図書館の総数は計37となる。
行政区ごとにまんべんなく図書館があるので、お目当ての本を求めてあっちへ行ったり、こっちへ行ったりするうちに、ローマをすみずみまで散策することとなるのだ。例えば、ローマは郊外へ行くと、大型の集合住宅が増える。都市開発の失敗例と呼ぶべき巨大な建物群の壁は黒ずみ、わびしい雰囲気を醸し出している。そこにポツンと図書館があったりする。こんなアナザーサイドも、図書館に本をさがしに行けばこそ、目の当たりにできると言えよう。
また、各市立図書館が地域に密着しているところも面白い。蔵書の多い国立図書館は、大部分は申請しないと閲覧できないシステムになっている上、入館するには会員証を作成しなければならない。それに対し、市立図書館はこじんまりとしている分、手にとって本を読むことができる。この手軽さが、近隣住民に非常に親しまれるきっかけとなっている。新聞を読みに来るおじいさんがいたり、テーブルにノートを広げ勉強に励む高校生がいたり。仕切られた片隅で老人2人がチェスをうっているという光景を目にしたこともある。このように、各地域の市立図書館に行くことで、そこに住む人々の日常生活がよく見えてくるのだ。
そんな中で気に入っているのが、ヴァチカン市国の最寄り駅から徒歩10分の距離にあるジョルダーノ・ブルーノ図書館。ここはちょっと変わっていて、アパートの中庭に建っている。アパートの入り口にはきれいな藤棚のアーチがあるのがお気に入りの理由だ。しかし、私有地の中に公共の図書館があるとはどういう了見か。こんなローマの片隅で、見事なまでに論理の崩壊が生じているではないか。何度か足を運ぶうちに、どうしても気になり、司書の一人にこの疑問をぶつけてみた。
「確かに変ね」と彼女。「昔は幼稚園だったらしいんだけど、それが閉鎖して図書館になったの」と教えてくれた。続いて「そんなことでアパートの住民から苦情は出ないのか?」とたずねると、「出ているわ」と彼女は苦笑いをもらした。住民の了解を得ないまま、空いたスペースに図書館を入れてしまったのだろうか。それでも成り立っているのが、なんともイタリアらしい。
そんな折、司書の育成に携わるアントネッラ・アンニョリ(Antonella Agnoli)氏が発表した『知の広場』(Le piazze di sapere, 萱野有美訳,みすず書房,2011)なる本を読む機会があった。要約すると、以下のようになる。イタリアの町々には大きな広場があり、そこには老若男女が気の向くままに集まり、おしゃべりをしたり、座って休んだり、思い思いの時を過ごしている。そこは、人が出会い意見を交わす重要な空間。そこで、図書館も屋根のある広場と考え、単に本を貸し借りするだけでなく、人々が集い交わる場所にしていくことが大切である。
ローマの市立図書館には、アンニョリ氏の言う「屋根のある広場」の片鱗が見える気がする。「ローマを知りたいなら図書館に行くべし」という自説に符合するところがあると思い、勝手に共感を抱きながら、彼女の本を読み終えた。もしかすると、ジョルダーノ・ブルーノ図書館に苦情を呈する住民も、アパートの中にみんなが集う広場があると思えば、なかなか素敵に思えてくるのではないだろうか。『知の広場』の最終章は、これからの図書館の可能性を提示する形で結ばれている。
ボランティア、協会、ひとりひとりの市民に働きかけながら、読書クラブや図書館ナイト、海辺の読書大会といった地域活動を一緒に企画し、これまでの働き方を変えてゆくのだ。市民を文化活動の計画、伝達、運営、実行に巻き込むのだ。要するに、これからの未来は、公共図書館から町を作り、町から図書館を作ることが大切なのである。