京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

ポンデ式性格判断珈琲版  (旧ウェブサイトコラム『ローマで夜だった』)

 いやはや。前回の更新から3ヶ月もの月日が経過してしまった。イタリア人は夏場であろうとホットなエスプレッソで喉を潤すのは何ゆえかというような前振りで前回のコラムをしめてから、その1週間後には夏が終わり、さらには冬が秋を迎えに来たのも既に1ヶ月ほど前、いまや完全に冬である。まったくホットな話題ではなくなってしまったわけだけれども、懲りずに珈琲について書きたいと思う。このままいくとポンデ雅夫は今年の下半期「嗜好品」の話しかしていなかったというような話になりかねない(いや、もうなっている)し、下手をすると「ポンデ雅夫? あ、コラムで珈琲のことばっかり書いてる人でしょ?」というような風評も広がりかねない(いや、もう広がっている)ので、今回でとりあえずカフェインとは決着をつけたいと思う。

 イタリアには無数のバールがある。日本の喫茶店どころの数ではない。面積に占める喫茶店やバールの数を表す珈琲密度は日本よりも数倍は高いのではないだろうか。ちょっとした都市だと、角を曲がるごとにあると言っても過言ではないくらいだ。日本の喫茶店も友人とのちょっとした会合や待ち合わせに利用されるが、イタリアのバールというのはそれよりもずっと利用頻度が高く、かなり身近なものだ。休憩時間。あるイタリア人が友達と学校や職場の廊下でばったり出会う。挨拶以上の会話が少しでも始まると、どちらかがこう切り出すことになる。「コーヒーでも飲もうか?」。そして二人は演劇的な身振りを交えた機関銃のような会話を進行させながら行きつけのバールへ。ここで頼むのがもっとも一般的なエスプレッソである。Due caffe, per favore.(コーヒーを2杯ください) あるいは数あるエスプレッソのバリエーションと区別するためにDue caffe normali, per favore.(普通のコーヒーを2杯ください)と注文しつつも、カウンターに肘をついての言語機関銃掃射はやむことがない。ペラペラペラペラ。よくもあれだけ話すことがあるものである。ペラペラペラペラ。プッシュー。ペラペラペラペラ。

 今しがたのプッシューは、イタリアのバール内の仕事を一手に引き受ける巨大内燃機関であるところのエスプレッソ・マシンが唸りを上げた音である。ペラペラの言語機関銃とプッシューの巨大内燃機関が織り成すシンフォニー、これがバールの音環境を絶え間なく形成しているのである。どちらかひとつでも欠けるようなことがあれば、それはバールとは呼べない。少なくともイタリアのバールではない。こういったようなどうでもいい考察をぼんやりと繰り広げていると、さすがはエスプレッソ、特急という意味だけあって、湯気を立ち上らせたカップがカウンターに登場するまでものの30秒である。早い早い。あのごく少量の濃い珈琲に砂糖が軽くスプーン2杯ほど加えられかき混ぜられると、音的にはペラペラにカチャカチャが加わり、ペラカチャとなる。さらにはそれをほとんど一口か二口でぐびっと飲み干すので、ペラぐびとなる。料金は一杯60セント〜1ユーロくらいだから、日本円に換算すれば100円前後。ペラチャリン。話しながらも小銭をカウンター越しに支払って珈琲タイム終了。友人たちは「まだまだペラペラしたいのにね」「ペラ足りないね、まったく」と名残惜しそうに別れていく。

 大なり小なり多少の違いはあれど、これがイタリアの平均的バールのありさまである。単にカッフェと呼ばれるエスプレッソは、一年を通じて季節を問わず同じように熱く振舞われる。夏場だからといってアイス・エスプレッソなぞないのだ。よしよし、話が戻ってきた。一気に行こう。今こそ、その理由を解き明かすときだ。なぜ、暑いのにアイスを飲まないのか。それは、そもそもの珈琲が濃すぎるからだ(と思う)。ODCコラム読者諸賢のことだ、ここまで引っ張っておいて、肝心なところで「思う」はないだろうと思われるだろうけれど、それが僕の実感と本音なのだから仕方がない。エスプレッソはアイスにするには濃すぎるのだ。エスプレッソの醍醐味は、ホットなやつをぐびっと一口ですするところにある。冷え切ったのをちびっとなめても仕方がないのだ。そうでしょ? 冷たい飲み物は、量で攻めるものと相場が決まっているのです。質より量。だから、イタリアの珈琲はアイスとは相容れないのです。こと珈琲に関して言えば、イタリア人はホットを愛すのです。
 
