京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

アントニオーニ、霧の彼方へ(後篇) 2008/8/20     (旧ウェブサイトコラム『ローマから遠く離れて』)

 私はフェッリーニの雄弁さと比較してアントニオーニを寡黙な演出をする監督だとした。それを舌の根も乾かぬうちに翻すわけではないが、アントニオーニは映画作家であって、ひとりの大いなる表現者である。演出作法のようなものは控えめに見えるが、表現そのものが寡黙なわけではない。では彼は自分のフィルムを通して何を提示しているのか。私にはそれが彼独自の世界観であるように思える。そのヴィジョンの体現方法が実に巧いのだ。ここまで触れてきたように、アントニオーニ作品における登場人物は、それが比喩的な意味であれ実際のことであれ、やがてスクリーン内の世界に溶け入るか消えてしまうかする運命を背負わされている。この監督は人間を風景や事物と均質化させてしまうのであって、そこが人間を通して世界を描こうとするそれまでのやり方とは明らかに異なっている。私たち観客が見ることになるのは、人物によって切り取られた世界ではなく、アントニオーニ自身が見る世界のあり様なのだ。それがどこに表出しているのかと言えば、驚くほど単純な話に聞こえるが、観客で言えばスクリーン、つまりカメラそのものである。ピエル・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)は、『ポエジーとしての映画』(Il , 1965, in Empirismo eretico, 1972, Garzanti, Milano, pp.167-187)の中で、「新しい映画」を特徴づける手法の最たるものは、それまでの映画史の中で本流を形成してきた古典的デクパージュにおける息を殺したようなカメラのあり方を否定し、むしろ観客に対してその存在を開陳してしまい、カメラに息吹を与えることだと論じている。そういった操作を通じて、監督は物語を語りながらも、それを一種の「かこつけ」として、自己表現・自己表出をすることができるようになるのだとし、そのような操作が可能にする映像を自由間接主観ショットと名付けた。そこで例として示されるのがアントニオーニの『赤い砂漠』(Il deserto rosso、1964年)である。なるほどアントニオーニのフィルムを観ることで私たちが得る体験の核は、登場人物の主観でもなければ、それと呼応するいわゆる客観でもない。カメラとその背後にいるはずの監督のヴィジョンなのであろう。こうしたことを考えるときに必ず思い出すフィルムがある。ヴィム・ヴェンダースの『東京画』(Tokyo-Ga、1985年)だ。その中で、ヴェンダースが新宿の夜のバー街を撮影する場面がある。小津安二郎の映画で登場人物がふらりと歩いてきそうな左右にネオンのある小路だ。そこでヴェンダースはいつもと同じように標準的なレンズでその通りを撮影する。そしてすぐに、今度は小津が好んで使ったという望遠気味のレンズで同じ通りを撮影してみせる。本人も認めるように、そうやって撮り直した映像は小津のイマージュであり、ヴェンダースのイマージュではない。当たり前のようにも思えるが、これは映画作家とそのスタイルの違い、このコンテクストで言えばヴィジョンの違いだということになる。面白いことに、アントニオーニは例の『赤い砂漠』で似たようなことを行っている。フィルムの後半、モニカ・ヴィッティ演じるジュリアーナが子供に話して聞かせるおとぎ話の挿話の中で、カメラは美しい砂浜をまずは標準的なレンズで捉えてみせた後、アングルを変えることもなく今度はかなり望遠のレンズで対象に肉薄し、同じ砂浜を洗う波の様子がつぶさに確認するのである。私たちがアントニオーニから学んだのは、先述した映画の読み取り方だけではなく、こうした彼独自の研ぎ澄まされたヴィジョンで世界を見つめ直すことだったのかもしれない。それは現代映画を観ることの醍醐味として、今日の映画作家や観客にも受け継がれていることだと私は考えている。
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 ローマにアッズッロ・シピオーニ(Cinema Azzurro Scipioni)という映画館がある。イタリア・インディペンデント映画の雄で作家でもあるシルヴァーノ・アゴスティの経営する劇場だ。ここは新旧合わせた魅力あるプログラムを組むということだけでなく、多くの映画人が足を運ぶ隠れ家のような場所としても人気のある場所だ。とは言っても、知る人ぞ知るというレベルの話ではあるが…。アゴスティはアントニオーニが亡くなった2日後に追悼文を書いているのだが、それによれば、あの巨匠が最後にシピオーニのチャップリン上映室を訪れたのは2006年、この世を去る1年前のことだったらしい。彼は『情事』のリバイバル上映に駆け付けたのだ(もちろんこれは言葉のあやだが、実際のところ近所で車を降りて、自分の足で歩いてきたのだ!)。最前列に陣取った彼は、半世紀ほど前に撮った自分のフィルムを、まるで始めて観るかのように鑑賞したという。これはどの芸術にも言えることだが、傑作というのは何度触れても新鮮なものである。

 日本では残念ながらまだアントニオーニのすべての作品を目にすることができない。そうなる前に、本人は私たちから遠ざかってしまった。とは言っても、パゾリーニが言うように、死は実際に肉体的なコミュニケーションが取れないことを指すのではない。もはや理解されなくなることを死と呼ぶのである。アントニオーニはそれまでの映画史の伝統との結びつきの薄い作家だと言ったが、逆に彼が与えた60年代以降の映画界に与えた影響は計り知れない。また、その一貫したテーマとは裏腹に、アントニオーニが発展を遂げる新しいメディアとそれを用いた表現方法の開拓に貪欲だったことについては、まだあまり正面から論じられていないように思う。フィクションとノン・フィクション、キアロスクーロ的な独特のモノクロ映像と物語を鮮烈に縁取るよう戦略的に用いられたカラー、映画へのモダンアートの導入、『666号室』(ヴィム・ヴェンダース、Chambre 666、1982年)で語られたヴィデオの可能性とその実験。私たちには、傑作を生み出してきたこの偉大な芸術家の全体像を捉えることがまだ叶わないのだ。ひとまずはその環境が整うのを心待ちにしたいところだ。彼の活動のすべてに向かい合うこと。肉体的な死の弔いはそこから始まる。