京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『名もなき者/A COMPLET UNKNOWN』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月11日放送分
映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』短評のDJ'sカット版です。

1961年。ミネソタからニューヨークへやってきた19歳の青年、ボブ・ディラン。まだ無名のミュージシャンだった彼は、あこがれのウディ・ガスリーと出会い、フォークシンガーの先輩ピート・シーガーや先に売れていたジョーン・バエズなどと交流を持つうちに、あれよあれよと時代の寵児となっていきます。やがて、ポップ・ミュージックの歴史においても極めて重要な1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルを迎えるところまでを描いた伝記映画です。

フォードvsフェラーリ (字幕版)

監督、脚本、プロデュースの3役を務めたのは、『フォードvsフェラーリ』のジェームズ・マンゴールド。若きディランを演じたのは、ティモシー・シャラメピート・シーガーエドワード・ノートン、ディランの恋人シルヴィ・ルッソにエル・ファニングジョーン・バエズにモニカ・バルバロがそれぞれ扮している他、ボイド・ホルブロック、ダン・フォグラー、スクート・マクネイリーなども出演しています。第97回アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞など、計8部門にノミネートされました。
 
僕は公開前にメディア試写会で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

残念ながら、アカデミー賞は8部門もノミネートされながら無冠ということになってしまいました。だがしかし、言っておきたい。すばらしい映画です。特にシャラメは、出世作となった『君の名前で僕を呼んで』に続き、今回2度目の主演男優賞ノミネートということになりまして、これはジェームズ・ディーン以来、約70年ぶりの快挙です。わかりやすいがんばりエピソードとして、彼がこの『名もなき者』のためにクランクインまで5年ほどの時間をかけて準備をしたというものがあります。体重も増やして臨んだそうですが、やっぱり音楽ですよね。歌や演奏については、オリジナルの音を使ってそれに合わせて動くという選択肢も普通ならあるわけですが、マンゴールド監督が求めたのは、シャラメを始めとするミュージシャンを演じる俳優たちには自分で演奏して自分の声で歌ってもらうこと。シャラメはその要請に応えて、ギター、歌、ハーモニカを、弾き語りからバンドとのアンサンブルにいたるまで、レパートリーを覚える、というより、きっちり身体に染み込ませるようにして地道に血肉化していきました。その努力に最大限の拍手を送りたいです。

©2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.
このプロセスを通して、マンゴールド監督が何を狙ったのかと言えば、それは俳優が自分たちの声で、借り物ではない声で歌うことでしょう。問題は似せることではない。物真似大会をしたいのではない。表現のコアとなる部分をつかまえて俳優がそれを表現することで、よりディランの音楽の中心部に踏み込めるはずだという目論見ですね。大変なことだけれど、それができないと、音楽伝記映画としては弱いという判断だと思います。その結果、この映画においては、歌がストンと観客の耳から身体に染み込んできます。それは、バンジョーもしっかり覚えたピート・シーガー役のエドワード・ノートンしかり、ジョーン・バエズを演じたモニカ・バルバロしかりです。その結果、周到に脚本に組み込まれた曲たちがその順番とともに、それぞれ当時の時代背景込みで必然性をもって描かれるので、音楽が場をつなぐ糊や飾りではなく、生きたものとして立ち上がってくるのがすばらしい。正直、映画内で紡がれる物語そのものは、ディランが好き人ならある程度知っているものだし、そうでなくとも、「こんな感じか」と推察できるものでしょう。僕もだいたい知っていました。マニアックに知っている人ほど、細かいところであれが違うここは改変していると気づくことでしょうが、それは良いんです。あの時代を生きたディランの表現の本質が伝わることが大事なんですから。

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それほどに、ディランは若い頃からなかなか掴めない男なんですよね。考えたら、今作はヒッチハイクの車でやって来て、成功して、自分の買ったバイクで走り去っていくまでの話だし、音楽においても、ウディ・ガスリーを訪問してフォークの世界に入門してロックの世界へと移り変わる変遷が描かれます。女性関係も恋人やジョーン・バエズとの関係も常に移ろっていきます。だからこそ、歌がものを言うわけです。ディランが登場するところではウディ・ガスリーの『Dusty Old Dust』が聞こえてきます。I've got to be driftin' along、もうさまようしかないんだ。それを地で行くことになります。そして、ハイライトのひとつとなるのが、ニューポート・フォーク・フェスティバルへの出演です。これは、ピート・シーガーとその仲間たちが主催しているもので、社会への異議申し立てをみんなで共有して一緒に歌うことで団結するような側面があったフォークの精神をそのまま形にしたような手作りのフェスです。そこでディランが歌った『時代は変わる』は、先頭を走るものがやがてはビリになるし、その逆もまた然りという内容で、観客たちの喝采を浴びます。そして、翌年。ディランは同じフェスにおいて、かの有名なアコギからエレキへと持ち替えたロックなパフォーマンスを行うわけです。まさに時代は変わるというところなんですが、それをピート・シーガーたち主催者は良しとせず、むしろ応援する人たちもいて、会場は結構な騒動になるわけです。そのあたりはもはやコメディーにも見えるような演出も施されていましたが、ディランはそこでとにかく飄々としている。歌い終えれば、すぐ立ち去る。集団に与せず、思想によりかからず、大衆に媚びず、その時々で音楽のスタイルも変えながら、自分の表現を模索し続けて型に入れられるのを拒む。あのライブ・シーンは、音楽史に残る出来事でありながら、ディランの生き方を象徴するものでもあったと思います。

©2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.
マンゴールド監督は、『フォードvsフェラーリ』もすばらしかったですね。同じく60年代前半から半ばにかけての伝記映画を、デジタル撮影ではあるものの、彩度を抑えつつ、当時の空気そのものまでパッケージしたかのような、そして極めてフィルムにちかい手触りの画面を生み出して、僕達を若かりしディランに引き合わせてくれます。たとえば先週評した『ブルータリスト』がフィクションとしての伝記映画でやってのけたような物語そのものの凄みでは引けを取るかもしれないけれど、『名もなき者』がすばらしい映画であることにはまったく変わりありません。
 
キャストによるサントラからかけたいものはたくさんありますが、この曲に入る素っ頓狂なサイレンの音をディランが取り入れたのはそういうわけだったのかという経緯がわかるエピソードからのレコーディングシーンで僕はニヤリとしましたよ。
 
このハイウェイにはいわくがいろいろあるんですね。ベッシー・スミス、マーティン・ルーサー・キングエルヴィス・プレスリーロバート・ジョンソンなどなど。アメリカの文化がこの61号線でたくさん生まれては消えたとも言える。ディランは10代で旅をして、自由と変化と独立・自立のシンボルとしてとらえたということもあるようです。

さ〜て、次回2025年3月18日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ANORAアノーラ』です。今回のアカデミー賞の主役ということになった作品のお目見えですね。こんなにFワード連発という作品賞ってあったっけ? そんな会話の連発という噂は聞いていますが、こりゃ楽しみ! さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!