 さて、お熱いのがお好きなのはわかったとして、イタリア人が珈琲を飲むのはバールだけなのか? いえいえ、もちろん自宅でも飲むわけです。僕の偏見によれば、彼らはなにせ一日に平均5杯は飲むわけですから。しかし、バールみたいにプッシューと鳴るような大掛かりな機械は家庭向きではない。そこで登場するのがカッフェッティエーラ(caffettiera)と呼ばれる珈琲メーカーだ。そのデザインは色々なものがあるけれど、構造は概ね共通している。下部に水を入れ、中間にエスプレッソの粉が投入され、火にかけられると、上に珈琲がゴボゴボと湧き上がってくるという仕掛けだ。最近ではおしゃれなものが多く流通しているけれど、どこの家にもあるのが上の写真のような伝統的な形のものだ。大阪で言えばたこ焼き機のようなものだ。ちょっと違うような気もするが、とにかく僕の経験から言っても、必ずどこの家にもあるのだ。何だったら、一家に2台3台はある。この機械は融通というものがまるできかないので、決まった杯数しか作ることができないからだ。ちょっとしたときの1杯用、メインユースの3杯用、来客時の6杯用といった具合だ。

 このカッフェッティエーラ。さすがはイタリア人にとって最も身近な調理器具というだけあって、使う人の性格が反映される、つまりはそれを見れば持ち主の心根が自ずと見て取れるということが最近わかったので、ここまで読んでくれた愛すべき読者の熱き想いにお答えして、精度抜群、正確この上ないポンデ式性格判断珈琲版をこっそりお教えしておきたい。

 珈琲を淹れるたびに即洗う人。かなり几帳面だ。こういう人のは当然ながら機械もぴかぴかだ。すごいのは、ひとつひとつの部品を見事にばらばらにして、内側のパッキンまで入念に洗い上げる人で、几帳面というより、潔癖症の気がある。ODCではオールドファッション○太がこれに該当する。最も該当者が多いのが、面倒なので洗うのを次に淹れるときまでお預けにしてしまう人なのだが、遺憾ながら、これが僕の見る限り一番普通の人である。こういう人のカッフェッティエーラは外見はきれいでも、内側はぼちぼち汚れているので、注意されたい。珈琲渋、通称「カフェしぶ」が付着しているので、その「しぶ」の量で使用者の心の内側を判断するべきである。

 問題なのは、ここからだ。下部外側に燃え跡がこびりついている場合。これも意外に多いのだけれど、使用者が平素よりガスの調節を怠っていることに原因がある。こういう人には怠け癖、あるいは細かいところに気が回らないという傾向が見受けられる。さらにひどいのは、あろうことか水を入れ忘れたまま機械を火にかけ、空焚きをして内側のパッキンを溶かしてしまう人である。こういう人は良く言えば仕事に集中しすぎる真面目型、悪く言えば単なるどんくさい人、もっと言えばドジである。ちなみにODCではファ○シーゆずがこれに該当する。しかしこの場合、パッキンを買い換えるのだから、カッフェッティエーラからそれが判断できないのではないか? 心配ご無用、ノン・チェ・プロブレーマである。外見や他の部位に比べてパッキンだけが妙に新しく白々しいのが即座に見て取れるからだ。ローマ支部のものがまさにそれである。

 読者の皆さんも初めてイタリア人の家に招かれるというような機会があるならば、ぜひともカッフェッティエーラに注意を払ってほしい。彼あるいは彼女のあられもない本性がそこに浮き彫りとなっているはずである。
 
 珈琲に関しては実はまだまだ書くことがあるのだけれど、いつまでも嗜好品に本腰を入れている場合ではないような気がするので、この話題に限ってはちょっとブレイクということで、次回からはまた違った話題をお届けしようと思う。師走も残すところあと数日。「この寒いのに走り疲れたぜ」という人は、ホット一息エスプレッソ・タイムにしてみてはどうだろうか。皆さん、よいお年を。